ニュースや道徳の授業などでいじめの話が出る度につらくなります。
しかし、それは被害者の子を憐れむ気持ちではありません。
いじめの話をされるたびに、皆がいじめはいけないことなのだと口にするたびに、お前は悪い人間だ、そう後ろ指をさされているような気持になるのです。
具体的に申し上げますと。
私はこれまで生きてきた中で、少なからず誰かを傷付けて生きてきました。
私が誰かに無意識に傷付けられたように、私も誰かを無意識に傷付けてしまっているのです。生まれてから、今までも、今も。
しかも私は傷付けた「誰か」を知らないのです。
それが最も罪深きことです。
自分が傷付けたことを自覚し、悔やみ、反省するならまだしも、私は誰を傷付けたかすら覚えていない、いえ、分からないのです。
ですので、いじめの被害者の子の話を聞いていると、私も知らず知らずのうちに誰かをこの子のような気持ちにさせてしまっていたのか…と、自責の念に苛まれるのです。
もうこんなに罪深い人間はいなくなるべきだと思っています。このまま生きていたところで誰かを傷付けることしかできないわけですし。
しかし結局死ねず、今の今まで生き永らえてしまっています。
どうか、誰にも知られずに死ぬ方法、もしくは誰も傷付けずに生きていく方法を教えてくださいませんか。我儘ですみません。この文章で不快に思われた方がいらっしゃいましたら、心の底からお詫び申し上げます。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
道徳の授業は、ある意味「真面目な人に元々ない罪を着せる」ためのもので、そんな罠にはまったからこそ死にたくなっているんだと思いますよ。
あなたが読んでいて死にたくなる道徳の教科書を編纂しているのは、「あなたのような真面目な人ではない」んです。
ななしさん
一言で言うと、お互いさまだと思います。
誰でも、無意識のうちに
誰かを傷つけているかも知れないし、
傷つけてないかも知れません。
あなたの言った言葉で、誰かが
傷ついているかも知れないし、
傷ついていないかも知れません。
その代わりにあなたも、
誰かが何気なく言った言葉に
傷ついたり、
傷つかなかったりしています。
なので、お互いさまです。
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