みなさんは、この世は運ゲーだと思いますか?私は、そう思います。
こんなことをいきなり書くのも、変なことですがね。というのも、遺伝によってある程度できることが決まってしまっている現実があるからです。
学業の成績は6割程が親からの遺伝で決まるそうです、運動神経や容姿なども当然遺伝によって決まります。「99%の努力と1%のひらめき」という言葉もありますが、努力できるかどうかも遺伝によって決まるかもしれないと言われています。努力ができない遺伝子を持つ人は、努力もひらめきもできません。
いい例が、音楽などのクリエイティブな才能は遺伝で9割が決まるそうです。アーティストなどになりたいと思っても、遺伝でできるかどうか決まってしまうのです。これは、残酷ですね。
また、それ以外にも東大の親の年収は950万円以上あるのが7割だそうです。テストは公平ですが教育などに当てられるお金が大きく影響します。お金持ちの家に産まれたかどうかでそれも決まってしまう。
そのためか、生涯年収も遺伝していることが多いそうです。みんなが幸せになりたいのは当然だと思いますが、どうにもできないこともあるそうです。
その他にも、イタリアの納税記録を遡って調べると、600年前に富裕層だった家系は現代でも富裕層なんだそうです。富む者は更に富、貧しい者は更に貧しくなる世界なんですね、すばらしい世界ですね。
と、現実にある話をしましたが、持つ者は持たざる者の気持ちなんて分からないのでしょうね、分かろうともしないのでしょう。
その環境に産まれた人は運が良かった、運ゲーに勝った。その人たちのようになりたいとか思わなくはないですけど、隣の芝生は青いっていうじゃないですか。だから、それは仕方ないんでしょうけどね、気にしなければいいと言われればそれまでですけどね。でも、人として生きているとどうしても気になるじゃないですか、嫌でも目にはいるじゃないですか、そういう人と接することもあるじゃないですか。しかも、そういう人は、私のような人間を見下していることが多いですね。
私は、できることならば、何も努力せずただただ自由に生きていたいです。努力ができない遺伝持ちなのでしょうかね、分からないですけど。
これを周りに言うと「なんてみっともない、怠惰もはなはだしい、見ていて気持ち悪い、目障り、目標をつくろう、やりたいことはないの?、社会人として終わってる、人として終わってる」などと言われます。どうしてでしょうかね、人として産まれたくて産まれた訳ではないのですが(産まれる前のことは分からないですけどね)、人として目標を持って努力して生きることを強要されます。まるで、価値観の押し付けをされているようで、こういうのは非常に気持ち悪いです。
私は、人として生きるには不適合な遺伝子を持っているようですね、運ゲーに負けたんでしょう。
マズローの欲求五段階説ってあるじゃないですか。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求、の層に別れていて下層の欲求が満たされると次の層への欲求が出るというやつです。もしかして、私はまだ一番下の生理的欲求にいるから、その上の層の欲求が出てないだけでしょうかね。今現在、やりたいこととか目標がないんですよね。
こんな私みたいな人と人間らしく生きている人とでは、遺伝や環境がそもそも違うのでしょうかね。
遺伝や環境が恵まれていた人は、そうでない人の気持ちなんて、バカにしているから分かろうともしないのでしょうね。