今から記すことは全て持論であり、経験から形成された感情です。
人間関係を築いていく上で、嫌われる勇気が必要だなんて言うけれどそれを持つにはそれなりの顔が必要だと毎日思います。
顔が全てじゃないというのも少し分かるんですが、それは中身を知っているからこそ言えるのではないでしょうか。
そもそも初対面の人とお会いした時にまず目に入るのは顔なんです。身体の人もいるかもしれませんがSNSでもない限り、目と目を合わせる即ち顔を見るということなんです。
ものの例えで、毎日高級料理は飽きる。という風に美人を高級料理に例えている方をお見かけしますが、毎日何も塗らない食パンよりかは良いと思いませんか。これは持論ですが、、。
兎にも角にも顔が可愛くないだけでこんなにも不利な事があるなんて、と大人になってから本当によく思うようになりました。
学生の頃は露骨だったのがまだ良かったのかなと思います。例えば、可愛い子の周りには可愛い子しかいませんでした。
キラキラしていて眩しかった彼女たちの存在が同じ人間じゃないと思い続けていました。これは今でもそうですが、、。
今思えばあの頃の私は羨望の眼差しを向けていたのかもしれません。引き立て役として存在していたからこそ。
承認欲求を満たすのはきっと簡単です。
けれど可愛いっていいな。の中には社会に適応したいと思う心があるのです。私なんてと考えてばかりの日々から脱却しなければいけないからこそ思うのです。
それでも私はきっと今日も鏡を見て絶望して朝を迎えます。
可愛いっていいな。
この呪いのような感情はいつまでたっても消えそうにありません。