かたちが違うものは当然違うけれど、違いに意味はないと思う。
国語とか算数とかいう教科だって古代のどこかのおっさんがわかりやすく学べるように分類しただけのものだ。
それはすごいことだけどそれをまるで真実みたいに頑なに守る理由がわからない。
男らしさとか女らしさだって、おっ、なんか違うね良いじゃんドキドキするとかそんなものだったはずだ。
人種だって、なんかルーツが違って育ってきた環境が違うからそれぞれが適応して目とか肌の色が変わっていっただけのことだと思う。
年齢だって歳を重ねたらそれだけ色んなことを知るチャンスがあったからすごそうとか、まだ若いからダメージが回復するのが早くて元気だろうとかそんなもんじゃないの。
みんなには何が見えてるのかずっとわからない。
違うことってすごくも悪くもない。
違うことはただ違うことにしか思えない。
先輩後輩がよくわからないからみんなに敬語を使いたい。だってみんなそれなりに尊敬するところあるし。でもみんなにタメ口で話したい。だって仲良くなりたいし。
男とか女とかわからないからみんな好きになる。
自分の心の性別も知らない。というかそんなもの無いと思う。周りからそう見えるならそうだと思う。身体な性別はあるけど子どもを作れる相手の性別は決まってるってだけ。
話せるほうがコミュニケーションとりやすいから日本人のほうが理解できる確率は高いかなと思う。それだけ。
善とか悪とか良いとか悪いとか、前提が変われば変わるもの。相手とか場所とか時間とかで変わるものに真実はない。
レッテルを貼ったりラベリングすることは悪くないと思う。わかりやすくなる。誤解されたり利用して搾取したりすると苦しむ人が出るけれど。わかりやすいほうが嬉しいはずなのに、カテゴライズされること自体を悩んだり憎んだり悲しんだりするのはよくわからない。そこじゃないと思う。
学歴だってやってきたことを1から全部説明できないから手順を簡略化するひとつの指標でしかないはずだ。
どんな名前がついてもほんとうの姿は変わらないのに、なんで怒ったり歪めたりするんだろうなと思う。違う色を塗ってきた相手に怒るならまだわかる。なんで名前で相手をダメだって思ったり決めたりするんだろう。参考値でしかないはずなのに何が見えてるんだろう。
ものごころついたころからずーっと思ってる。
自分には見えない何かがあって、世の中の多くの人はそれを大切にしてるんだって。それが自分には見えなくて理解できないから生きづらいんだって。でもずっとわからない。
どこからが違うんだろう。何が違うんだろう。それで何が確定するんだろう。
どう思いますか?
もしわかる人がいたら教えてください。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
名前のない小瓶
自分には見えないものというより、見えているものが人それぞれ違うんです。
その前提の中で、どうにかお互いの意見や考えをまとめてより大きな力にまとめる努力、それが学問なり、礼儀作法なりです。ですが前提を忘れ、学問や礼儀作法そのものが正しいみたいに考えてしまう人はとても多いです。その人達の態度が、主さんの「なぜ?」を生みだしているのではないでしょうか。
逆に言えば、その「なぜ?」を追求できる人、本質を見抜こうとする人とは、主さんも話が合うと思いますよ。
ななしさん
私も似ている考えを持っています。
何度も考えてきました。今だ理解しきれません。
例えば色、日本で「緑色」という言葉がなかった時代、今の「緑色」は、「青」と呼ばれていて、いつからか「緑色」という言葉を知ったから、「緑色」は「青色」ではなくなった。
前後に善悪、優劣はなく、ただの、見ている側の事実もどきで、真理ではない。
名付けやカテゴライズは、それと同じように捉えています。
貴方の小瓶を見て、分からないなりにまた考えました。
全部私の仮説でしかなく、思考があちこちに飛んでいて、まだ煮詰まっていないです。的外れかもしれません。
必要ないと思ったら、読み飛ばしてください。最初と最後の数文を見るだけでも十分だと思います。
多くの人の考えには
・曖昧への恐れ
・決めたもの、決められたもの、先入観への執着
・言葉が万能だという考え
が、根本にあると思います。
得体の知れないもの、理解できないものは、名前を与えれば怖さが半減します。相手の形、そして相対的に自分の形がはっきりすると思えるからだと考えています。
曖昧を恐れた人は、性質や自分との違い、多くの想像を詰め込んで、出来上がった虚像と名前を結んで、固めたのだと思います。
虚像は自分で作ったもので、完全に把握できているので怖くないです。
そうしてできた虚像を定義し直すのは、とても難しい、あるいは怖いことだと思います。
「緑色」を知ったら、それ以降は緑色について考え直す人はほとんどいないのではないでしょうか。「緑色」というタグが常にちらつき、どうしても「青色」には見えなくなると思います。
曖昧の恐怖や煩わしさを再び感じないために、無意識に既存の名前に固執するのではないでしょうか。
言葉が万能だという考えについては、うまく説明できません。
「青色」といえば、思い浮かべる色はおそらく人の数あると思いますが、「青色」という言葉ひとつだけで問題なく無数の色をまとめて会話できる、知らない人の特徴を聞いて、実際には存在しない人を簡単にイメージし、それが本人だと思える、感情に名前があるのは、言葉が万能という考えに基づいたものだと思います。
名前をつけてカテゴライズされることに怒り悲しみ、名前で相手を判断するのは、これらが原因の一部ではないでしょうか。
誰かがつくった 名前=虚像=本体 、それが当たり前、疑いようのない絶対的なこの世の真理という考えが根付いていて、言葉の格子越し、自ら作った虚像でできた世界を大切にしているのではないかと思います。
境目がはっきりしていて、 怖い=未知 のものがより少なく、安全に感じられる世界です。
以上、私の現在の考えです。
なぜ貴方は、私は、それが見えず、理解できないのか、っていうのは、不思議ですね。
ななしさん
「男とか女とかわからないからみんな好きになる」
「身体な性別はあるけど子どもを作れる相手の性別は決まってるってだけ」
「自分には見えない何かがあって
自分には見えなくて理解できないから生きづらい」
きっと色んな事から逃げて生きてきたのですね。
それは生きるのが大変でしょう。
本当はそれを自分でも気づきながら
そこから目を逸らすために
自分には他人が考えないような思考や思想があって
小さい頃からそれを考え悩み苦しんでいて
世の中の多くの人より超越しているのだと
自分を言いきかせて生きてきたのではないですか。
本当は見えないのではなく
見えないフリをしているのではないですか。
自分自身から目を逸らして
自分自身とも他人とも向き合う事から
必死で逃げているのではないですか。
自分は女で男が好きだ
自分は男で女が好きだ
自分は女だが女が好きだ
自分は男だが男が好きだ
自分の心の根底を認めることが出来る人
自分を認めてあげられる人こそ本物です。
それが世の中の多くの人が見ているものです。
だから毎日が心地いいのです。
人生とはそんな些細な日々の積み重ねでしかありません。
だから楽しい人生になるのですよ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください