知り合いにこういう人が居る
誰が死んでも悲しくないと言う
理解が出来ない。なぜなのか
どんなに酷いことされてもやっぱり人の死は悲しいものだと思う。
悲しまない人間は強いと捉えていいのか?
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ななしさん
そういう人もいる、としか。
ヒトには向き不向きがあります。
私も親を亡くした時一番最初にしたのは有給休暇の計算でした。
でも悲しまない人間が迫害される事は知識として知っています。
だから悲しむべき時と判断したらちゃんと悲しいふりをします。
意外とそういう人っていると思いますよ、たとえ悲しんでるように見えたとしても。
ななしさん
自分語りにはなってしまいますが…。
10年前に、親友を火事で亡くしました。
当時は、「悲しい」という感情すら湧いてきませんでした。
ただただ無。
涙も1滴も出ませんでした。
そして、
から元気で頑張り続けた結果
私はうつになりました。
10年経った今、ようやく涙がぽろぽろと出てくるようになりました。
人の死を悲しまない人もいるかもしれませんが、私のように現実を受け入れたくなくて
から元気で毎日やっている人もいると思います。
おそらく、後者のほうが多いのではないでしょうか。
でも結局ツケが周ってくるものなので、
もし身近にそういう方がいたら
寄り添ってあげて欲しいです。
ななしさん
祖父、祖母、母が亡くなった時はとても泣きました。
身内はもう姉しかいなく、30年間の親友も大切な身内のような存在です。
その親友が先月亡くなっていたことを親友の子供から聞きました。
信じられなくて、信じたくなくて、考えたくなくて、感情に蓋をしたような状態です。
悲しいというより「うそでしょ、ふざけるなよ」という気持ちが強く、嘘なんじゃないかと思いたい自分がいるんだと思う。
これは今までにない感覚で自分でも戸惑っていますが、とてつもない心理ストレスがあるのか親友の死を知ってからとてつもなく激しい頭痛が続いています。日常生活もままならない。
これは私の場合ですが、実際に泣かなかったり気持ちが落ち込んでるようにも見えない人の中に、こういう人もいるのではないでしょうか。
ななしさん
私が知る限りでは、死を悲しまない人間には2パターンあります。
まず、人間に興味がない人。「亡くなった個人」あるいはもっと大きなくくりで「人間そのもの」に興味がないため、人が死んだことに対して「いつの間にかペンを一本失くしたな」くらいの感情しか湧かない人。
もうひとつは、死を絶対的な終わりだとは思っていない人。おそらくこのような人の死生観では、死後の世界でもまた会うことができたり、実は見えないだけで故人が魂として側にいてくれたりするのでしょう。
悲しまない人間が必ずしも強いわけではないと、個人的には思います。いろいろな考え方をする人間がいるだけです。
そして、いろいろな考え方をする人間がいる以上、「死は悲しいものではない」と考える人間もいるのです。
言葉がすべてだとは限りませんよ。
心に蓋をするあまり悲しみを感じられないという人もいますし、本当に悲しいという感情を抱かない人もいるでしょう。
ですがそれらは他人から見れば悲しみを感じないという点では同じです。人の心の内側は誰にも見ることはできません。
もし相手の気持ちの意味がわからなくても、そういう人がいるのだということだけ理解すればよいとわたしは思います。
"誰が死んでも”、ではないけれど、親が死んでも一抹の悲しみもない。
その人は一般論を述べたに過ぎないかもしれないけど、自分は悲しいどころか、心の重荷が下りてホッとすると思う。
酷い奴と思われても構わない。
どれだけの苦痛を味わってきたかなんて、他人には決して分からないから。
強いのではなく、悲しみという感情から離れた感情しか抱けないだけです。
そういう人の気持ちが理解できないのは仕方ない。
どんな人が死んでも悲しいと思える事が、理解できないという人もいるから。
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