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ひっかかり。障害者とか大変そうな人を可哀想、不幸だと決めつけるのは失礼だとか、優越感で思ってるだけとかよく言うけど、疑問に思う

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障害者とか大変そうな人を可哀想、不幸だと決めつけるのは失礼だとか、優越感で思ってるだけとかよく言うけど、疑問に思う。
それはそういう人の存在への罪悪感を感じたくない、楽になりたい為に切り捨てる、都合の良い言葉なんじゃないかな、
幸せとか人生の楽しみを守る為の。

現に当事者が不幸だと言ってるのを見たし、その他にも多いと思う。

でもだからって責める気もないし、自分が出来る事も少ないだろうし。

知りたいのは、不幸の差があるのかどうか、
、可哀想って思う自分は間違ってるのか、
って事かも(?)

名前のない小瓶
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ななしさん

障害に対する支援や技術の大半は「可哀想」という意識から生まれたものだと思います。

例えば生まれつき足がない人を個性だとすると、「自分らしく生きればいい」ということは、言い換えれば「両足がないと出来ないことはやるな・やりたいと望みを持つな」てことになります。
足がなくても支障ない範囲での人生を送れ、ということになってしまいます。
実際、昔に生まれた人はそうやって家に閉じこもるしかなく、貧しい家庭では「穀潰し」と疎まれていたのです。

「移動が出来なくて大変そう」とか「スポーツが好きなのに自分では出来なくて気の毒」て気持ちが、車椅子や義足を発明したのです。

「不便」と「不幸」は違うって意見もありますが、「何かが出来ないことは不幸だ」と感じる心こそが、誰かの不便を見つけられるんだと私は思います。
だから障害に対して「可哀想」「不幸」という価値観は、ある程度は必要だと思います。

必要なのは、お互い、立場を思いやり合うことだと思います。
例えば何かの作業について、障害者側が「時間がかかっても自分ひとりでやりたい」と思うなら、健常者側は手助けをせず見守る方がいいでしょう。

しかし、仮にその作業が「15分で終わらせないとヤバい」という事情があるなら、障害者側は自分の意思を通すのではなく、健常者に任せ、ちゃんと15分以内で終わらせるようにした方がいいはずです。

そして健常者側と障害者側が力を合わせ、障害がある人でもそれを15分で出来るシステムを考えてみる。
そうすれば今後は誰でもその作業に携わることが出来て、効率が良くなります。

同じ社会で暮らすなら、お互いの思いやりが必要です。
「理解」というと「健常者が障害者を理解」という意味で使われることが大半ですが、障害者も健常者の気持ちや事情、支援に関わる負担�などに理解が必要だと思います。

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