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大学全落ち高校中退。大学受験全落ちしました。高校三年生です。私は中学受験をし、第一希望の中高一貫校に進学しました

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大学受験全落ちしました。高校三年生です。見苦しいく長い文章ですが、吐き出させて下さい。

私は中学受験をし、第一希望の中高一貫校に進学しました。そこは所謂進学校で、毎年卒業生のほとんどが難関大学に進学しています。また部活動も盛んな学校だったので私も幼い頃からやっていた剣道部に所属し、部活と勉強に明け暮れていました。自分で言うのもなんですが、成績もよく部活でもいつもレギュラーで試合に出させてもらっていて、まぁまぁ順風満帆な生活だったかと思います。

その生活が崩れたのは中学3年生の秋頃でした。喘息になり、学校に通えなくなったのです。

私は今まで勉強にも部活にも努力を欠かしたことがなかったのですが、物理的に勉強と部活が遮断され、それと同時に「喘息でできないんだから仕方ない。もうやらなくてもいいんだ。」と思い努力することをぱったりとやめてしまいました。ちょうど成績が上がらなくて勉強に嫌気がさしていて、部活もスランプの時期だったので、当時は渡りに船のような感じでした。

高校受験もなかったので、そのまま付属の高校に不登校気味のまま進学しました。

しかし、それから先が本当に地獄でした。一度努力をやめて楽な方に逃げたことで、どうやって勉強すればいいか、どうやって努力をしたらいいかわからなくなってしまったのです。やらなければならないのはわかっていても、手につかない、やる気が出ない。昼間にやるべきことが終わらず、深夜まで起きる。深夜まで起きてもできない。むしろ夜遅くなればなるほど喘息は悪化する。生活は完全に昼夜逆転し、喘息も悪化しました。また、やるべきことができないというストレスと焦りから頻繁に過呼吸になりました。学校にも当然ろくに通えませんでした。しかし中3~高1にかけては、クラスに仲のいい友達もいてまだ学校に行くのも楽しかったので高校一年生の時は何とか出席日数ギリギリで単位を取得し、進級しました。部活は行ったり行かなかったりのなぁなぁな感じでした。

高校二年生になると、今までのものに加えて新たな要因ができ、さらに学校に行けなくなりました。親友と仲たがいしたのです。その子とは中学1年生のころからの付き合いで、お互いに何も言わなくてもわかるくらいの関係性だったのですが、思い出せないほど些細なことがきっかけでぎくしゃくしてしまいました。おそらく普段なら気に留めないようなことでしたが、自分の状況にナーバスになっていた私が考えすぎたことが原因かと思います。私のせいですね。友達とうまくいかなくなったことでだんだん周りの目が気になりだし、いよいよ席に座って授業を受けることが困難になりました。気持ちがそわそわして、心臓のあたりが苦しくなり、手足がガタガタと震えました。また元々失笑恐怖症だったので、緊張すればするほど笑いそうになり、余計に恥ずかしくて周りの目が気になりました。毎日消えたくて消えたくてたまりませんでしたが、死ぬ勇気はありませんでした。状況を変えたくて個別指導の塾にも通い始めましたが、たいして成績も変わりませんでした。いかに先生がいい授業をしてくださっても、当の私がたいしてやらなければ上がるわけないですよね。当然です。結局高校二年生は出席日数が足りず、単位を取りきることができませんでした。ただ私の学校は決まった単位数までなら次年度に取得しなおすことができたので、進級はしました。部活は高校二年生で引退なのですが、結局幽霊部員のまま1年が終わりました。部員の皆には本当に迷惑をかけて申し訳なかったです。

ここまで読んできて、なぜ通信制高校等に転校しなかったのか疑問に思う方もいるでしょう。また、なぜ幽霊部員になってまで部活をやめなかったのか。実際親からは何度も転校を勧められましたし、部活をやめたらとも言われました。それでも私は転校できず、部活もやめられませんでした。プライドが高かったのと、所属を失いたくなかったのが原因です。まずこの文章からもわかるようにとにかく私はプライドが高い人間でした。主に学歴方面ですね。人生でろくな挫折をしたことがなかったのも相まって私の変なプライドはどんどん増長していきました。これはのちの大学受験にも響くのですが、そんな私は通信制高校に通うということが認められず、どうしてもここを卒業すると意地になっていました。二点目の所属を失いたくないというのは、部活をやめたり高校を変えたりすることで自分が何者でもなくなってしまうのではないかという恐怖心を抱いていたということですね。この2点により私はなぁなぁなまま取り残されました。部員や親には本当に迷惑をかけてしまったので今では本当に愚かな選択だったと思っていますが、当時の私にはそれがすべてでした。

ここに来るまでに自分は鬱なのかと思い、いくつかの心療内科にかかり、学校の相談室にも通ったのですが、どこに行っても「あなたは自分を分析できているから大丈夫」としか言われませんでした。大丈夫と言われて安心する反面、鬱じゃないなら本当にただ怠けているだけという事実を直視するのもそれはそれで辛かったです。結局のところどうなのかは、いまだによくわかっていません。自律神経がおかしいのと、怠けているのと半々くらいなんですかね。

高校三年生になって、いよいよ受験生としての生活が始まりました。前述したように私はとにかくプライドが高かったので、ろくに勉強してこなかったのに難関大学を目指し始めました。しかし、これまで何もやってこなかった人間がいきなり学校に通って普通に受験勉強するなんてまぁ無理な話で、たいした勉強もできずまた周りの受験へのピリピリした雰囲気に耐えられず結局不登校になりました。このパターン、もう3年目です。何回繰り返せば気が済むんでしょうか。勿論出席日数が足りず、夏休み前の段階で高校を卒業できないことが決まりました。今まで散々プライドがどうのこうの言ってきましたが、卒業できないと聞いたときには何の感情も浮かびませんでした。「そうか」という感じでした。高校を留年するか、高卒認定試験を取得して大学を受けるかの二択でしたが、留年しても卒業できる気がしなかったので高卒認定試験を取ることにしました。幸い高卒認定試験に必要な科目は一科目だけだったので、すんなりと取ることができました。また、塾の先生に勧められて英検を受けてみたところ本当にたまたま合格しました。このあたりで高校中退が決まったにも関わらず、私は調子に乗りました。「大学受験ワンチャン、いけるんじゃね?」って感じですね。もともと試験に落ちたことがなかった上に、英検を使えば少ない科目で受験できたり、第一希望の大学の入試方式に高卒認定で勉強したことが生かせる小論文の試験を見つけたりしたので、大学受験もなんだかんだ行ける気がしました。他の受験生に比べたら遥かに勉強していないのに、謎の根拠のない自信に満ち溢れていました。

受験勉強では、私なりに今までよりは勉強し、特に小論文は性に合っていたので結構やりこみました。逆に選択科目は最後でいいやと後回しにし続けた結果、あまり完成しませんでした。英語は長文は読めるのに基本的な文法問題が解けずに最後まで成績が上がらなかったので英検におんぶにだっこな状態で試験が近づいていきました。精神的に不安定でしたが、自分が受験勉強できているという事実が普通の人と同じようになれた気がして少し嬉しくもありました。

しかし、受験校を決めるにあたってまたしょうもないプライドがむくむくとこみ上げてきました。行きたいところ、すなわち難関校しか受験したくないというやつですね。難関大学を難関だと思っていなかった私は、何となく想定する難関大学群には入れると思い込んでいました。またそれより下の大学に行くのは恥ずかしいし親に申し訳ないとも思っていたので、せめて想定の一つ下のランクの大学を受けて後は難関大学群の大学を受験しようと考えていました。勿論難関大学群は物凄く難しいですし、その一つ下のランクの大学も本当に難しいところです。両親は通えるならどこでもいいと言ってくれたのですが、本当に私は世間知らずでした。結局12月に滑り止め校を受験して、2月に本命という形で落ち着きました。

そして12月の受験。見事に落ちました。薬の副作用で試験で爆睡という大ポカをやらかして。試験で寝た時点で終わったなと思ったのですが、不合格の文字を見て絶望しました。願書を書いている際、高校名をかけずに認定試験と記入したときにも将来に一抹の不安を感じたのですが、かなり未来が見えなくなりましたね。その学校は1月にも試験があったのですが、トラウマになって受けられませんでした。また恥ずかしながら、その時のショックからまた机に座れなくなり、冬休みを棒に振りました。

1月の半ば前あたりでようやく立て直したのですが、一度失敗したにも関わらずやはり滑り止めを受けることはしませんでした。とにかく英語ができないので滑り止めの大学の英語対策をしたくないというのもあったのですが、一番は何とかなると思っていたからです。第一志望は小論文の入試のみにし、あとは英語の相性がすこぶるよかった一つ下のランクの大学を受けられるだけ受けることにしました。小論文にはかなりの自信があったため受かると思いましたし、英語の相性がいい大学も何回も受けたら一回くらいは受かるだろうと思っていました。万が一ダメだったらその時に考えようとも思っていました。

いよいよ本番です。まず小論文で大失敗し、私の天狗になっていた鼻は木端微塵に砕け散りました。文章を書きながら「これは落ちる」と思ったのは初めての経験でした。自分で書きながら、自分がこんなに汚い文章を書いていることにショックを受けました。次に英語の相性がいい大学ですが、実力不足と同時に、受験日程を詰めすぎたせいで最終日に体調を崩しました。喘息の発作が出て別室受験になったのですが、3限目の英語でスイッチが切れてしまい字が書けなくなりました。これも初めての経験でした。

結果全落ちです。合否判定サイトには不合格の文字が並んでいます。ショックも重なりすぎると虚無になるようです。第一志望の不合格を見たときには涙があふれて止まらなかったのですが、同時に泣くほど私はこの大学に行きたかったのかとどこか他人事のように感じました。第二志望の大学は不合格の文字を見ても妥当としか思えませんでした。単純に実力が足りなかったのだなと思いました。もう、合格の文字が並ぶことが想像できません。
万が一の三月受験に突入したわけですが、どこの大学も受かる気がしません。毎日勉強はしているものの、それほど身が入っていません。

負け惜しみのように聞こえると思いますが、この生活をしてきて唯一学んだのは人生に無駄はないということです。この遠回りすぎる人生も、私がカスみたいなプライドを捨て、また人の痛みをわかるようになるには必要な経験だったのだろうと思います。しかしながら、決して安くない私立の中高一貫校に行かせてもらい、決して安くない個別指導塾に通わせてもらったにも関わらず、高校は卒業できずに大学も全落ちという事実がただただ親に申し訳ないです。同い年のいとこは工業高校を優秀な成績で卒業し、春から社会人として働くそうです。そんな中で高校中退で精神も未熟な私は就職もできずにこのざまです。親戚にも顔向けできません。私の唯一の長所は外面がいいことだったのですが、それもなくなりました。中学受験を頑張った数年前の自分にも申し訳ないですね。本当にこんなはずじゃなかった。

こんなまとまりのない長い文章を最後まで読んで下さりありがとうございました。自分がだめだと思っている方、もっとだめだめな私がいるので大丈夫ですよ!お互いなんとか生きてきましょうね。
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お返事が届いています
ななしさん
こんにちは。

まったく同じ状況とまではいきませんが、大学受験に失敗した者として、なにかできることはないか、と思い、返信させていただきます。

私も高校3年生です。プライドの高さゆえに受験校を難関校のみに絞り、そのまま落ちました。
勉強はしました。でも人より確実に時間と量という点で劣っていたと思います。
大学受験は落ちる人と受かる人がいて、落ちる人の方が何倍も多いということは理解していても、先輩がバカスカ合格しているそこそこの進学校だったので、その事実に気づきませんでした。
落ちてみないと自分の実力さえも理解できないなんて、どれだけ自尊心まみれで現実を直視する力がないんですかね、私笑。

自分の話ばっかしてすみません。

私のプライドというプライドは吹っ飛びました。友達にも祖父母にも塾の先生にも後輩にも親にもクッソ恥ずかしくて消えてえ〜と毎日思います。

でも、まあ死ぬわけじゃないし。と自分の中のハードルを限りなく下げて、現実から目を背けて、だましだまし生きています。
こういうふうに考えて生きることが、正解なのかは分かりませんが、とりあえず自分のハードル下げて生きてみませんか。私もあなたも。

とりあえずここから回復しないと、また何かを始めることもできないと思うのです。
私は浪人することにしました。ちゃんと完遂できるかは分かりません。周りのことも気になるし、多分一生人のSNS見てびくびくしながら生きていくと思います。でも決めました。
人生何度でもやり直せるというのは嘘だと思いますが、まあ数回ならやり直せるのではないでしょうか。特に大学受験なんかは、浪人という道があります。浪人してる人が周りにもたくさんいます。
なにより、私たちはまだ18歳です。18歳ですよ?人生1世紀時代、まだ若いです。かなり若いです。
いろいろできることはあるはずです。
あきらめず、一緒に足掻きましょう。

私もがんばります。

p.s.つらいときは上を見上げるといいらしいです。同い年なのになんか上からですみません。あなたの人生に幸せが訪れますように。
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