このお手紙は『アルジャーノンに花束を』の内容を踏まえたうえで執筆しています。
当然、物語後半のネタバレを含むこともあるでしょう。
読んだことがないのなら、このお手紙をそっと畳むことをお勧めします。
こんなところで知ってしまっては、せっかくの物語が薄く色褪せてしまうことでしょう。
自らの手で物語を読み解いていったほうが、きっとあなたの糧になりますから。
◇ ◇ ◇
さて……注意書きを読まれてもなおここまで読み進めているのなら、あなたは少なくとも一度は読んだことがあるのですね。
ならば、こちらとしても腰を据えて駄文を綴ることができます。
しばしお付き合いください。
『アルジャーノンに花束を』の主人公、チャーリイ・ゴードンは、言葉を選ばないなら「幸福な知的障碍者」だと言えます。
彼は手術によって一度天才となり、世界の残酷さや冷たさを理解して、自らも人を見下すようになってしまう、最後にはまた知能が低下していってしまう。
彼は賢かったころの記憶を少しずつ忘れていきますが、彼の中には人を慈しむ心だけは失われなかった。
そうして、彼は彼だけの幸せをゆっくりと歩み始めていく……物語のラストはそのように思える、正しくは『思いたい』ものでした。
そしてこの物語を読んだ後、私は心のどこかで「パン屋の連中とは違う」と思い込んでいました。
チャーリイを見下したり、畏怖したりしないような人間であり、彼らを馬鹿にするようなことは決してないと。
しかし、人間というのはそう単純ではありませんでした。
とある雨の日でした。
駅前で友人と電話をしていると、後ろから声が聞こえました。
恐らくは年配の男性、街中の独り言にしては大きな声でした。
彼は、私の言葉をそのままオウム返ししていました。
私が「え?」と友人に聞き返せば、その老人は「え?」と大きな声で言いました。
私が「ごめんね」と友人に断りを入れれば、「ごめんね」と大きな声で言いました。
私は振り返ることもできず、その場を早足で去りました。
高鳴る心拍数は、突然の運動によるものだと納得させて。
怖かった。
その老人は、駅前で一体何をしていたのか。
私の言葉を繰り返していたのはなぜだったのか。
得体のしれない存在に恐怖心を抱くことというのは、人間として、生物として当たり前のことです。
私はそれを理解せずに、パン屋で働くギンピィたちを見下し、私だけはチャーリイの理解者でありたいと、とても傲慢な態度を取っていたのです。
そのことを、老人は教えてくれました。
文学で得た学び、教えを、まるでスポンジのようにそのまま吸収することはとても難しい。
私たちには生存欲求があり、社会的欲求があり、自尊心がある。
数多の小説たちが描いてくれる、様々な物語すべてを取り入れた先にあるのは、きっと聖人君主のような人間ではなく、様々な矛盾と不条理に押しつぶされそうになりながら、何が正しいのかもわからなくなってしまった肉塊なのでしょうね。
ところで……面白いですよね、アルジャーノンに花束を。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください