名前のない小瓶
34529通目の宛名のないメール
小瓶主
信心ほど語るに愚かしいこともない 当人の前以外で言われる文句ほど意味のないものはない 全ての失敗は自分自身に
・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
「間違っていますか?」と聞かれるのって難しいですね。
「私の考え方をどう思いますか?」なら、自分の意見を書きますが、間違っているかと聞かれたら「そんなことない。そういう考え方の人もいるだろうね」としか言えない。
だってその考え方は、あなたの生き方とか、自分を守るための指針だったんだろうから。
あなたの必死に生きてきた時間をまるごと否定するようなこと、言えるはすがない。
それよりも私はお返事にある「少数派であろう私の考え方」という方が気になりました。
なぜ自分が少数派と決めつけるのですか?
今までにあなたが知り合った人達が、たまたまあなたと違う考えの人だっただけで、世の中見渡せばあなたに同調する人がたくさんいて、もしかしたらあなたは多数派かもしれないのに。
或いは、本当に少数派でも、馬鹿にしたり差別したりせず、ありのままにあなたを受け入れる派閥もあるかもしれない。
だからね、変わってるのが良くないのではなくて、自分が変わってることを理由に、他人をまっすぐ見ようとしないのが良くないんじゃないかと思うんです。
自分は他人と違う。変わってる。
わかってもらえない。
いいんですか。そんな簡単に結論出しちゃって。
そういう結論を出したことで、この先あなたと知りあい、あなたのことをわかりたい・一緒に仲良く生きたいと思う人達の姿も見えなくなりますよ。
自分の考え方が合ってるか間違ってるか知りたいのは、このまま進んで自分は大丈夫かを知りたいということ。幸せへの道を模索していることだと感じます。
「私はこうだ」と主張するだけでなく、「あなたはどうなの?」と聞ける人、聞きたいと思える相手に出会えたら、あなたは「認めなきゃいけない」なんて緊迫観念でなく、「認め合いたい」と自然に思えるはずです。
その方が、自分も相手も無理に曲げずに済んで、お互い気持ちよく付き合えるんじゃないでしょうか。