LINEスタンプ 宛メとは?
カテゴリ
小瓶主さんからのお返事が来た小瓶
名前のない小瓶
47909通目の宛名のないメール 小瓶主

ストレスへの耐久性は、本人の生まれ持った性質だけでなく、ストレス発散できる趣味があるか、相談できる相手が

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
お寄せいただいた返信に対する返信です。
私の考えの整理を兼ねた結果かなりの長文になったので、面倒なら読み飛ばしていただいて結構です。


努力は必ずしも成果が出るものではないので、そこまで万能なものではなく、
努力したから結果がある、ということはあっても、単純に結果がある=努力した、結果がない=努力してない、とはいえないと思います。

そのため、他人の状況を考えるとき、
“良い環境にいるのは努力出来る性質であるから”、“悪い環境にいるのは努力出来ない性質であるから”とは、私は捉えていません。
『良い環境にいる人』というのは、本人の努力の賜物かもしれないし、運や巡り合わせ(=努力する前の初めの状況、努力でどうにか出来るかどうかというのもここに含まれると思います)によるものかもしれないし、あるいはその両方かもしれません。
『悪い環境にいる人』というのは、本人が努力してこなかったせいかもしれないし、努力はしたけど運や巡り合わせといったものに勝てなかったのかもしれません。

あるいは普段は努力出来る人だけど、それが間に合わなかったり、環境を変える前に疲れ果てて、努力する気力自体を失ってしまったのかもしれません。

同じ結果であるとしても、そこに至るまでは色々な理由があり得ると思います。
したがって、元の小瓶にある相談できる人の有無、趣味の有無、愚痴をこぼす場所の有無は、

努力出来るかどうかという本人の性質だけでは、一概には説明出来ないと考えます。

この場合、磨耗と慣れは個人的には殆ど同じものを表していると思います。
悪い意味での慣れ、慣れてはいけないものに対する慣れは、磨耗や麻痺と呼べるのではないかと。

何を不毛な痛みや苦しみとするかは本人の認識次第で、必ずしも不毛なものと認識されない、とは言い切れないと思います。
ご返信の中にある震災の例は、ご本人が不毛と捉えず意味を見出しているので、確かに何かしらを学べる痛みだったのかもしれません。
しかし、気を付けてどうにかなるわけではない(=理不尽で防災や小石に気をつけるなど危機管理の方法はない)、あるいは失った何かの大切さを学んだところでもう何も残ってないので(本人にとっては)仕方がないという痛みや苦しみもあると思います。

また、例えば転んで怪我をして痛みを感じた時、その痛みのために足が動かせなくなることがあると思います。
しかし、生きていくためにどうしても歩かなければならず、痛みに耐えながらのろのろと足を動かす時、その痛みは邪魔なものということになります。
そういう時、転んだ痛みから多少の何かを学べたとしても、優先順位的にはほとんど意味がなく、不毛な痛みと捉えられると思います。
そのような経験を繰り返すと、痛みや苦しみを感じること自体が“自分が今しなければならないこと”の前では邪魔になり、適応するために徐々に感覚を麻痺させていく(慣れてはいけないものへの慣れが出てくる、磨耗する)のではないかと考えました。

その経験を次に活かしようがない、失ったものの大切さを学んでも仕方がないタイプの痛みや苦しみであること、
加えてその痛みや苦しみは足が止まってしまうほどだが、足を止めていられる状況でないことが、元の小瓶で考えていた『傷付いたり苦しむこと』の前提でした。

痛みや苦しみが不毛ではなく何かを学び取れるということも当然あり得ますが、必ずしも全てがそうというわけではなく、『人間にとって』という大きな主語を当てはめることは出来ないと思います。
まりちゃん
47966通目の宛名のないメール 小瓶主

学習障害だの、多動だの、アスペルガーだの、ADHDだの・・・の、バットの芯についての記事あった

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
まりちゃん
ぬし)
もと1通目さんへ。

5通め読みました。
悲しい気持ちに、なられたのかなぁと、読みながら
わたしのなかにも、その感情が広がりました。
伝わらなかった、悲しみかなぁ。
徒労というよりは・・。

なにもしなくて、いいよう気がしました、
それ以上、無理には。
わかってあげようと頑張るとかね、そういうようなこと。
別の解釈、出来る時は、自然に来るときゃ
自然に来るから。(むりせず)

わたしね、自分もまだ、全然途上中だから
やりかけていることを書くとね、
伝わらなかった思いとか、
かなしみって、
ね、

すごいむなしさもだけど、感情自体は排除しなくて
いいと思うのです。
キツいけど、感じ切る。
自分の中にあってもいいから。
それで、強い人間になる!とかじゃなくて。

ただ、喜怒哀楽、ぜんぶあっていいもんねーーの意味で。

わたしはね、あなたのお返事、二つとも読むかぎり、
あなたは、この面に関しては(他は知らん)
いい人だと思った。

やさしいとか、そういう、ぬるいんじゃなくて、
「いい人」だと思ったよ。
名前のない小瓶
47959通目の宛名のないメール 小瓶主

何もなくていい。平たんな人生でいい。そんな風に思っちゃうんだ。結局、嬉しいことがあっても傷つくことになる

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
烏羽
よし、まったく一通目さんとは無関係の他人だが、簡単な算数をしよう。(←いきなり何だお前)

(やってみたければどうぞ)

幸せな事が1つあったとしよう。
その大きさをプラス1と数えてみる。

不幸な事が1つあったとしよう。
その大きさをマイナス1と数えてみる。

1ー1=0。確かに足したら0だな。

じゃあ、不幸な事があって、そこから幸せになったとする。
ー1+1=?

…え?なんで=?になるのかって?
答えは0だって?


主さんにとって、0は幸せなのか?

もしそうでないなら、=+1の筈だから、最初よりも幸せになってる筈だ。

もし、その答えがゼロだと思うんなら、ゼロなんだろうな。
…でも、答えは0+1でもあるんだぜ。
その上、1−0でもある。

0はな、何も存在しない事だ。
そんな事知ってるって?

まあまあ、もうちょっとだけ付きおうてくれんか。
0は何も存在しない事を表しているが、もっといろんな事を表している数字だと思うんだ。

凄くないか?
0+1って式を立てても、1−0の式も、0があるのに答えが1なんだぜ?
結局、=0±1!
って事は、0は1と関わりを持つ事が出来る上に、その上で全く変化しないし、関わりを持った上で変化なく存在する事が出来る!
足しても引かれても、掛けても掛けられても、割っても割られても0は0!

Oh!Zero〜!

ゼロを数えるかどうかは人による。
でも、計算上、省いたからといって、無くなるわけではない。
0だけじゃなく、1もそう。他の数字もそうだ。

でも、なんでゼロに注目したかっていうと、ゼロは他の数字も兼ねているからだ。
なんで0があるのか。不幸だった事や、楽しかった事がなくなるわけではないから、だと思うんだよ。

楽しいと感じる時は、プラス1に目や意識が向いてる。
逆に悲しいとかは、マイナス1だとして考えてみようか。

でも、今までの楽しかった事や悲しかった事が、記憶を忘れても、過去がなくなるわけじゃない。
その集合体、全てを計算して、省略されたのが、0なんだと思う。

だから、0は全てを兼ねる。(事もある)
だからこそ、そこから過去を引っ張り出してきたり、未来の話を持ち出してきたりする事もできる。
逆に、引っ込める事も、数えない事もね。

でも、万能な0に表せない事もある。
それは、未来そのものの姿。

0から出来るのは、今までの全ての式の中から、要素を引っ張って来て、その中での未来を計算する事。

0は何もない事も表してる。
未来というその計算が、計算という枠からはみ出す事がないことも。

意味があるのかないのか。
わからないのが今の答えなのではないかな?

それとも、意味が欲しいのか欲しくないのか。

俺も意味はあると思う方の人間かな。
でも、同時にない場合もあると思ってる。

答えには必ず0が含まれているものさ。
そこに意識が行けば、そりゃあたり前のように0。ゼロはゼロ。

意味ったって、そんな大きなものじゃないだろう。
幸せでいたい、不幸は嫌だ。幸せなのにそこから不幸になる落差は嫌だ。
幸せと不幸の繰り返しの中で、それになんの意味があるのか、その中にいて苦しいのに。
それを嫌だと思ってるなら、それも、小さく感じようと、意味だと思えなくとも、立派な意味になる、出来ると思うんだがね。

未来を作る大事なもの、っていう事も、俺なりにそうなんだと思う。
今の自分が未来へ進んでいるんだから。

悲しい事が待っているのだと考えれば、悲しい事が大きく目につく事もあるだろう。
楽しい事が待っているのだと信じれば、楽しい事が大きく感じられる事もあるだろう。

傷付くことは辛い。苦しい。痛い。
でも、それを知る事自体は、必ず役に立てられる。
というか、いつの間にか役立ってると思うよ。(それが何なのかはあえて言わん。いつか自分で味わってくれ)

多分、小瓶主さんは悲しい事を避けようと頑張ってきたのかもしれない。
でも、上手くいかない事も沢山あったかもしれない。それに疲れちゃったのかもしれんね。

詳しい事情はわからんから、その辺はなんとも言えんのだけど、プラス1を幸せと置き換えられるように、マイナス1を不幸と意味付けられるように、意味は自分でも作る事ができると思う。
そしてそれも、0の力のようなものなのかもしれない。

捉えようによっては、0は何もないという事。原点でもあるという事。
原点に帰れるという事も、0の力だと思う。

…プラマイ0とかはその人の考えとかもあるだろうからよくわからんし、0がどうだとか、力があるとか、単なる妄想の域を出るものではないけどさ(結局俺が0の話をしたかっただけ笑)
探してみるのもいいんじゃないかな。自分なりに納得の行く…かどうかはわからないけども、自分なりの意味をさ。

あと、気分が落ち込んでいる時に物事を考えると、その気分につられて、そのままブーストして落ち込むような事を考えちゃう事もあるから、そこはあったかい茶でも飲むなり、ある程度落ち着いて考える方が精神衛生上良いというか…そこら辺は人という生き物として仕方がないかもしれんので注意な。
名前のない小瓶
47909通目の宛名のないメール 小瓶主

ストレスへの耐久性は、本人の生まれ持った性質だけでなく、ストレス発散できる趣味があるか、相談できる相手が

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
烏羽
ちょっと思う所があったので書いてみます。
…とはいえ、俺も5通目さん方と似たような感じかなあ。

ちょっと言えど、ちょっと所じゃなく長いのでご注意を。

結局、できるできないも推測にしか過ぎないし、逆に言えばそれをそう意味付けする事ができるのも人だし。
人間は言葉を作れるんだから、言葉に意味やイメージを付けられる筈で、って事は意味やイメージを考え出せる、自分の中に作れるんじゃないかと思うんだよね。

だから本当は、したいか、したくないか、今現在の自分から考えているだけだと思う。

無駄な経験など1つもない、というのは確かに嘘や気休めだね。けれど、確かに真実でもある。
様々な価値観があって、様々な人がいて、様々なものの見方がある以上、ぶっちゃけ誰にでも通用する正確な事なんて、ほぼないと思う。
あったとしても、指で数えられるくらいかもね。

そんな風に考えたりして、俺は使った事がある言葉。

事細かいので厳しく感じるかもしれんのだけど…
お返事を見るに、それ何故を嘘や気休めと思うのかという前提(だと俺が判断できたもの)がないし、それ自体がどんな言説なのか、それに対してどう思ったのかわからないから、自分としては本当に突き詰めて考えられないかな。

ただ、そのわからない上で自分なりに考えてみるんなら(これが失礼に当たる時もあるので、そん時はマジですまん)
確かに、必ずしも正確ではないね。でも、必ず正解ではない事もない、とも言えると思う。

心と同じよ。
形がないものに形を付けても、一面にはなるかもしれないが、その全てを余す事なく正確に、見えるような物質にして表す事などできる筈もない。(まず見えないものだし笑)
話は少し逸れるけど、心は一人の人から発せられる脳波や、脳波や化学物質だけで出来ているものじゃないし。
(その物質なりのやりとり込みで、心だろうなあ)

磨耗する事はあっても、同じように、宝石のように磨かれる事も、砂つぶのようになる事も、雪玉のように転がって大きくなる事もある。
ものじゃないから、無くなる、というのも、あるにはあるけど、本質的にはないと思う。
心には矛盾もあるし、はっきりしているわけでもなく、はっきりしていないわけでもなく、単純な化学反応だけで全てを推し量れる訳ではないと思うんね。
(よく誤解されがちなイメージを勝手に思い描いてるんだけど、本当は科学も宗教も絶対正しいものじゃなくて、人間の文明の蓄積、その一部だからね、後付けであって、それが全てじゃない。)

そもそも&もともと、心と心のやりとりなのだから、それを乗せる言葉にしたって同じ。
どんなに努力して、近付けることはできても、正確に全てを伝えられる訳もない。ましてや、当人や、当人が言葉を向けた人以外には、更に伝わらないんだろうね。

たとえ理不尽があっても、それに対して何もしようとしなくても、鬱屈なりなんなり、いつの間にか溜まると思うけどなあ。
だから、気付けなかろうが嫌な事は嫌だし、それに抗おう、それができなくとも何とか、なんとかしようと思ったり、いつの間にか動いてるものじゃない?
今までの自分の全てを、知らず知らず総動員してさ。

転べば転ぶとはどういう事なのか学び、痛みや悲しみやどうしようもなさ、後悔やらなんやら、そして瘡蓋を知る。
理不尽も同じように、理不尽とはなんなのかを知るからこそ、言葉に出す出さないは別に、理不尽とはどういうものかイメージして語れるものではないのかな?

理不尽の痛みや苦しみ、それらを知る事や、それらが自分にとって耐え難いものだと知る事は、無駄ではないと思う。

それに、なんとかなるものではない…例えば、いつの間にか宇宙がなくなって命がなくなっていたとか、そんな事対処しようがないし、起こるなんて考えないでしょ?
でも、それを想定したり、それに近い事を経験して、抱えて大事に生きていく事が無駄なのかというと、違うでしょ?

逆に、そんな事どうしようもない。考えても無駄だ。そんなの関係ないとして生きていく。
…と、思ったとしても、価値観が広がったという観点において、本当の意味で無駄なんてないと、俺は考えるかな。

理不尽な痛み、苦しみ、そういうものを体感して知るからこそ、同じような立場の人の気持ちがわかる事もある。
それが嫌なんだと、自分の事を知る事ができる。

理不尽、というか、起きた事は仕方がなかった、という事を知る事ができるかもしれない。

もちろん、だからと言って理不尽さを受けに行けと言うわけじゃない。誰だって嫌なもんは嫌だろ。
抗えるなら抗ったり、なんとかしようと、一度や二度でも思うもんだろ。

転びそうな人がいれば、自分が転んだ事を思い知ったからこそ、出来るかどうかは別にして、手を差し伸ばしたくなる事もあるっしょ。

よく綺麗事だとかいう言葉も聞くけど、綺麗事だからなんなんだろうとつくづく思うね。
そもそも、それがどう、誰に響くのか、誰にもわからんのだ。

綺麗事、そりゃそうさ。
言った当人なり、体感した事があったり、真正面からぶち当たって本気で悩んだ奴らにしか、その本当の意味は解らんだろうよ。

俺も馬鹿だから、だから何?としか思えんかったが、そういうものもあるにはあると学んだ。

言葉が悪くなるのですまんのだけど、時には、じゃない。
気休めや体裁の良い上っ面としてその言葉を使った事はないが、気休め、というか思いやりはいつも必要なんじゃないかね。
人間だからな。オイルや歯車、必要な部品だけを変えれば済むってもんじゃない。
思いやりのそれだけがあれば充分って訳でもない。

そういう点から見れば不便かもしれんが、だからこそ、不便を知る事で、効率とは何かとなんなり、自分のペースなりなんなり、相手を慮るなりなんなり、知る事ができる。更に増える価値観がある。
その増える価値観や、その中で悩んで、必死こいて考えたのが、科学や宗教やら文明やら、人という枠を外れれば、遺伝子やらだと思う。
それらを作り出したり、生み出したり。…そう考えてみると、それには全部必要だったんじゃないか?って。

そうして、その時その時の全部を持ってして、未来を思ってくれた人がいるからこそ、ここに生きてるんだと思う。
良い未来にしようとして来てくれた人がいるからこそ、人類の文明が発展してきたんじゃないんかな、と思うよ。

(読み返してみると何故か、いつの間にやら壮大になった笑)

まあ、要所要所違うと思う事があるなら違うでいいんだわ。
無理矢理、訳もわからず価値観を変えられても、俺も困るし申し訳ない。
そもそも、全部考えた事であって、事実かどうかもわからんしな。

ただ、最後に、余計かもしんないけど、大事だと思ったので。
その発達障害だか自閉症スペクトラムだかなんだか詳しくはわかんないけど、そういう人であっても、心がないわけではないと思うよ。

平均(という言葉もなんだか微妙だが)から見ると、とても小さい心の動きだと言えるかもしれないけどさ。赤ん坊の頃なんて、みんなそうだったと思う。
訳もわからず泣いて、訳もわからずから笑いして、どんな感情だとかなんだとか、あとから知ってったもんじゃないかなあと。

発達障害の事を詳しく知らんけど、要因になるのは先天性のものちゃうん?剥ぎ取られたんじゃなくて、その発達が他より遅いだけじゃないかね。
障害だとかから敬遠されるイメージがあるけど、もともと成長なり理解なり学びの速度なり、人それぞれ違うもんだし。

…というか、俺も詳しい知識がない上、そのSNSも知らん上での返事だからなんとも言えんのだが、本当にそれ発達障害なのか…?

別に答えんでええけどね(お返事強要じゃないって事ね)
本当に(先天的な)発達障害なら、まあネット知識なのであてにはならんけど、摩耗とはあまり関係がないような気がしたもんで。
まりちゃん
47966通目の宛名のないメール 小瓶主

学習障害だの、多動だの、アスペルガーだの、ADHDだの・・・の、バットの芯についての記事あった

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
まりちゃんさん、お返事ありがとう。
1通目です。

前いた職場に、こういう人がいたのね。
最初は本人も周りも知らなかったから、接する時の意識とか対応の仕方とか何もわからなくて、まさにこの記事みたいに「何でできないの」ってなった。お互いに消耗してた。
上司が提案して検査に行って、それからは見守ろうって意識になった。
ただ今になって考えると、見守れたのは人間的な優しさからじゃなくて、それも仕事の一部だったからだと思う。
彼の仕事に何かあると自分の仕事にも影響があるから、トラブルがないように注意していた。彼をフォローすることは、大部分が自分の為だった。

出来ないことがある自体は、誰にでも苦手分野とか欠点はあるからいい。
でも長所だって誰にでもあるはずで。接客とか計算とか書類まとめとか、何かしら出来ているなら、それが苦手と相殺になるけど…て感じ。
つか、そもそも理解って、どういうのが最良なのって悩んだ。
それで、これって彼がもし健常者だったらどうだろうと考えた。ただひたすらに性格悪い健常者なら、きっと避けても文句は言われない。それなのに障害者だと避けることは非難されるのか?
とそこまで考えた時に、私は彼をあくまで1人の人間として見ようと決めた。
対等な大人同士だから、やるべきことは指示するし、ミスがあったら指摘するし、自分が傷つけられたら怒る。その途中で彼がわかってないことがあったらちゃんと説明する。
そういう風にしてた。「何でできないの」も言うのもやめて、少しは楽になった。
それでも、言葉をあれこれ考えて、やり方を変えて説明してもお願いしても、なかなか伝わらないのは辛かったよ。

その部署から異動する時に、彼は私に「(あなたとやっていた)仕事はまだ残ってるのに、無責任ですね」って言った。
悪気は無かったんだろうね。
でも、別に辞めるわけでもなく異動する人に、仕事+彼の気質の引き継ぎで毎日残業していた人相手にそれを言うのか…と絶望した。それから彼とは会っていない。

無関係な人のエピソードなら「こういう人もいるのね」と言える。
ただ私は本人より周りにいる人の気持ちを想像してしまうから、理解とか善意とか、そういうものに誰かの心が壊れていないといいなと思う。
それで、いつか自分の器が広くなったら、また違った意識で彼みたいな人を見れてうまく関われるかもしれないと、とりあえず自分の成長を眺めている今日この頃です。

長々ごめんなさいね。
名前のない小瓶
47909通目の宛名のないメール 小瓶主

ストレスへの耐久性は、本人の生まれ持った性質だけでなく、ストレス発散できる趣味があるか、相談できる相手が

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
本人のステータスは本人の頑張りでどうにかなるんじゃないかな。
馬鹿だから無理、障害があるから無理というのは理屈にならない。同じように勉強が苦手だったり、障害を持ちながらも頑張っていたり愛される人もいるじゃん?

もちろん、人によって得意不得意があるのはわかるよ。
でもさ、不得意を得意でカバーする方法はあるでしょ。数学が苦手なら他の教科の点数を上げるとか、数学の試験をやらなくても済む選択科目の受験の大学を受けるとか。
頭が悪いなら人に何でも聞くのもいい。代わりにやってもらうこともいい。そして何より、助けてもらえるような関係性を普段から作るのが大事。

ひとつ苦手なだけで人生全部ダメになるのだとしたら、それは自分が、そのひとつ以外の他のことすら、ちゃんとやってこなかった証拠なんじゃないかな。
勉強も人間関係もその他の多くのことも、中途半端だから、自分の土台がない。だから苦しくても吐き出す場所、聞いてくれる人が見つけられていない。

感情が鈍くなったなら、それは磨耗じゃなくて慣れなんじゃない?
毎日食べてるご飯がなくなったらご飯の有り難みを痛感するみたいに、日常生活に慣れて、それに退屈してるみたいな印象。
長く生きたら目新しい経験は少なくなるから、刺激がなくなるのは当然。
それに安心できる人は周りに感謝しながら過ごせばいいし、寂しさや虚しさを感じるなら自分から何か新しいことをやればいいだけ。
自分は何も感じない、という宣言の元に、乾燥したままでいる必要はない。

確かに、巡り合わせは完全に運だよ。
でも出会った人を自分にとってどんな人にするかは自分次第。
オドオドしてる人には強気ないじめっ子も、しっかりしてる人にはペコペコ下手に出ることがあるでしょう?社長が変わったことで社員の意識が変わって、業績が回復する会社もあるよね。
自分が変わることで、周りが変わることは充分ある。

それから、最後の「気をつけても避けられない苦しみからは何を学べるか」ということ。

私は以前の震災で友達を亡くしました。
避けられない、どうしようもないことです。
地震なんてなければいいと思うし、夜中の地震でも人が死なない時代になって欲しい。

でも、もう起こってしまったことです。
取り返しがつかない。
だとしたら、そこから何も得るものがないままでは駄目だと思いました。死んだ瞬間私の人生に無意味なものになってしまうなら、彼女の存在はその程度の軽薄なものということになってしまうから。

死ぬ程悲しんで彼女の大切さを思い知ることも、防災の意識を持つことも、自分は大切な人のために気をつけて生きようと思うことも、全部取り返しがつかない苦しみから私がかろうじて拾い上げたものです。

経験を有意義にするか無意味にするかは、経験の内容じゃなくて自分の心が決める。今すぐじゃなく10年後に活きてくる経験だってたくさんある。
出来事に無意味のハンコを押して流してしまうと、やがて見逃してはいけないものを見逃してしまうかもしれないよ。
名前のない小瓶
47909通目の宛名のないメール 小瓶主

ストレスへの耐久性は、本人の生まれ持った性質だけでなく、ストレス発散できる趣味があるか、相談できる相手が

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
一応補足。
環境は本人の努力の有無だけで説明出来るものではないです。
運や巡り合わせの要素もあります。
そして、悪い環境だった場合にそこから飛び出せるかどうか、別の場所で生きていけるかどうかは、本人のステータスによります。
ゆえに環境を変える(努力する)のが困難な人もいる。

人の感情も、確かに失われ得るものだと思います。
この辺の感覚は人によって全く異なるのでしょうが、例えば、感情が湧く閾値が上がるとか、感覚が麻痺するとか、そんな感じだと思います。
感情とか心というのは、川を転がる石ころのように、外の力によって徐々に磨耗して変化していくものではないかと思います。
そうでない人も当然いるでしょうが、磨耗していっている人も存在すると思います。
石ころそのものを失って木偶の坊になってるような人は、さすがに今のところ見たことはありませんが。

転んで痛かったから、気をつけて再発を防止するというのは理解できますが、気をつけて何とかなるものではない理不尽な痛みや苦しみからは何を学べるというのでしょう。
無駄な経験など1つもない、というのは、気休めの嘘だというのが私の考えです。
時には気休めも必要ですが、本当に突き詰めて考えるなら、この手の言説は必ずしも正確ではないと私は考えています。
名前のない小瓶
34529通目の宛名のないメール 小瓶主

信心ほど語るに愚かしいこともない 当人の前以外で言われる文句ほど意味のないものはない 全ての失敗は自分自身に

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
「間違っていますか?」と聞かれるのって難しいですね。

「私の考え方をどう思いますか?」なら、自分の意見を書きますが、間違っているかと聞かれたら「そんなことない。そういう考え方の人もいるだろうね」としか言えない。
だってその考え方は、あなたの生き方とか、自分を守るための指針だったんだろうから。
あなたの必死に生きてきた時間をまるごと否定するようなこと、言えるはすがない。

それよりも私はお返事にある「少数派であろう私の考え方」という方が気になりました。

なぜ自分が少数派と決めつけるのですか?

今までにあなたが知り合った人達が、たまたまあなたと違う考えの人だっただけで、世の中見渡せばあなたに同調する人がたくさんいて、もしかしたらあなたは多数派かもしれないのに。
或いは、本当に少数派でも、馬鹿にしたり差別したりせず、ありのままにあなたを受け入れる派閥もあるかもしれない。

だからね、変わってるのが良くないのではなくて、自分が変わってることを理由に、他人をまっすぐ見ようとしないのが良くないんじゃないかと思うんです。

自分は他人と違う。変わってる。
わかってもらえない。
いいんですか。そんな簡単に結論出しちゃって。
そういう結論を出したことで、この先あなたと知りあい、あなたのことをわかりたい・一緒に仲良く生きたいと思う人達の姿も見えなくなりますよ。

自分の考え方が合ってるか間違ってるか知りたいのは、このまま進んで自分は大丈夫かを知りたいということ。幸せへの道を模索していることだと感じます。

「私はこうだ」と主張するだけでなく、「あなたはどうなの?」と聞ける人、聞きたいと思える相手に出会えたら、あなたは「認めなきゃいけない」なんて緊迫観念でなく、「認め合いたい」と自然に思えるはずです。

その方が、自分も相手も無理に曲げずに済んで、お互い気持ちよく付き合えるんじゃないでしょうか。
名前のない小瓶
47910通目の宛名のないメール 小瓶主

バイトで大きなクレームを出してしまいました。私は高校生で飲食店でバイトをしています。犯してしまったミス

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
>4
その通りです…良いことも悪いことも考えて考えて考え込んで、ずるずる引きずっちゃうタイプです。

前にも誰かに全く同じことを言われました(笑)もっと気楽にしなよって。だけどバイトも社員も店長もお客様からしたらみんな同じ「店員」なんだよなぁと思うと、どれだけ真剣にお客様に向き合うかというところに差があってはいけないように感じてしまいます。

仕事は…そうですね。スピード勝負の作業系は本当にひどいです。だから基本接客メインのポジションしかさせてもらっていません。それもどうなんだって話ですが、店長がそれでいいと言ってくれているので今はなんとかなっています。

今回は私のミスではなかったけれど、同じようなことさっそくありました。もちろんテンパって一瞬はあたふたしてしまいましたが、何とかひとりで最後まで対応できました。お客様は笑顔で帰っていかれたので、恐らく間違った対応はしていなかったはずです。

実は家に帰ってから自分のミスとその原因などを全部まとめて、次に同じことが起きた場合の対応の練習を何度も繰り返していました。要領が悪いなら悪いなりに、そこをカバーするだけの努力はしないといけないなと思って…頭がかたくなりすぎてもいけないんでしょうけど、とにかく今回はそれが吉と出たので良かったです。
感覚で出来ないことは覚えるしかありません…もうほんっとに情けない話ですけど……(笑)

お返事、そして心配や応援などもありがとうございました!
ちいさな小瓶
47691通目の宛名のないメール 小瓶主

ひとのことばを信じることができないじぶん、それをどう思われているのかが気になっているじぶん、きらい

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
ちいさな小瓶
小瓶主です

いつの間にやらお返事が…!
ありがとうございます。一通一通 こころにしみました。

》長文レッツゴー!

うまく流していく。
私の課題ですね。ちゃんと受けとめたいって決めつけていちいちぶつかって、なんでやろーって頭抱えて。そうやっていつも、無駄な?ところにエネルギーを使ってしまって。そうして “頑張っている”じぶんに甘えて酔っているうちに、ほんとうに大切なことを見うしなっていたのかなって。むかしのことをふり返ると、そう思える場面が多々、あります。
一回 どんなことばも出来事も、じぶんのなかをすうっと通して、引っかかるなにかはもう一度ひろう。そんな私でありたい と念じております。



しかし 寝るまえにだーっと書いたものを読み返すと面白いというかおそろしいというか…
素直でありたい、といいつつも格好をつけることを捨てられない
つい視点が偏っていく
目を背けてきたそんな部分を 文章にみつけて 反省。
じぶんのなかでぐるぐる考える時間も大切だけれど、やっぱりそとへそとへ。それも大切。ですよね。
旅は続く!
名前のない小瓶
47910通目の宛名のないメール 小瓶主

バイトで大きなクレームを出してしまいました。私は高校生で飲食店でバイトをしています。犯してしまったミス

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
>1
どうなんでしょう…取り皿なんてその気になれば30秒もかからず準備できたはずだったのに、それさえしていればお客様に不快な思いをさせてしまうことも、店長や他の人にも迷惑をかけてしまうこともなかったのに、と思うとやっぱり自分が情けなくて仕方がないです。何とかしようと思えば何とでもなったのに。

店長から聞いた話、誠意を見せろというのは何度も繰り返し仰っていたそうです。店長がお客様のいう誠意とは何なのかを聞いて出てきたのが「(私を)クビにしろ」という発言だったと聞きました。そこまで怒らせてしまったのはもちろん取り皿のこともありますが、それ以上に私がきちんとした謝罪ができていなかったところにあるからだと思います。

だから詳しい謝罪のアドバイスを書いてくださってとても嬉しかったです。実は今日、私が直接なにかしてしまったというわけではないのですが、色々あって今にも怒鳴り散らしそうなお客様がいらっしゃったのでさっそく実践してみたんです。1通目さんのお返事を思い出しながら、お客様の話をしっかり聞いて、その上で謝罪、遅いと怒っていたお酒はほぼ走り出しそうな勢いで慌てて持っていきました。そしたら何とか許してもらえて、最後はニコニコと帰っていかれました。本当に嬉しかったです。

優しいお返事ありがとうございました!
そして私の方が長々とスミマセン(T_T)


>2
失敗した時は自分のことをとにかく分析して何がいけなかったのか、どうしていればよかったのか、改善点はどこか、と考えずにはいられないのです。でもそれをしながら落ち込んで結局反省というよりただの後悔になります…(笑)

店長はほんっとうに素敵な方です。
「今回はこういう形になってしまったけど、基本的にお前の接客は客を幸せにできると思ってるからこのポジションを任せてる。この経験を生かしてもっといい接客をしてくれるっていうのなら、俺は頭くらいいくらでも下げる」ってきっぱり言い切ってくださいました。私があんなに迷惑をかけたにも関わらず。

今回のことはやっぱり思い出しては落ち込んでしまうけど、でも前よりもっとお客様の気持ちを一番に考えられるようになった気がします。嫌な思い出だけど、いい経験にはなりました。

2通目さんも、温かいお返事ありがとうございました!
りぃふ
47780通目の宛名のないメール 小瓶主

学校と恐怖心の話。中学の頃の経験からか、どうしても学校が怖い。学校にはいたる所に「目」があるように感じる

・・・小瓶の中の手紙を読む
小瓶主さんからのお返事
りぃふ
烏羽さん

お返事ありがとうございます。

どうなるかわからない、の穴埋めをしないと落ち着かない性質で…だから考えすぎて辛いのかぁ、と腑に落ちました。
たしかに実際に想定していなかった壁とぶち当たるとめちゃくちゃに動揺します。

基本・初心に立ち返ること。
基本自体が間違っていたのではないかと思っていて、足場がけっこうぐらぐらなのですが、
それも込みで、修正しながらまた向かっていけるといいなと思います。


魔物。
攻撃されることが怖いと思っていましたが、
たしかに、私が魔物側になるのが一番怖い。
一人授業は私のためになるのだと思って、ちょっと勇気を出してみようと思います。
仰るとおり、絶対に行けないというわけではないですし。(それを認識してるから逆に行けない罪悪感で苦しく感じることもあったり。)

最悪のケースにならないようにすること。
悲観するだけじゃなくて、そこから抜け出せるように意識していきたいです。


きっと自分のためになる。
自分の中で時間が止まっていたと感じる中学3年間を埋めるかのように、今、色んなことを考えて、挑戦しています。
私に抜けていた、足りない何かを埋め合わせるように。
違う視点や考え方にたくさん触れようとしています。
ただ、それを学び取るがために目の前のやるべき事(学校の課題とか)を疎かにしないようにだけ、気をつけます。


最近、私が私として動けている感覚が少しずつわかってきて、それと同時に色々戸惑うことも多くあります。
向かい合うことで、全力で自分の頭を壁に打ちつけているような痛みもありますが、逃げる罪悪感に比べたら、遥かに楽です。



わからない。かもしれない。忘れずにいたいと思います。



お節介と書かれていましたが、とんでもない。
図星すぎて烏羽さんはエスパーなのかなと真剣に思いました。(過去にも何度か同じような経験あり。)
今まで断りたくても断れなくて、無理やり自分に色々暗示をかけていました…。
変わるためにはそういうところも直していかなきゃですね。


抑圧緩めてあげることも実践していこうと思います。




ありがとうございました!





海鮮丼さん

お返事ありがとうございます。
私の書いた文章の趣旨とズレがあって、上手く文章を返せる自信がないので、
申し訳ありませんがお返事は控させていただきますね。
次の20件を見る
1 972 973 975 976 1575

広告

お知らせ
過去のお知らせ
宛メサポーター募集 宛メで音楽 宛メコラム 宛メのアドバイザー石渡ゆきこ弁護士 宛メのアドバイザーいのうえちかこ(心理士・カウンセラー) 悩み相談ができる相談所を集めたサイト 宛メ本 小瓶に手紙を入れて流す
宛メについて
宛メのこころえ(利用者さんの言葉) お返事のこころえ(利用者さんの言葉) 宛メに参加している人たち(利用者さんの言葉) 宛メとの出会い(利用者さんの言葉) 初めての方 Q&Aヘルプ 宛メ、サポーター募集! 運営委員のご紹介 運営委員ブログ 特定商取引法に基づく表示 お問い合わせ 運営会社
twitter & facebook & instagram
フォローやいいね!すると宛メの情報が届きます。
緊急のお知らせなどもこちらから配信しますので、ぜひ登録をお願いします。
Follow Me