小瓶主さんからのお返事
なんかすいません。
いろいろとややこしく書きすぎて、意図が不明確になってしまいました。
「テセウスの船」とか「砂山のパラドックス」「ミリンダ王の問い」でググると、問題の詳細な解説があるので検索してみてください。
私の小瓶の意図としては、
(1) 言葉って単なる道具だよね。この道具は不完全なもので、この世界の現象を正確には描写できていないよ。特に連続的な時間の変化とか。
(2) だから言葉と世界には深刻なズレがあって、そのズレが私たちの思考回路に錯覚を発生させるんだと思うな。
(3) 言葉の空間は抽象的で固定化的。でも現実の世界は具体的で運動的。その二つの世界のズレが、そもそも言葉を使う私たちにとっての認知バイアスになっているよ。
(4) つまりこのズレを正しく知ることで、人の苦しみは少しはマシなものになるかもね。現実の世界には言葉で意味するような"実体"がない。それは仏教的には『空』であるということかも。
(5) 『空』を知ると、あまり物事にとらわれなくなるよ。悩みや悲しみも、少しはマシになるよ。言葉の空間でしか悩みも悲しみも、存在しないから。静かに呼吸へと意識(マインドフルネス)をむけて、もっと変化の流れる現実(リアル)の世界に触れることをしましょう。そうするとヴァーチャルな言葉の空間から抜け出すこと(解脱する)ができるよ。
という意図なのでした〜。
でもでも、実際の苦しみとか痛みや悲しみを無理に否定しなくてもいいですよ。それはそれとして、また時間とともに変化していく"無常"な存在なのです。人の悩みの原因は言葉の空間にしかない"無我"なもの(実体がないもの)でもあります。
しかし感覚としてあるリアルの苦しみは、たとえ否定したとしても存在するものは仕方ない。だから今この瞬間にある苦しみを、ありのままに受け入れるしかない。苦しいものは苦しい。ありがたくいただく。
それでも苦しいとき、
私たちがしないことは
とてもシンプルなことです。
「何故、苦しむのか?」と二重に苦しまない。
「自分が悪いから?」と二重に悩まない。
『二重三重の苦悩をいつまでも引きずらない』
それが悟り(?)なのかもしれません。
またややこしく書いてしまった……。
もっと簡潔にメモる練習をしないと(滝汗)