小瓶主さんからのお返事
京さんへ
京さんはとても優しい方ですね。
いただいたお返事を読むたびにそう思います。
全ての人に手を差し伸べ、一人でも多くの人に、心から安心できる温もりを感じてもらいたいという思いを感じます。
一方の僕は、心ないことをする人には厳しい現実を突きつけたいという思いがあります。
いじめを犯罪と認定し、いじめに関わった者を全員実名報道する。
僕自身、この考えは温かみの欠片もないものだと思っています。
今回は、いじめ対策についてこう考えるに至った経緯を語ってみようと思います。
僕は高校時代3年間いじめに逢いました。
その詳細については過去に小瓶で流したのでここでは省きますが、いじめられながらも僕は3年間一度も学校を休まず通い続けました。
同級生の不良グループのいじめに怯えながら。
仕返しすることも考えました。
でも、半端な仕返しではさらに酷い仕打ちを受けるだけ。
瀕死の重傷を負わせるレベルでやり返さないと、このいじめは終わらないかもしれないと考えました。
でも、実行には移しませんでした。
そこまでのことをすれば自分自身も加害者になってしまうからです。
京さんの問いに対する答えですが、A君もB君も両方実名報道するべきです。
未成年者を実名報道というと過激な印象になってしまいますが、事実を事実として伝えるだけです。
校内で起こったいじめは、校内という閉鎖的な空間で処理されがちです。
いじめによる自殺者が出て初めて、学校の会見という形で世間が知ることになります。
いじめの被害者は学校という閉鎖的な空間の中でいじめの加害者が支配する恐怖政治の中で過ごさなければなりません。
自ら声を発さなければ校外の誰にも知られない。
家族に言いたくても言えない。
言える子なら開ける道もあるでしょう。
言えない子にとっては学校は暗くて冷たい牢獄です。
僕はいじめ問題に関しては、学校で何が起きてるのか、世間はもっと知らなければならないと考えています。
学校側は学校に不利益が生じることは外部に決して洩らしません。
いじめ加害者のことを本気で考えてくれる人物が現れる可能性はほぼ皆無です。
良心の呵責に苛まれながら、いじめ被害者をただただ傍観するしかできない生徒が多く存在します。
良心に訴えても行動に移せないのは、自分の現在の状況と今後の生活を天秤にかけているからです。
助けようとすれば自分もいじめられるかもしれない。
こんな酷い目に遭いたくない。
そして現状の立場を維持することを選ぶのです。
そんな立場を投げ捨てて、いじめ被害者を助けられる生徒は京さんの仰る通りごく少数です。
僕は、そんな学校の閉鎖空間を打ち砕きたいです。
今もいじめに怯え苦しんでいる子を一人でも多く助けたいです。
いじめが事件として実名報道されれば、より多くの人が学校の現実を知ります。
実名報道された未成年者の保護者は、その報道により仕事に影響がでるかもしれません。
我が子よりも仕事で、我が子への関心がなかった親も、そうなれば子供に対して無関心ではいられません。教師もそうです。
我が子の全てを自分の思うようにしないと気がすまない、僅かにでも裏切りがあれば子供に暴力を振るう親がいたとして、その暴力痕が学校でついたものではないとわかれば、家庭内暴力であるという結論に達しやすくなります。
現在の少年法はこれら全てを霧に隠すだけのものだと思うのです。
僕から感じた悲しさや寂しさに関するお返事についてですが、京さん気にしないでくださいね。
むしろ嬉しかったです。
京さんのように人の心を敏感に感じ取れる方とお話できて、宛メに戻ってきて良かったと思いました。
京さんのような方がいる宛メ、本当に素敵な場所ですね。
たくさんお返事をくださってありがとうございます。