LINEスタンプ 宛メとは?
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烏羽 さんの小瓶箱
烏羽
少し頭のネジが外れていますが、私は元気です。
Vtuberはいいぞ…

名前は、解る人に解ればいいという気持ち等から。
伝える事をはなっから諦めてるという意味ではないのであしからず。
固定された小瓶
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烏羽
…いい人か。

それは、「周りにとって都合のいい人」なのか?
それとも、「自分にとって都合のいい人」なのだろうか?

解決する方法かどうかとか、そういった事はよく解らんが、周りにとって都合のいいだけの人なら、それは自分自身と言う立場から見てして、本音やら素直な感性を曲げたり、押しとどめる事になる。

それは、なんというか…、今小瓶主さんが感じているように、苦しい事柄なのではないだろうか。

たしかに、周りの人に対して、都合の良いだろうと思える振る舞いをすれば、「いい人」と思われる可能性はあるだろう。

だが、あくまでそれは一つの「いい人」像であって、全てにおいて「いい人」と言えるのかどうかと問えば疑問だ。

俺のように、自分の意思を殺してまで、こちらを優先してくれるような姿を感じれば、心配になる事もある。

他の人を信用できるか、頼れるか、と言った事に関して…

少なくとも、他の人も、「こいつは人に合わせようとしている」という事に気付けない程バカではないと思う。

俺も人に迎合というか、合わせていた事もあってか、また合わせられていたであろう事もあったので…
小瓶主さんが悪いだとか、責めるつもりは一切ないが、一つ一つの問題点、要素はなんとなく解る。

気付いた人から見れば、自分自身の意見を言っている訳ではないという事が解るので、その人に対してなかなか信用はできない。
また、恐らく、自分に合わせてくれるという事から、厄介事や汚れ事、自身のやりたくない事を押し付けて、最悪自分の手柄にしてしまおうと思う奴もいるかもしれない。
都合よく利用する、といった形だ。

運が良ければ、身の上の経験から、「この人はこの人なりに頑張っているけど、人に合わせすぎているんだな」という事が感じ取れる人もいるかもしれないが…

多くの場合は、あまりよくない人間関係が構築される可能性が高いかと思う。

また…、俺自身の人間関係としてあった、失敗した話なのだが、小瓶主さん自身に、人として興味を持った時、または関わる時、人に合わせるばかりだと、どういう人間なのかという本質が見えて来づらい。

なので、どこからどこまでが踏み入っていいラインなのか、悪いラインなのか…
要は、何が好きで、何が嫌いなのかという事が見えてこないので、その人を怒らせたりするかもしれないと不安に思う場合、すごく関わりづらくなってしまう。

実際、天気の話だとか、とりとめもない事は話せても、深い話がしづらくなる事が多くあったし、実際にしづらい、解らないと言われた事もある。

また、それが解らない上で、そのライン、人としての線引きを無視して関わるとなると、小瓶主さんの嫌な事や怒る事も、平気でやってくるだろう。

小瓶主さんの事を何も知らないし、嫌な事や怒る事も我慢してしまう事で、相手には小瓶主さんにとって、それら小瓶主さんにとって困る行動が、平気な事なのだと思う可能性すらあるのだから。

時と場合により、周りにとって都合のいい人というのも悪いものではないが、それ以前に自分自身と言うものがある。

引き受けたくない嫌な事や、無理をしないと受けられないような事は断る選択をした方がいいかもしれないな。

俺のように無理をして、我慢の限界が来て、引き受けた事もまともにこなせなくなって…、色々な方面に迷惑が掛かるよりは、難しかったり出来そうにない事を断れる方が断然いいだろう。

断る事で、頼ってきた当事者も、また別の人へ頼る事が出来るだろうし、仕事など、期限のある事であれば尚更だしな。

また、個人の能力を問われる、学校の宿題だとかなんだとかになると、それを頼まれる事は不正に当たる。
それはいい事なのだろうか。

そう言う観点から見ると、どうだ?

俺は、いい人ではありたいと思うが、周りに都合がいいだけの人、都合よく利用されるだけの人にはなりたくない。

おそらく小瓶主さんが抱える苦しさの通り、これは健全とは言い難い生き方だ。
ただ辛くなっていく、更に辛くなりやすくなる生き方だと思う。

何故って、それは自分が生きるための、自分が自分のまま存在して良い場所、自分がありのままやりたい事を出来る空間を、人との関わりの中から、どんどん減らしていくような生き方だとは思えないか?

狭いし、窮屈だろう。

我慢といえば、多少のものは人間関係を円滑にする事において、必要な時もあるだろう。
だが、我慢というのは基本的に、自分の行動を押し留める事だ。

塞き止めるダムに水が溜まるが如く、どこかで吐き出したりしなければ、結局限界は来る。

なんといっても、抱えきれなくなったから、塞き止めきれなくなったから、こうして小瓶に溢れてきたんだと思う。

小瓶主さんの理想の「いい人」はあると思うが、もう一度それが、本当に、理想の、「いい人」なのかどうか、よく考えて頂きたい。

つまりは、小瓶主さんが、「周りの人からいい人だと思われたい」のか、それとも「いい人になりたいと思っている」のか、という所だ。

俺にとって、小瓶主さんのように、頼み事を断らなかったり、苛立つ事を言われても我慢する人は、いい人と思える。

それと同じように、人を信用したり、本音を打ち明けたり、そういった関係を築ける人も、いい人に思える。

過去、なりたかった「いい人」というのはあると思うが、それは置いといて。

今、小瓶主さんがなりたいと思える「いい人」とはなんだ?
どんな人になりたいと思えるだろうか。

厳しい事を言ってしまうのかもしれんが、苦しさを抱えたままというのは、解決になっているとは言い難いように感じる。

解決法を求めないと言うなら構わないし、その人の意思だろう、何も口出しはできないが…
俺の中は、本当にそれでいいのかと言う気持ちで一杯だ。

小瓶主さんの現状が辛そうにしか感じられない。
少しでも良くなって欲しいと思わざるを得ない。
・・・小瓶を見る
烏羽
詳しい事情はよく解らんが、自分自身が感じる幸せは、ほかの人の中には存在しないよ。

奪おうとしても、奪ったつもりになるだけになってしまう。

奪ったつもりになって、幸せになったつもりになって、あたかも幸せであるように感じる事も出来てしまう。

それでいいのか?

いくらつもりになれた所で、奪おうとする事に纏わる弊害もある。
そもそもとして、ものではないのでな。相手の嫌がる事をしたりとなれば、幸せを遠ざける事はできても、それによって自分自身の幸せも遠ざかり、余計に疲れるだけだと思うのだが。

ただ、まあ、周りに合わせて、ほかの人にとって都合のいいだけの人は、疲れるかもしれんな。

それはいい人であっても、良い人とは言い難い。
ほかの人の顔を伺い、意見を流し合わせるという事は、必ずや人を思いやるという事ではないだろうしな。

ほかの人の意見を尊重できるという事は、そもそもとしてこちら側、自分自身も存在して、そこに立っているからこそ成り立つ行動だと思う。

少なくとも、そうでなければ対話とは言えんだろう。

何はともあれ、疲れた時はしっかりと休める、ぐっすり眠れる時間を取ってくれ。

個人的に、幸せというのは、必ずしも人と人の間、関わりのみにおいて存在するものではなく、己が内から感じることの出来るものなのだと思う。

そういった視点から考えると、香りを楽しめる紅茶などが、気持ちの安らぎ、休む事に良いんじゃないかな。
例えば好きな動物の写真やら動画やら、景色などを見たり、音楽を聞いたりするのも悪くないと思う。

道端に咲く花や、雨の降る前の空気の湿り気、降った後の土の匂い、寒さを感じた時に、厚着や暖房、飲み物などで温まる感覚。
水のせせらぎや日の差し込み、草木の色、空模様。様々なものから、幸せを感じる事は出来ると思うのだ。

嫌いでなければ、歌を歌ったり、体を動かすのもストレスの発散に繋がるかと思うし、それ故にぐっすり眠れる事へも繋がるかもしれない。

気分が落ち込んでいたり、疲れていたりすると、考え事にも集中しづらくなるし、それ故に良い考えも浮かびにくくなる傾向を感じる。

とにかく、疲れた時には休める時間、安らげる時間を過ごして欲しい。

多少なりとも、小瓶主さんの気持ちが和らぐといいな。
・・・小瓶を見る
烏羽
(長くなったので、もし読まれた時、疲れた場合には、休み休み読んでください。)

あー、うん、多分人目を気にしないのは無理。

人目というか、俺も人との関わりが気になって引きこもりになったんで。

だからむしろ気にした方がいいよ。
俺の場合はヒゲ剃るとか、顔洗う、体洗うとか、歯を磨くとか、服を着替えるとかなんだけど。

そういうのを、気にできる人って、割と思いやる事が上手い傾向にあるような気がする。
(何が悪いという話ではなく、結果的な構造として、そういった気遣いや共感性の欠如、他人なんてどうでもいいといった行動から問題が起きて、そういった対応をされた人、巻き込まれた人が引きこもるケースが多いような気もする)

まあ、小瓶主さんの場合そこら辺はどうか解らんけど、働いてるだとかなんだとか気になって聞いてくるのは、人から来る小瓶主さんへの興味、言い換えれば小瓶主さんを知らないからの問い、もしくは何とは無しに会話しようとした結果だろう。
(逆に考えれば、人目が気になるというのは、小瓶主さんからの人への興味)

だから、聞かれる事が気になるなら、あえて「働いているように見えます?」とか、質問で返してみたり、いいえのみで会話を打ち切るとか、それでいいんじゃないかな。

聞かれる事の内に、嫌だと感じる事があるなら、聞かないでほしいと打ち切るっていう。

…体裁のいいというか、関わりを気にするのであればそれなりの断り方、あるいはぼやかし方を考えておくとか。

考えた所で、出来るかどうかというのと、出来ても会話が終わるかどうかは別だが、「忙しい」「やりたい事があるので」とかの言葉もある。
(そこら辺は小瓶主さんの思い付いた言葉で)

他に、人目が少ないであろう早朝(春だと5時付近からか?)にやるとか。
まあ、なんにせよ、関わりたくないなと思うような要因に対して、何かしらの対策がない訳でもないと思う。

とにかくは、小瓶主さんの気になる事に関して、気が向けば対策を練ってみるのも悪くはないかと。

俺は一時期、人と関わるのも嫌だった事があったけれど、そんなんでも、今宛メを利用させて貰って人と関わってる訳だし、変わる時は変わるだろうしな。

実際、程度は違うだろうが、俺も人目が気になって外へ出たくない事もあったし、気にするだけ気にしたり、その周りについて対策やらなんやら考えたりで、現状気にするだけ無駄な事もあると理解したというのか、若干諦めて投げやりになってる所もある。
(そういった経緯から、外見周りに関して、逆に「気にしなくなってきてしまった事」を気にし始めている)

因みに引きこもり期間が長くなると、いつ寝るのかもバラバラになる事があるので、そういった立場からすると、午前中という概念が通用しない…。

暇な時は絵を描いたり、その描いた絵やら、なんかしら創作物の設定を考えたり、動画見たり音楽聞いたり、ゲームしたり、人がいなければ歌ったり、たまに運動したり、そんな所だろうか。
あとは考え事も好きだな。(そういや、全部人と関わらずとも出来る事でもあるな)

…趣味といえば趣味かもしれないが…、何かしら向上の余地があるような事に対して、何度も感じてきた事ではあるけれど、満足というものも易々と出来るものではないしな。
結局理想を描いた所で、理想に辿り着いた時には、その理想は過去に描いたものであって、今この時から出たものではない事もある。

だから、また別の問題点やら改善点が出てきたり。
なので、むしろ満足しきれていないから、続けるものなのかもしれない。

満足してしまえば、興味を失うというかね。好意的な諦めに近い感じ、と言えばいいか。
少なくとも興味がある内、満足できる事はないんだろうと思って趣味を続けている。

また、それが現実逃避と結びついていたりする事もあるし、抱えきれないものから目を逸らして、多少なりとも精神の安定、支えになっているのかもしれない。

ただ、結局の所それで充実感を得られたとして、社会的立場からの目から見れば苦言を呈される事もあるだろうし、それ以前に人としての礼節というか、関わりにおいての部分としてみれば、社会的立場から言われた事への物の言い方から見て、その意見を受け入れたくなくなる事もよくある。

趣味を持っても、そういった問題そのものが変わる事はないので…
場合によってはあまり聞きたくない話かもしれないが、心の安定はあっても状況の改善にはならないし、必ずストレスが発散されるかというとそうでもない。

問題から受けるストレスが変わらないので、問題そのものが変わる、あるいはその為に努めるか、問題に向き合っている自分の認識などを変えるか、他には何かしら抱えたストレスを発散したり、ある程度でも落ち着ける事が必要になるかと思う。
(関わり関係と、事後フォロー周り)

…あー、でも、個人的には、歌ったり、体を動かすと、多少なりともストレスの発散にはなった気もする。

人によって引きこもった理由も様々で、時には人間関係の問題が主軸ではなく、金銭的に余裕もあり、なりたかったからなったというようなケースもあるだろうが、それは除外するとして。

例えば人間関係の中で、引きこもる要因があったとして、ある程度気持ちに余裕のある内、気が向いている時に、対策やら、ストレスの発散方法やらを見つけようとするのが大事かもしれない。

で、余裕や落ち着きがあれば、何かしら、抱えた感情の整理なり、問題へも対処しやすくなる、そういった時間を持ちやすくなるかと思うので、そう言った点から趣味を持つのもいいかもしれんな。

そういった理由を考えないにせよ、精神的に苦しいのも困りものだろう。

…まあ、別にこれといった形のある趣味でなくとも、小瓶主さん的にいえば、多肉植物との関わりの中で、なんかしら落ち着ける気持ちになれるならそれでいいんじゃないかと思う。

また、例えば俺の場合、何かゲームなどで上手くいかなかったり、絵や設定を描くのに詰まった時は、音楽を聞いたり動画を見たり、その他の事をしたり、逆にぼーっとしたり、寝たりする。

一つに頼り切ると、その一つの事が辛くなった時に苦しさを抱え切れなくなる事もあるので、結果的に他のものへ頼る事を続けていると、趣味のようなもの…、続けてきたものの中で、楽しかったものなどが出てきた。

…また、別の話ではあるが、続けるかどうかに自信が関わっているというより、自信がない事が楽しくなさに関わると思うので。
自信というか、上手くできるかできないかだけに留まらない上で、楽しみを見つけられるか、興味のある事を感じられるかが、続くかどうかに関係してくるのではないかと思う。
(楽しさや、何かしらの好意感、肯定感が続ける事に大きく関わっているのではないかと思う)

で、続いていく中で、上手くできた事…、ゲームで言えば、自分の思うように操作して、求めた結果、理想と同じような状態に出来る事、出来てきた事の積み重ねなどが、その分野での自信に繋がったり。
上手くいかなかった上で、何がいけなかったのか、どこを注意したり、変化させればいいか、そういった事へ目を向けてみると、それも一つの興味へと繋がるかもしれん。

また、上手くいかなくても、悔しさから続けたり、もっと出来る筈だと続ける、それらある種の執着心、あるいは惰性、他に義務感なども、原動力になる事があるだろう。
これらも自信のなさと同じく、楽しくなさに繋がる可能性はあるが、一応は続けるための力となる事もある。

まあ、何か初めてやってみる事だとか、大きな失敗が頭をよぎって不安だとかなら、そりゃあ当然自信はないだろうなので、そこから自信がつくとすれば、何かしら上手く出来るようコツを掴もうとするとか、続ける他もないと思う。

そもそもが、自信のなさというのも…
自身というのは、自身の行動からなる成功体験や、そこから繋がる次への期待、普通や当たり前だと思う感覚から生まれて。
そして自信のなさは、失敗、上手くいかなさ、否定、当たり前ではないという感覚、自信というものがなければ生まれなかった感覚だろうし、そうであるならそれを何とか出来るのも行動の中にしかないと思うんよ。

それに、なんというかね。
こうして要素的に見ると、どうにも「自信がなくなった」というより、当たり前だと思っていた事、能力が、そうではなかった事に気付き、「自信」という概念が変化した、とも考えられる。

自信がなくなったのではなく、上手くいくという事が普通の、当たり前ではない事だと解って、「自信」という概念、認識の枠組みが変化、広がったのではないかと。

なので、そう考えた俺からすると、自信がない事に対して、何一つ恥じる事もないんじゃないかと思う。
(自信を付けたいというなら付けようとすればいいだろうなので、書いた事が少しばかりでも参考になれば幸いだが、無理につけようとする必要性も感じない)

…とっ散らかったので、話を戻すと、一つのものへ頼り切りというのは、あまりよろしくないかもしらんので、最低でも三つくらい、個人の範囲で、習慣的かつ肯定的に、やりたい、してみたい、興味があると思えるようなものがあると、ある程度は余裕を持ちやすい状況を作れるかもしれない。
(やりたければの話だが)

それにしても多肉植物か。

なんというか、あまり人がどう思っているか、多肉植物の事が好きなんじゃないかという事を考えると言い出しにくいんだが、多肉植物のプニプニしてるような奴って、個人的に美味しそうに見えてしまうんだよな。(見えるだけ)

あと、すごく触りたくなってしまうけど、触りすぎると弱る、繊細な植物らしいじゃないか…。
種類による所、元々住んでいた気候から、好きな温度が違ったり、大体乾いていた所へ適応しているので、水周りの関係が肝心だとか。

うちにも長い間小さいサボテンがいるんだが、そういう所がなんと言うか、勝手な共感を持って見てしまうな…。

まあ、長所と短所は紙一重というか、適材適所というのか、人間が感じた良さや悪さを元に感じているに過ぎんだろうさ。

自信のなさや人目への気がかりな事、懸念があるという事は、ある種の予測能力の高さ、頭の良さとも言えるだろう。

それをどう受け止めるか、どう感じるのかと言うのが、認識、詰まる所、人の判断や感覚という所だろうな。
・・・小瓶を見る
烏羽
再度、小瓶主さんからのお返事を確認しました。

まあ、詳しい、事細かな事も解りませんし、彼氏さんを忘れようとする意思決定に異論はありません。

ただ、返信後も関係は続くので、彼氏さんの体調や身の上というのを聞いたのだとは思いますし、返信する際での質問の仕方も関わる事はあるかと思います。

その上で、また彼氏さん自身にも思う所があったから、答えづらい為か、答えたくないかはさておき、それ故に返信をしていないのではとも考えます。

八つ当たりされたという事なら、彼自身、未だ心の整理がついていないせいか、小瓶主さんとどう関わっていいかも解らないのかもしれません。

だから、距離を開けようとしたり、その逆にお二方、彼氏さんと小瓶主さんの共通項、共通の話題として、携帯ゲームの話をしたという事も考えられます。

あと、俺が言いたいのは、付き合った当初と同様に、この先の事はまだ解らないのに、叶わないと決めてしまうのはどうなのでしょうか、という事です。

厳しい言い方になってしまいますが、命ある限り、行動するのはあなたの事でしょう。

自分の願いを叶える為に動く事が出来るのは、まず小瓶主さん自身であって、小瓶主さんを動かすのは神様ではありません。
(神社に参拝した分、見守ってくださる事はあるかもしれませんが)

決まりきった運命のようなものなんて、そうそう滅多にあるものではないらしいですし。

まだ先の事、これからまた関係性を改めるなど、お互い何が原因で別れたのかを話し合い、改善したい、どうにかしたいという気持ちが小瓶主さんにあるのなら、それをメールなど、できるコミュニケーション上でのやり取りから、話し合う事をしましたか?

何が嫌だったとか、もしくは自身への反省点以外にも、遠距離恋愛で感じている事や、困難さから来るものが要因にあったかどうか、それらは対処できるか、などもあるかと思います。

未だ、やり直したいという思いがあるのなら、それが相手にもあるのかどうかを確認する必要があるのではないでしょうか。

もしくは、やり直したいという思いをメールにて伝えましたか?
(宛メも、文字上のやりとりとして、文字として語られなければ明細としてこないので、一応の確認ではありますが、伝えたならいいです)

また、そういった内容を伝えたとしても、別れてからのストレス、心労もあるかと思いますので、彼氏さんも小瓶主さんも、すぐに気持ちを切り替えられるかどうかと問えば、なかなか難しい事かとも感じます。
(そういう事への注意点に関しても、多分調べたら出てくる)

内容を無視された事に関して思う所があり、もしその内容が、今後の関係を見直す為に必要だと思う事柄なのであれば、大事な事なので答えてほしい、話し合いたいという旨を伝えた上で返答を待つとか、そういった事も思い浮かびます。

その上で、小瓶主さんがもう恋愛関係を続けたくないと思い、諦めた、やり直したくないというのなら何も言いません。

新しいご縁があるといいですね。
・・・小瓶を見る
烏羽
(あまりこういう、人の背を押そうとするように感じる小瓶へ、口を出すのもどうかと思ったので、極力注意してみたものの、不快に思われるかもしれない懸念はありますので、もし読まれる際はご注意を)

善悪、良し悪し、それは確かに人それぞれが生み出した、各々の持つ夢幻のようなものだ。

だけど、己が自意識、エゴ、その一部でもある。
認識とは己が分け身、己が経験、己が感覚と結び付く。

確かに物質としては、概念というものは存在しないが、各々のうちには存在するものだし、それに則って行動を起こすものだ。

小瓶主さんが根とする、支えとする宗教、あるいは考え、人生理念に対して、良し悪し、是非は言わん。
(そんなものは当人次第なので、俺には解らんから、口出しする事はない)

だが、空とは虚ろなものを指すだけで、完全なる無ではないと思う。

言わば、空とは、表すものを含んだ「言葉」だ。
(バーチャルリアリティ的な感じとも)

改めて言われるまでもないかもしれないが、感じる事が実在しているのであって、感じる事で実在となる訳ではない。

簡単に言えば、言葉は言葉でしかなく、それにどのような思いを込めて使っても、端から見れば、端から見た人の感じる思い、意味を持って理解される。

認識は認識でしかなく、それは人の目を通してみた景色と同じで、鳥や虫、他の命、それぞれから見た景色とは異なる。

あるいは、こう書けば伝わりやすいか。
己が認識は己が認識で、実際のものと擦り合わせ、正しいか間違っているかは別、と。

それが「空」。
そして、その空は、仮の姿を示す「言葉」(言葉もまた空の内)であって、現象として実在のものだ。
仮の姿、夢や幻、感じられるものとしてそこにある。

仮の姿というのは、永久不変の実体や、永久不変の自我などないという事だ。

詳しくは解らんが、俺なりに解釈する所、「色即是空」とは実体や自我の否定ではなく、実態や自我があるという上で、それらが形を変え行くものだ、という事を示しているのではなかろうかと思う。
要は、「体は老けるし、絵の具を塗っても時が経てば色褪せるし、岩も風化していく。心は悲しんだり喜んだりする」という事だ。

で、「空即是色」とは、全ての存在は移ろい行くその現象で、目に見えるものは仮の姿であり、その「空」という意味が心底から理解できてくると、仮の姿を現し移ろうその現象が、そのまま実在の存在であるという事が納得できる、という事かと。

己が思い、意識は錯覚などではないよ。
それも己が身、体が物質としてある為の、表されている一つの形、現象よ。
だから実在する。

だが、自分の意識を錯覚とすれば、錯覚として、己が認識となる。

ニュートラル…、自分にとって何が自然体なのかの意識を変化させる事ができるように、自分にとって何が錯覚なのかという事も変化させる事ができる。

認識があるという事。そしてそれを頭の中に作り出せるという事。それを元に行動する事。
全て実在だ。

自分というものを「空」とするのなら、そうなる。
それが解ったという事も含めて、「空即是色」かと思う。

もし、己が身、エゴ(自分という意識)を消すとなれば、全てはなくなる。

それは、「空」ではない。
何もない、というだけになる。

以上が俺の考えで、それを元に考えた本当の自分とは、「善し悪しの付かぬ自ら」と、「善し悪しを思う自ら」、見えて触れられる実在と、見えぬが気としてある実在、その二つを合わせたものよな。

勝手推測するに、小瓶主さんが…執着というよりか、その念頭から離れぬのは、己とはなんなのかという事からくる不安かもしれないと思う。

仏教感からすると、体と、そこからなる状態や動き、物質は空だ。

(ややこしい話、小瓶主さんは、「物質」を実在としておられるようだが、昔の仏教感から見ると、その当時の背景からなのか、「意識」的なものが主体として、実在として物事が語られる事が多いかも。今はインターネットなどで、マインドだのなんだの言われているのかと思うが…、あれは多分、今の時代背景に合わせて、解りやすくする為に言葉を並び替えたり、変化させているのではないかと思う)

また「空即是色」という考えから見ると、「本当の自分がなんなのかと探す」それは、エゴ、己、つまり自意識、自分の一部を表すものであり、実在のものとされる。
だがそれは、己が身、体もあってこそ生ずるものでもある。(言葉だけだとあまりピンとこないかもしれないが、多分これを体験などから、各々の解釈や言葉、意味で理解した事が空即是色だと思う)

即ち、ここ最近の実在は、「本当の自分を探してきた小瓶主さん」という現象ではないかと考える。

エゴを悪と捉えるも、「空」の内よな。
善と捉えるも「空」の内。

真実は一つなどではないよ。
一つと決める事も、「空」という現象の内なのだから。

まあ、一つではないと決める事も「空」なのだがね。

悟りだとかなんだとか言われ始めて、なんだか高尚なものに、特別な、妙に神聖な壁のあるものになったんじゃないかという気もするが、そんな大それたものではないんじゃないかね。

一瞬一瞬を生きているという事への自覚だよ。
その心からの自覚が、仏教で言うニュートラルなのではないかと思う。

(言葉はあくまでも「空」なので、自覚の体験が、どういったものなのかは自分で考えろ的な部分も多分あるんじゃないかと思うが、現代はそこら辺が優しくなってる気がする)

なにより、宗教とは人の心の支えだ。
俺の思う所の宗教、その内の仏教とは、本来的に人の心を惑わすものではないし、理解しがたいように出来ている訳でもない。

非常に理解しがたいなら、こんなにありがたがられ、ここまで広まったものか疑問だ。

外国…それも昔の話で、昔の言葉が使われているからな、当時に誤って翻訳されていてもおかしくはないし、翻訳される事による、言語の違いなどから、言葉のニュアンスが変わって、置き換えられた時に意味として狂ってしまう事もある。

他の要素としても、時が経てば尚更の事、言葉への意味は、増えたり変化したりもするだろうしな。

また、医学や化学などのように、俗世と専門的な場では違う意味として使われる言葉も多い。

色即是空と言われても、俺にも大した事は解らんが、「大乗」という言葉もあるのでな。

その大乗という言葉が、仏教で守られてきたというのであれば、人の心を惑わすものではないと考え、そこから解釈する事は出来る。

然るに、とても苦しい思いをしてまで得ようとせずとも、得られる所にあるのでは、と思ったのだ。

まあ、長ったらしく書いたが、これもただの俗世から出た、世迷い言の類だ。

熱に浮かされて書いたようなものなので、的外れだったり、意味が解らなかったらそれでもいい。

小瓶主さんが感じた、その腹減りかなにかも実在に違いないが、特に、度が過ぎて自己中心的で、人の言う事をまるで聞かないとか、人に対して察しろと言わんばかりな感じではないものにとって、エゴを減らそうとするのは自殺行為に近しく思える。

いわば、「エゴ」とは腹が減ったと感じた、その「腹減りの感じを認識した」という部分も含まれる。
極端に例えれば、それが消えるか、完全に押し留める事が出来れば餓死する。

まあ、押しとどめるものもまた、「理性」
という奴で、エゴの一部なのだがな。

ご自身がそれを存じた上で、敢えてやろうとしている事なら、単なるお節介として読み流してくれれば幸いだ。

(俗にエゴと言われる場合、「自己中心的、利己的主義」といった意味を表す、エゴイズムという英語を略して表している事も多いが…、本来エゴという言葉が表すのは「自我。自分自身」といった意味でしかない。俺が使った意味は「自我。自分自身」の方)

そもそも、仏教的に精神と身体を分けて考えたからこその「色即是空」なのかもしれんが、精神と身体が地続き的な繋がりを持っている事に気付かなければ、真に「空即是色」一瞬一瞬が現実だ、なんて感覚は生まれんのではないだろうか。

(よくは知らんが、遠い昔は、宗教的に精神と身体の事を分けて見ていたんじゃないかという時代背景を感じるので、もしするとその2つの和合を考えた、当時として革新的な宗教だったんじゃないかと思ったりもする)

精神と身体、どちらも己であり、身体であり、己が身に含まれるものなのだ。
人間の認識で、分けて見ているに過ぎんのかもしれんな。

どちらを善し悪しとするか、またはどちらの中に悪しきとするものがあるか、善しとするものがあるかなど、それも空の一つよな。
(空や色という字に、善し悪しの意味は含まれないという意味でも)

まあ、インターネット上のブログなどの言葉からなる情報といっても、その実態は、目で見る事の出来る「噂話」や「個人の認識」だ。

要は、一人一人の認識からものを書いて、それを表してるだけさ。
合っている可能性もあるが、間違っている可能性もある。

俺自身の書いている内容に関してもそうだ。

一つの話題にしても、人から人へ伝わっていくに連れ、何かしらの言葉が抜けたり、個人の解釈が加わったり、ちょっとした表現のミスから誤解されたり、都合よく変更されたり、尾ひれが付いたりもする。

自分の認識や相手の認識が間違う場合もあるのでな、そこを判断できる可能性のある、ご自身の感覚も忘れぬよう。

自分と向き合ったり、考え事というのも、真剣にやれば、なかなかに疲れるものだと思う。
その分ご自愛というか、ゆっくり休める時間を取って下さいな。
・・・小瓶を見る
烏羽
(また長くなりますのでご留意下さい)

描く顔の向きが偏るとかあるあるだなあ。
俺も左に偏ってたわ。

んまあ、右向きの顔が描きたいなら、一度描いてみて、それを見た時、自分の思う違和感というか、違和感から来る修正点を探していけばいいんじゃないかな。

俺も今現在、左向きの顔に対して右向きの顔が安定しないんだけど、寧ろその安定しない描き方、定まってない描き方から、自分の他の絵柄を模索してみたりしてるから、意外と自分で下手だと思うような絵でも、輪郭の取り方とかを改めて見直したり、考えてみたりするいい機会になる事はある。

あー、そうそう、右向きの顔を描き起こす時にイメージしづらい場合、自分の描いた左顔を反転してみたり…

紙媒体に描いた場合、描いたページをちょっと摘んで、開いた本と垂直になるよう立ててみたりすると解るかと思うが、描いた面の裏側から透かして見ると、反転したものになる。

なので、左顔を描いた後、輪郭を濃くする為になぞってみたり。

正確に反転する為には、丁寧に、慎重にやる必要はあるが、まあそこは切り詰めなくても良しとして、ボールペンとかマジックでなぞるという手もある。
そうすれば、あまり透かそうとしなくても、裏面を見て反転した左顔、つまり右顔を見る事が出来るかと思うので、それをなぞって練習してみるのもアリかと思う。

また、透かす方法にしても、描く為の紙の種類として、コピー用紙…、電話で、ファックスとかに使う、ファックス用の紙とか、薄く、透けやすい紙があるので、それを活かしたり。

裏面からの反転した線を見えやすくする為、表面(既に左顔が描かれた面)に向けて光を当てるという方法もある。

これは…どう説明したものか。

まあ、描いた絵の面(表面)を、太陽の光が差し込む窓ガラスに貼り付けてみれば、よく解るかと思う。
(↑線が裏面から透けて見やすいので、それを利用して、なぞる)

あと、描き方自体のコツというか、俺自身が気にして描いている右向き顔のポイントとして、まず顔の輪郭線の顎。

描き方や、それによる全体的なバランスにもよるんだが…、これが、左寄りにあれば左向きの顔になりがちで、これが右寄りにあれば右向きの顔になりがちかと思う。

また、顔のパーツ…
目や鼻、口など、それらの位置関係が、どちらを向いているかという、人間が絵を見た時の、顔の認識に大きく関わるんじゃないかね。

その点、描いていて気付いたかもしれないが、他に髪の毛の向き、流れや、斉木の特徴的なアクセサリー…、頭のアレや、サイバーチックなメガネ(サングラス?)の向きなども、顔がどこを向いているかという指標になる。
(引き伸ばして言うと、首や身体の向きなどもある程度、向いている向きの認識として関わる)

…で、これは、描き方、表現がいい悪い、上手い下手の話ではなく、要素の話として聞いて欲しいんだが。

何となく、今まで見てきた分、小瓶主さんの描く癖として、今まで左顔に偏ってきたからか、そういった左顔を表すパーツの位置どり、バランス感を元にして描いている事が多いように見える。

具体的には、輪郭として顎が左寄りで、顎の位置が左側にある事によって…

顎を中心とした時
「左側の顎から頬までのラインが短く、コンパクトな中で膨らんでいる事」、「それによって左頬から頭へのラインがシュッとしている事」に対し
「右側の顎から頬までのラインが長く、左よりも大きくなだらかに膨らんでいる」、「それによって右頬から頭にかけてのラインもゆったりと膨らみ、顎を中心とした輪郭の距離感が、左よりも広くなっている事」

…などから、まず輪郭としてどちらを向いているように見えるか、大まかなバランスが決まるのではないかと思う。

輪郭に関して右を向かせたいのであれば、それと逆の事をすればいいという訳だな。
(なので、描く手でその感覚を掴む、理解するためには、透かして反転したものをなぞるのが手っ取り早いんじゃなかろうか)

また、少し斜めを向いた自分の顔を、鏡で見て頂けると、向いている方向の耳…
斉木でいえば、絵を見て左側の耳(斉木にとっての右耳)が、顔や頬の立体感によってあまり見えず、逆に右側の耳(斉木の左耳)はよく見える。

このような現実における違いを、それなりに表すのも、向いている方向を示すポイント、要素になるぞ。

で、頭の形が気になる旨を抱えてらっしゃるというのは…
頭部の輪郭への認識、という事なら理解できるので、その点に関して書くと。

絵を見た時の右側の目(斉木の左目)が、鼻を顔の中心とした時、左側の目(斉木の右目)より、距離が離れて感じる所から来るものだろうか。

左側の目が、メガネに収まっているのに対し、右側の目は収まっていない。

メガネを抜いて見た時(俺がそうイメージした時)は、目のバランスに対して何も思う事がない。

ただ、メガネから見て、鼻を中心とした時、目の位置と合わせてみると、何か違和感、目が離れているのではないかと感じてしまう。

…恐らく、メガネを描く前、顔全体の輪郭を元に目の位置を描いたか、目を描いてから、それを軸として顔の輪郭を描いたのではござらんか?

まあ、そうでなくとも、例えばの話として。
顔にパーツを描き込んだ後、鼻の場所を軸にしてメガネを描くと…
先ほどの例の、メガネと目、など、別々の軸を基にして描いたパーツは、その軸からなる向きを元に存在する。

なので、別の軸からなるそれぞれの向きが異なり、浮いて見えやすくなる事、違和感として感じる事はある。

この場合…、目の位置が鼻を中心とした時にズレている感じを直す為には、目の位置を直すか、鼻の位置とメガネを直すか、をする事になるかな。
要は、違和感を直したいのであれば、どこに軸を合わせて修正するのかという事になる。

(どれを直せばいいのか、という事に、明確な正解はなく、また軸自体の違いをどう直すか、あるいはどのような表現で纏めるか、全体として合っているように見せる、表現して描くかというのは、それぞれ個人の絵柄、描き味に関わってくるので、申し訳ないが、自分としてこう思うという事しか言えない)

あと、耳の大きさ。
さっき書いたように、この場合だと、現実的な感覚で言えば、右側の耳の方が大きく見える…というか、見える面積が大きいと思う。
(2つの耳を合わせてみた時の、対称性というのか、付いている場所の高さの違いも少し気になる)

なので色々書いたそれらによって、立体感というか、現実感から総合的に顔の向きを意識した時、認識の歪みというか、違和感が出ているのかもしれないな。

細かい部分は抜いてまとめると、大まかにいえば、輪郭による顎と、鼻の位置が、顔の中心を作るというか、絵を見て顔を認識した時の、中心への感覚に繋がるのだと思う。

なので、逆に言うと、バランス感を気にする為には、そこら辺を中心として、顔のパーツを描き込む意識が大事かもしれない。

頭(おでこから上の形)という点では、個人的に気にならなかったかな。

ただ、もし小瓶主さん自身が、頭(おでこから上)の形を気にしているのであれば…
描いた軸の違いから来るパーツそれぞれの、向いている顔の向きの表れによる違和感に加えて、髪の毛を含めてみた時の、頭のバランスに対しても何か気になる点があるのかもしれないと思う。

そういう場合はまず髪の毛を除いた、頭も含めた顔の輪郭、いわば頭部の輪郭(卵をひっくり返したような形)をまず描いて、目などのパーツを描き込んだ後…
つまり、スキンヘッド状態の人に、髪を付けていくと、髪と頭とのバランスが測りやすい、バランス感が取りやすいかもしれない。

あと、輪郭を描いた後、目や鼻の位置を決める為、下書きとして、顔の輪郭の中に収まるような「T」を描くのもありかな。

Tの字の、縦線の下先が、丁度顎に来るような…、要は顔の中心に来るように描いて、それを基に鼻の位置と、目のバランス、位置取りをするというかね。

Tの字の横線は、目の位置の高さの目安に使えるぞ。
(慣れてきたら、下書きしなくても、ある程度感覚で描けるようになるかもしれんが、慣れてきてもバランスの気になる時は使える)

ご自身で上手く行かないと思う箇所があれば、正直今の時代、目や顔バランス、髪の描き方、身体の諸々のパーツ、男女の体を表す違いなど、イラストを描く為のコツがネットにゴロゴロ転がってるだろうなので、検索してみるというのも手だ。

俺よりも上手く説明されている方や、サイトも多いし、実際俺もお世話になった。

いやー、しかし、服のシワ、シャツのえりの向きなどから、服に動きが付いて、また一段上手くなったように見える。
袖端の膨らみもしっかりと表されている。

服や肌の影の輪郭というか、境界がある事で、影がどこに付いているのかもパッと見解りやすい。

この、全体的な顔バランスだからこそのそう見えるという所もあるかもしれんが、鼻の表現もなかなか好みだな。

よく漫画だと、鼻の穴を描かれていないというような、簡略化された鼻の表現も多いかと思うが、あれは鼻の穴を描くと、絵柄のバランスとしてリアル感が高まる為、そのバランスを取る事が難しい、というのもある気がする。

その点、上手く鼻の穴があっても違和感のない表現…、影の付け方や鼻の線の取り方、鼻の穴の場所だと思うのだ。

あと、何かステップアップというか、付け足せるかもしれない、良くなるかもしれない事を思うとすれば…

服を纏っていない…、もし来ているものが長袖であれば、腕まくりしたご自身の腕の、肘周りを、伸ばしたり、曲げたり、ちょっと角度を付けたり、変えたりしながら、色々見てほしい。

肘を外側とした時、内側の折りたたまれるというか、内側に曲がる部分に窪みがあるのが解るだろうか。
(足で言えば、膝裏というか、骨の出っ張ってない側の方)

慣れないうちは立体感をイメージするのも精一杯というか、腕がどこを向いているのかという事をなかなか意識して描きづらいかもしれないが、あの窪みを描き込めると、メリハリがついて、腕が何処を向いているのかという事が伝わりやすくなるかと思う。

(よりリアルさを意識した場合、光の当たり方にもよるが)線で表現するとか、影として表現するとか。

また、腕自体にも、少し筋肉の付き方の特徴がある。
(現実的に考えると、個人差によって結構差はあるが、人間全体としての、大多数というか、一般に広く認知されているだろう特徴)

手のひらを上に向けて、目の前に真っ直ぐ腕を突き出すと、シルエットとして、肩は少し膨らんでいて、そこから肘にかけて細くなり、肘で膨らむ。
膨らんだ肘から、なだらかに、手首にかけて細くなって、手首に近付くにつれ細まる度合いが低くなっていく。

極端な話、長めのワインボトルというのか、お酒や茶色い醤油瓶などの、あの底が膨らんで、飲み口に掛けて細くなっていくというような形だ。
より近いもので言えば、使用していない、某キューピーマヨネーズやケチャップなどの容器が妥当か。

厳密に腕は、あの瓶のように、完全な丸という形や、マヨネーズ容器などのように左右対称で均一な形をしていないので、よく見ると…
手のひらを上に向けて、腕を正面に伸ばした時、小指側の肘付近の膨らみが、親指側の肘付近の膨らみと比べて小さく、膨らみ方もなだらかだとか。(個人差あり)

他にも手首の向きや曲げ方を変えたり、見える角度が変われば、また別の形になるのだが…

まあ、手のひらを上に向けて、まっすぐ伸ばした時のシルエットを、輪郭として表せば、だいたい肘を含んだ手首までの形、シルエットは、マヨネーズ容器のようになるので。
手のひらと肘裏が絵の正面を向いている場合に、そのように意識して描けば、より、リアル感や立体感が増して見えるかもしれんな。

あと、シャツという点で言えば…
これは…、漫画媒体としての表現を詳しく見た事はないので、ちょっと口出しにくいんだが、原作絵の表現として、服のボタン周りを省いて描かれている事が多いように感じる。
(そういう服として描かれている)

この、服のボタンというのは、服の正面、今回の絵で言えば、シャツの真ん中の線、開いた服を止めている場所のシワに直結するので。
原作にそういった表現がない訳ではないのだろうが、服という点から見ると、斉木の原作絵、もしくは公式アニメでの絵以外…

この方の絵や、絵としてのシワの表現も上手いのだけれど、表現の出てない所はあるように見えるのでね。
要は別作品や、別の方のシワ表現も参考にすると、シワのバリエーション、描き方として学べるものは多くなるかもしれんよ。

まあ、正直言って、原作絵通りに描こうとせんでも問題はないしな。

気が乗るようであれば、また、まだまだ斉木を描きたいのであれば、自分の思う服を着せた姿を描いてみてもいいかもしれん訳だ。

最後になるが…

手を隠したな、キサマーッ!!

…いや、別に難癖つけたい訳じゃないし、描いていて全体像が大きくなると、画像として上げれば粗くなるだろうしな。
細部が見えづらい場合もあるし、見せたいものを見せるのも、隠したいものを隠すのも表現の一つだろうから、気にはならん。

ただ、解っておられるだろうと思うが、上手くなりたいのであれば、見せようと見せまいと、それはそれとして、ご自身の納得いくというか、違和感を薄めていく為、描きたくなった時、練習はしてくれな。

…俺みたいに、顔ばかりを描いてたり、モンスター的なのを描いているばかりだと、人間の全体的な身体やら服やらが疎かになるからな。

その全体的な、総合的表現のうまさというか、習熟のバランスというのかも大事だぞ。

好きなキャラを描いて、ポーズを取らせたいとなってくると、割と苦戦したりする。
・・・小瓶を見る
烏羽
ちょっと笑った。

ゲジゲジか、アシダカグモか、最悪ムカデか…
虫には虫をという手もあるぞ。

…まあ、ゴキブリが多すぎる場合、捕食対象というか、食料が豊富にあるという事で、そいつらが逆に増える場合もあるんですがねー。
(番いがいたり、出来たり、腹に卵抱えてる場合であれば)

ただ、ゴキブリを食べる事から、ゴキブリの生息圏に近い所に出やすいというか、出る時は出るが、あんまり人の目に付く所には出ない事の方が多い気がする。

ムカデは危ないので除外するとしても、ゲジゲジやアシダカグモは、いざ見た時ギョッとするかもしれんが、もし家にいたら叩き潰さんといてな。

あいつら、ゴキブリのハンターだから。
しかも、大体ゴキブリいなくなったら勝手に去ってくから。

ゲジゲジとアシダカグモは、人の感性にもよるが、見た目以外に大した害がないどころか、ゴキブリの実害(食中毒など)と差し引いて、マジで益虫だからな。

また、ゲジゲジはシロアリなども食べてくれるそうだ。

最近、ゴキブリの中に、毒物への耐性を付けて来た奴とかもいるらしいからな…。
殺虫剤などが効かない、効きにくい場合もあるそうだ。

とにかく、このゲジゲジとアシダカグモ、二つの虫は、殺そうとしてやるなよー。
殺してしまうと、ゴキブリが繁殖しやすい環境を整える事になりかねんからな。
・・・小瓶を見る
烏羽
そうか、相談はしたんだな。

では、復縁したい相手さんに対して、何かしら接触しようとはしただろうか。
あるいは、相談する事、また、ご自身で調べたりされて、どのようにか、復縁したい方へ思いを伝える方法なり、復縁に至る可能性がある行動なりを、神社へ願う事の他に、思いつく事は出来ただろうか。

(もし復縁のために、復縁されたい相手さんへ思いを伝えるなりの行動を思い付き、もう既に接触をしたというのなら、ここから先は要らぬお節介なので、読まなくて構いません。また、以前のお返事は的外れであっただろうなので、申し訳ありませんでした)

思いを伝えよう、その為に接触しようとされる事で、懸念はあるだろうし、相手さんから突っぱねられる事もあるかもしれない。

不安もあるかとは思うが、どう悩んだとして、やってみないと解らないというのもご存知の通りだろう。

ただ、例え相手と復縁できるかどうかというのを抜きにして…、言い換えるなら、諦められないかどうかを抜きに考えて。
お相手の事を、幸せであってほしいと、そういう思いは、小瓶主さんの中にあるだろうか?

相手さんが良い人だ、尊敬できたり好きな面がある人だと思うのであれば、それなりの関係として、知り合いか、少し距離感の遠い友人関係か、それぐらいとして付き合い始める事は出来るんじゃないかと思う。

もし拒否されたら行動としては諦めるとか、相手側に、接触するのも辛いという気持ちがあるのなら、それを尊重してあげた方がいいかと思うので…
(復縁というのも、相手あってのもの、意思を無視できるものではないだろうなので)

よりを戻したいにしても、浅い関係からやり直そうとするにしても、まず相手の意思、意見、気持ちを聞いてから判断した方がいいかと。

小瓶主さんご自身のみに、よりを戻したいという気持ちがあって、それを別れた相手の立場としてぶつけられても、一度別れた思い、それなりの理由や葛藤から受け入れ難い可能性もあるかと思うのでね。

本当に、相手さん自身の幸せを考えられるのであれば、相手の意見、拒否をも受け入れてあげられる為、それなりの覚悟は必要かもしれない。

再度書くが、やってみなければどうなるかは解らないし、一度ダメだったとしても、その後の、人としての付き合い如何では、復縁まで行かないにしても、多少なりともマシな関係性になる事はある、かもしれないと思う。

まあ、もし本当に神様がいるとすれば、事あるごとに様々な、多くの人から願掛けばかりされても…、例えその神さんに願いを叶える力があったとして、手など足りるかも解らん。
願いをどうこう以前に、そもそもが忙しいかもしれない。

俺も勘違いしていた事はあったが、願いが聞き届いたとしても、神様というのは願いを叶える為の機械や道具ではないだろうし。

また、聞いた話では、願いばかり投げ掛けられる故にか、大きな神社であっても、そこに崇め奉ろうとするご本神の存在を感じられない場所もあるという。

ただ、神さんがいると仮定して、分けられた御霊というのかね。
どんな人に対してでも、ずっと見守ってはいてくれているんじゃないかと、個人的には感じている。

頑張って…というのは少し変か。
好転があるよう、祈ってみるよ。
・・・小瓶を見る
烏羽
事情も詳しく解らんので、認識に関してだけ、書かせて頂ければ。

認識がどういうもので成り立っているかと考えれば、それは感じたもの、目などの感覚器官に入り込んだ情報や、思考によって成り立つ。

例えば、時間が足りない、愛が足りない、そう思うという事、状態は、結果としてそういった要素を、今感じる情報の中から探り出す…、少なくとも、探りやすい傾向になる、という事かと思う。

人間は認識を通して事実を見るが、認識が事実という訳ではない。
時としてそこを忘れ、認識そのものを事実として感じる事もある。また、認識そのものを誤る事もある。

…ご自身を中途半端だと評価するのは結構だが、文章から察するに、今まで精一杯頑張ってこられて、だけど思うようには上手くいかず、タイミングの悪い事、ショックな事もあり、苦しんでいるのではないだろうか。

その中で、こういう話をするのも酷かとは思うが…
「分かった」と思う事で、自分の見えるもの、感じるものというのを、ある程度決めてしまう、絞って見てしまう事はある。

辛い事があったのだろうから、元気のない時は休んでほしい。

疲れていたり、疲弊している時にものを考えても、大体はその体調につられる様な形で、あまり良い考えも気分も、浮かび難いものだと思うので。

だが、もしほんの少しでも元気や余裕というものを感じられた時があるのであれば、ご自身で、自分の行く先が、必ず都合の悪い方へ行くと、決めてしまうのはやめて頂きたい。

辛い時期であるからこそ、自暴自棄になって、ご自身にとって、少しでもより良い、歩めるかもしれない人生、行動を、手放してしまわないで欲しい。

確かに、連鎖という要素はあるかもしれないが、それはあくまで要素。

連鎖にしても、その物事の始まりと終わりを、どこからどこまでと決めているのかという事。

要素としてみても、それを何に、どう繋げようとするのかは、それぞれにしか出来ない。
逆を言えば、出来るかどうかは解らずとも、自分の意思で決められる箇所だ。

決められると言っても、今まではどうだったのかは解らん。
自分で決めてきたものもあったかもしれんし、意識せずともいつのまにかそうなっていたような、所々で運の要素もあったかもしれん。

そもそも、決められるという認識がなければ、何の仕方もない。

それでも今、これからの、ご自身の人生を、都合の悪いものとして決めてやらないでくれ。

あなた自身が、そのような情報を集める事になってしまうかもしれないのだから。

ご自身の頑張りや、向上が、なかったもののように、見え難くなってしまうかもしれないから。

どうか、ご自身なりに頑張ってきたであろう人生を、挫かないでやってくれ。

何より、あなた自身の事なのだ。

せめて少しでも、たまには上手い飯を食って、暖かい風呂に浸かって、ぐっすり眠れる時間を取ってくれ。
・・・小瓶を見る
烏羽
終わりがあるという事に対して、それぞれの持つ価値観は違うだろうしな。

小瓶主さんが、生きる意味や、いつか死んでしまう中で何故、熱中というのか、がんばれるのかという事を深刻に考えているように…
逆に、その時生きていて、行動している中、いつ死ぬかも解らない事を考えるより、目の前に見えている問題の方が、深刻だという場合もあるかもしれん。

そもそも、死ぬ事を意識して動いていなかったりする場合もあるだろう。

人それぞれの価値観があるように、考える上での順序、優先度というか、その一瞬一瞬の中、瞬間瞬間で、何を意識して進んできたか、という違いはあるのだろう。

今小瓶主さんが、生きる意味を意識して生きているように、様々な時間の中で、それぞれ、自分の気にする事を気にして生きている。

正直、俺も10年程度ぐらいか考えていて、それでも何のために生きているのか、生きる意味は何か、というのは、明確に解らん。

ただ、少なくとも、生きる意味を探してきた事から、生きている中で、気にしている事へ向き合って進んで来たのは確かだ。

何だかんだ小瓶主さんも、この小瓶の内容のように、生きる意味や、どうしていつか死ぬのに、あんなに頑張るんだろうという事に、思い悩んでいる。

何が滑稽なものか。
それも一つの奮起、熱の入ったとでも表現できる、今の主さんなりに気になって、向き合っている事なんじゃないかと思う。
また、当然、真剣に向き合えば、それなりに疲れる事だろうとも思う。

甘えというかな、あれよこれよと頭を使って考えたからこそ、疲れるものではないか?

筋肉と同じように、動く為には栄養が必要だし、動けば消耗して、筋肉痛のようなものもある。

考える事にも疲れはあるものだ。
集中出来なくなってきたり、考える事が纏まらなくなってきたり、気分が落ち込んできたりする時は、疲れている事のサインとして見ていいんじゃないかね。

元気や余裕があると感じる時、もし小瓶主さんの気が向いて、もう一度、小瓶の内容について考えてみれば、また今回とは違った答えが出てくる可能性もある。

勿論、今回と同じ答えが出る可能性もあるが、それはそれ。運もある。
やってみてから、初めて解る事だよ。

とにかく、疲れた時はちゃんと休もうや。
人生に疲れたとするなら、その疲れを癒せるのも人生の中にあるものよ。

好きな音楽や、景色をぼーっと眺める事。動物が好きなら、そういった写真とか、動画を見る事もできる。あと、種類問わず、本を読むとかな。
ほんの少しの時間だとしても、気を抜いて、ゆっくりして欲しい。

少しでも疲れが和らぐといいな。
・・・小瓶を見る
烏羽
再々、お返事どうも。

はは、いや、名前に関して、そんな大した事でもないので、あまり気に病まぬよう。

…俺自身も、なみだうさぎさんなのか、なみだいぬさんなのか、お返事欄を見ている途中、お二方がごっちゃになって混乱してたので(苦笑)

納得ではなく理解だったか。

そうだな、自分を愛そうとしなくても良いというか…、愛そうとする事は出来るのだが、それを抜きにしても愛はあるというか。

愛そうという意識や、行動がなくとも、生きている以上、それなりの愛は持っているもの、と言えば、多少解りやすいだろうか?
そう解釈している、という事を伝えようとしていた。

その愛が、自分へ向かった形…、もしくは、自分への愛が滲み出てきたものの形が、自立心、自律心(あの時は言葉が出てこなかったのでそう表現したが、自身への否定なども含む、理性のようなもの)や、肯定、思いを守ろうとする事などに繋がっているのではないかと思う。

自己中心的というのは、悪い意味でのものではないよ。

自分を中心としてしか、人は相手の気持ちを考える事が出来ない、と個人的な経験として思っている。

なので、それを自己中心的、あるいは自己主体的な思いと表した。
「自分の認識から人の思いを推測している」という説明になるかと思ってね。(誤解を生んでしまったが)

自己中心的な事が悪いという事でなく…、それが人間における、一つの認識の仕方で、どこまで客観的になれたとしても、自分を中心とした認識でしかない、という感じかな。

それを踏まえた上で、推測というこの認識の仕方が、要因はさて置き、結果として、都合の悪いものと繋がる可能性はあるよ、というか。

「自己中心的」というものに対して、そういった繋がり、結果から、良し悪しを付けている、都合が良いか悪いかを認識しているのは、個人個人だと思う、と。

(だから、俺の場合は「かもしれない」という、自分の推測、認識である事を気に留めておきたいと思っている)

なので、自己陶酔や、自己愛(←自分への愛という事ではなく、ナルシシズムの事。要は、自分自身を性的に見る事を含めた自己陶酔、という認識で俺は使った)
などと同じく、「自己中心的」という事そのものには、良いものも悪いものも何もない、というか。

…自己愛というと、「自分自身への愛」という認識をしてしまうかもしれんし、俺もごっちゃになる事があるが、前の返事で書いた自己愛は、「ナルシシズムを漢字で表した、略しただけのもの」という事と、「自身へ向ける性的な愛を含めた自己陶酔」として、使ったので…

多分、そこが説明されてなかった為に、より解りにくくなったかと思うので、少し書くと。

自分へ向かう愛、というカテゴリーの中に、自己への肯定、自分を守る事、自分を律する理性、と言ったものなどがある。

また、それらの合わさった、細かい形として、自己陶酔や、自分への性的な愛、他には自尊心、受け入れる心や受け入れたくない心などと言ったものがある。
…と、俺は認識してして書いた、という事だな。

なので、「自分へ向かう愛」というのは、自己陶酔や自己愛ではなく、それらも含めた「細かく分かれていない中で、結果的に自分へ向いている愛」だと思って読んで欲しい。
(そのつもりで書いた)

俺自身、あまり説明が上手いとは言えん事と、感覚的なものを言葉にしようとするとどうにも纏まらなくてな、読みづらかったと思うので申し訳ない。

長ったらしい文に付き合ってくれてありがとう。

…あと、そうだ。
自分自身というのは、様々な人との関わりで出来ていくものだと思う。

であれば、それは、他の人の経験などと共にあるという事かもしれない。

…なんか、アニメの主人公が、ラスボスなどのデカイ敵を倒す時、みんなの思いが詰まったパンチを繰り出すとかあるじゃん。
アンパンマンとか。

ああいう感じで、人から貰ったような要素が自分の中に活きている事もあり、そういった視点から、例え、一人であっても孤独ではないと思う。

そういったように、それで、湧き上がる不安な気持ちが落ち着くかは解らんが…、孤独ではないと考える事は出来るんじゃないだろうか。

ではな。
デュワッ!(ウルトラマンの別の声)
・・・小瓶を見る
烏羽
国の行く先がどうなるかは解らんだろうが、国とは国民が居てこそ成り立つものだ。

お子さんの先を案じればこそ、今のご時世が不安だからこその悩みかと思う。
ただ、子は国の宝という言葉がある通り、子が産まれなければ、国は滅びるだけだ。

法だの、国の上の権力持った人だのに、不安が募るのも理解は出来るが、第一に人だ。
できる範囲に限りあるとはいえ、選挙などでの投票もある。

人として良いのであれば、国が持たざるとも、きっと人として持つ。

親と子の関係、弱い面を見せず安心させたい気持ちも親心としてはあるかもしれんが、関係性どうのではなく、まず人の関わりとして、同じ人として向き合う。

心の強さが欲しいという事は素晴らしいものだと思うが、垣根のない同じ人である事。
それが第一に向き合う事じゃないかと思う。
(※小瓶主さんが向き合えていないとかではなく、単に俺の思う事として)

詳しい事情も解らない上、心が強くなるというのもかなり漠然としたものなので、大した事は言えないが…

例えば国の将来が不透明で、それに対しての漠然とした不安から、明日何が起こるか解らない、気持ちの落ち着かなさをどうにかしたいというのであれば、それはいつ死ぬか解らない事、いつ大きな災害が起きて、それなりの安定した生活が崩れてしまうかどうかという事に近いのではないかと思う。

であれば、日頃から防災の為に、非常食を用意したり、地震があれば机の下などに隠れたり、地震対策として家具の固定、家の見直し、高い所に逃げる、逃げられるルートの確認などのように、最悪の事態への対応を考えておく、予め、どういった対応が望ましいか、訓練しておく、知識をつけておくのが良いのではないだろうか。

これは大袈裟な話だが、国というものが崩壊した時、まず第一に関わってくるのは、自分の身の安全の内、食料確保の問題だろうか。
なので、サバイバル知識を心得て置くとかな。

不安というのも、あるかもしれないという事に、対応出来そうもない、対応出来る術が目に付かないから、不安なまま抱えている事になるのではないだろうか。

その時出来るかどうかというのは、まあ、何が起こるかというのも含めて推測の内なので、やってみるまで、起こってみるまで解らんが、事前知識があるかないかで大分マシになる可能性は高いと思う。

子を守りたい、その子の先を案じるのであれば、その子自身が一人になった時、ある程度でも自分の身を守れる力が付くよう、時に手を差し出し、時に見守るのが、教育というものなのかと思いもする。

…ただ、前提として、不安な時は不安なものだし、メンタルが落ち込む時は誰だって落ち込む。

その後に「強くなりたい」と書かれてもいるので、揚げ足取りかもしれんが、その落ち込んで、疲れている自分を奮い立たせる為に、「そうでなければならない」という思いはやめた方がいいかもしれんな。

ご自身の身体の事なのだから、言われるまでもないお節介だとも思うが、疲れている時というのは集中力を欠いたりして、失敗も多くなりがちになってしまう事がある。

強くなりたいと思った気持ちを優先するが為、ご自身で動く事だけではなく…、無理は程々に、それが無茶にならないよう、疲れたと気付いた時、休む事を、頭の隅に置いて頂きたい。

…まあ、その休み方というのが、不安などから来るストレスの解消に繋がるのかとも思いはする。

火を扱う事から、換気や、周りに燃えやすいものがないかという事などに重々気を付ける必要はあるが、アロマキャンドルとか、いいかと思うぞ。

(…もし気が向いて、使う事があれば、本当に取り扱いには注意だ。種類などにもよると思うが、キャンドルを入れる容器が、使用時間によってはとても熱くなる場合もあり、置いている場所が燃える可能性もあるので、ネットで注意事項を調べたり、買った時に説明書などがあればよく読んでな)
・・・小瓶を見る
烏羽
仕方ない事は確かだが、もしかして湧き出すその気持ちを消そうとしていないか?

羨み、嫉妬するも、健康的、正常な、一つの人間の能力よ。

それを抱えていて辛いというのなら、発散する事や、受け流す事、気をそらす事を行えば良いのではないかな。

あいつが頑張ってる、すごい、羨ましい、自分もやってみたい、やる、とかな。

頭で解っていると書かれているので、もうご存知かもしれないが、一応書くと。

例えば、相手の能力や状態、結果を欲するとしても、実際には、自分がそれを見ているものだ。
要は、本当にあるかどうか関わりなく、自分自身が、相手の事を自分なりに解釈して、そこにある、持っていると思うからこそ、妬むものではないだろうか。

であれば、その求めるものは、自分自身のイメージを追っているという事で、相手の中にあるものではない。

如何にも相手が、自分の欲しいものを持っているように見えはするが、実際は自分の体で動く事でしか手に入れられないものを、相手の姿に重ねている。

…そういったように解釈すれば、自分でやってみる他はなくなる、と思う。

まあ、そう解釈せずとも、羨む気持ちや嫉妬心を抱える事が問題なのではなく、その気持ちに苛まれ、動けなくなる事の方が困るものではないかとも、個人的に思う。

なんというのか、羨む事も妬む事も、結局は相手を見た上で、自分でもやってみたい、上手く行きたい、などと思う気持ちの表れではないかと感じる。

…なんてな、そう思って、俺は心の向く先を逸らして来たという話だ。

俺の場合は、張り合いたい気持ちや、自分が上手く行ってないものがある時、だけどやってみたくてしかたない、相手に先を越されている、などと思う時に羨んだり、嫉妬する事がある。

だから、逆に考えてみて、それは自分自身が行動したくて仕方がない合図なんだと思う事にした。

程度にもよるだろうが、嫉妬している時は忘れがちな事として、別に相手が憎い訳ではないのだ。
それどころか、凄いという尊敬の念や、憧れを抱いている事もある。

なにも、相手のやっている事を丸パクリして乗っ取ろうなんて事はないだろうし、そもそもそれをやって得るものも、「得たつもりになった」という自分の認識だけだろうしな。

個人的なものなので、小瓶主さんに通じるかどうかは解らんが、気が向いた時、ほんの少しの参考になれれば幸いだ。

自分も上手くやってみたいと思うのであれば、羨む相手を追うのではなく、その相手を見た時に感じる、自分自身の望むイメージを追って見てくれ。

良い行動につながる可能性はあるし、少なくとも、自分の求めるものが自身の内側にある事への意識から、相手を妬む事に構う時間は少なくなるかもしれんと思う。
・・・小瓶を見る
烏羽
心の病気とは言われるがね。

正確には、体内時計だのの、自律神経系の失調から気分が優れない事や、神経系に腫瘍ができたりする事による情報の伝達異常、何らかの要因から、思考回路がどうやっても死にたい気持ちに向いてしまうような、物理的に身体の仕組みも関わる、場合によっては、気分だけでどうにかなる問題ではないのは確かだよ。

心と言われると、精神面として、身体の事と切り離されて考えられがちではあるが、そもそも精神というのも身体の一部なのだ。
精神的なストレスに身体が耐えられなかったり、精神に、ストレスの溜まった身体が追い付かなかったり、という事は割とあるものだよ。

それはどこの誰にでも、一要因としてある。
遺伝子でなるならないが決まるとか、そんな生ぬるい、対岸の火事に出来るような、壁のあるものでもない。

鬱というのは、人間が人間である以上、誰にでも起こりうる可能性がある、一つの病状だと思う。

また、そういった認識があまりにも知られておらず、自分が鬱ではないと思い、ひたむきに頑張り続ける真面目な人程、何故か発症率も高かったりする。

嘆かわしい事に、現代社会で、素直だとか、真面目だとか、優しいとか、しっかりしているとか、そう言われるような人ばかりがな。
(勿論、傾向であって、その限りではないが)

また逆に、自分が鬱だ鬱だとよく言いふらす人に限って、鬱じゃない事が多かったりとかな。
まあ、この場合、鬱ではなく別の、抑うつ症状や、躁、人間関係の大きなストレスを抱えていたり、他の病…、双極性障害や、適応障害とされるものを抱えていたりする場合もあるだろうがね。

寧ろ、不安であるなら診察して貰いに行った方が良いんじゃないかね。
最悪、神経系に関わる腫瘍が発見されるケースもあるし、もしそうでないとしても、自分自身が健康である、とされる水準にある事を確認できるかもしれない。

そもそも、病とされたり、精神的な疾患、障害とされるものは、医療において診療するための定義区分だろう。

そこに、定義も知らない一般人が、勝手な知識から、侮蔑や、差別的な意味を込めて使う事こそ、おかしな話だ。

もし小瓶主さんがそういった認識でご自身を見てらっしゃるなら、言葉はキツかったかもしれんが、捨ててしまえ。
そんなもん、あっても邪魔になるだけだ。
・・・小瓶を見る
烏羽
お返事どうも。(↓長いです)

解釈次第といえばそうなんだが、俺はそれも、自分の理想というのか、自分の望んでいる事、理念を守りたいとして、行動し、自分の思いを守っているように感じる。

自立心…、自律心かね。そういった、人間が自分で立てる力を持つ以上、自分自身を守る(≒成り立たせようとする)心はあるんじゃないかな。

自分を守るというのも、何も、傷付ける傷付けないという話に関わらず、自分の意思や、見えているものを肯定したいかどうか、という事も含まれるのではないかと思っているのでね。

納得できんのなら、別に無理矢理納得しようとせんでええよ。

まあ、自分を肯定する事、成り立たせようとする事が高じて、過去の自分の成功やらに、しがみつこう、過去の成功が素晴らしいあまり、今の自分を現実的に見れていない、となってくれば、自己陶酔、ナルシシズムとなってくるかもしれんがね。

(精神分析学というのか、そういった業界において、もともとナルシシズムとは、自分自身を性愛の対象として見る事。そこから転じて、自己陶酔の意味も含まれて使われるようになったらしい)

ただ、その場合でも、自己愛、自己陶酔そのものが悪いという事はないと思う。
場合により、不安だったり、傷付きそうな心の内を自分で守ろうとしている事に繋がっていたりするので、そういう意味では良いものだろう。

あくまでも、自己愛の強さによって、例えば、根拠のない自信から、己のみが世界で偉い存在だと驕り高ぶって、目に付く誰かを手当たり次第に貶すとか、罵倒する事に繋がれば、それは困る事となるだろう?

持っている事自体が悪い事ではないし、そもそも形のおぼつかない愛を、認識しやすいよう言葉で区分けして、また何が都合が良いか、悪いか、良し悪しをつけているのは人間その一人一人だと思う。

今俺が返事を考えながら書いているように、「どれだけ相手の事を思って返事を書いている」と、自分自身が認識していたとしても、それはあくまで個人の主観。
限りなく客観性に近づけたとしても、自分を中心とした考え、ある種の自己中心…というか、自己主体的な思いにしかならないんじゃないかと。

強いて言うなら俺の場合、相手がこう思っている「かもしれない」という事を忘れて、己が思いに囚われ、事実を無視し続ければ、うぬぼれ、自己陶酔に繋がる可能性はあるだろうがね。
(俺は臆病なので常にビクビクしてもいる)

まあ、ここからの文は言葉尻を捉えたというか、的外れだったら構わないんだが…
もし、なみだうさぎさんが、自分への愛が強まる事で、自己陶酔に陥るのではないかと気にしているのであれば、その辺…。

自分にとって何が悪いのか、困るのかを気にして、それ相応なりに行動していれば、問題はないんじゃないかね。
(もう、懸念という行動をしているように思えもするが)

また、誰かと喧嘩した時に、憤りからその人を傷付けてしまうなんて事もあるだろう。
それも、自分を守る為の事で、愛があるとも言えるが、起こる時は仕方なく起こり得るものだ。

そこに心から気付けば、己を省みて、謝る気持ちというのも自然と湧き上がってくるものだと思う。
真心からの行動であればフォロー出来る場合も多い。

自分を愛しすぎる事そのものがナルシストへ繋がる訳では無いと思うんよ。

要は、それぞれの自分の内にある愛の上での、自分の身の守り方や、自分への向き合い方が、ナルシストと呼ばれる形になる事、または、人からそう見える事になっているだろうというだけでね。

例え、自己陶酔の傾向が強かろうと、それを自覚できる時点で謙虚を心がける事は出来るだろうし。
少なくとも俺はそう言った心がけをしている。(自信はない)

…因みに、俺の名前は「とば(鳥羽)」ではなく、「からすば(烏羽)」なので、紛らわしいかもしれんが気を付けてな。
自分も付けてから気付いたが、鳥羽というペンネームの方もいらっしゃった事があったので…。
・・・小瓶を見る
烏羽
(また長くなったので、読まれる時はご注意を)

服のシワや影の付け方に自信がない?
ばっきゃろー、それで良いんだよぉ!

解らないなりにでも描いてみるのが第一歩なんだから、理想のイメージはどうあれ、自分のイメージを現実にアウトプットする為の練習になるので、良いと思う。
というか、それこそ、一つの、絵を描く上での才能だと思う。

アニメ…、空想や妄想をイメージする上で、それらを、現実に目を通して見た時に、あまり違和感なく、それっぽく描けるようにするというのは結構大事なのだ。

(語弊がないように書くと、「それっぽく」…あるいは「なんとなく」とも言えるが、それは手を抜いて描くという事ではなく、感覚で描くという事)

また、それっぽく見せる表現というのも人によって様々かつ、際限がほとんどないので、ここら辺に関しては、本当に様々な人の絵の表現を知ったり、自分で描きやすかったり、しっくりくるものを模索する他にないぞ。

なので、チャレンジはかなり大事だと思うし、凄い事だと感じる。

そもそも絵としては、リアル感だとかアニメ感だとか意識しなくとも、自分の思うように、好きに描きゃあいいんだし。
寧ろ、それがチャレンジのヒントに繋がる事もあったりとな。

100点中何点か…と言われると、俺にはまだ何を100点と見做すのか、イメージが付いておらんので、採点はできん。

良いところとして思うのは、細かい所を書き込めている所…、以前だと、ズボンのチャックを隠す部分というのか、縫い目の部分が描かれていなかったし、ベルトも見えなかったが、しっかり描き込まれている。

服のシワにしても、凹みや膨らみが服の輪郭に表れている。
影も、割とそれっぽく、色使いなどで表せていると思う。
顔のバランス感も整って来ているように見える。

あと、髪の塗りもそれはそれで味があって悪くはないと思うけど、強いて言うなら、塗ってない空白の白い部分が、髪の照り返し(ツヤ)に見えてしまって、それがどこにあるのか定まらない。
それにより、全体的な塗りから判断して、顔や服、細かいアクセサリーの塗りよりも、荒い塗りの表現に見えてしまう事だろうか。

要は、髪の塗り方が他の塗り方より目立って見えやすいかもしれない。
(目立たせたいならアリかもしれないが、逆を言えば、全体の塗り方のバランスとしてみると気になる)

また、そこから、空白、白い部分はツヤと見なせる、ツヤの表現として活かせるので、色を塗る前に、何処が髪の毛の輝くツヤなのか、どこまで色を塗って、どこまで塗らないのかの境界線、目印になる物を書き込んで置ければ、ご自身で見た時、解りやすく塗れるかと思う。

三白眼は、そうだな…、もう少し黒目…というか、瞳を小さくする事を意識して見てはどうだろう。

もうやった事はあるかもしれんが、目だけ練習してみるとか…、顔の輪郭も同じく言える事だな。
首から上の顔だけを書くとか。

斉木の三白眼だけではなく、他のキャラクターの、三白眼の表現なども学んでみると良いかもしれない。

顔は、原作と照らし合わせると…
もしかして眉毛描き忘れたか、スペース取れなかったんかね?
まあそれは置いといて。

縦長の輪郭が描けない事に関しては、まず、大体でいいので、縦長を意識した長方形を描いてみてくれ。
で、その中に収まるよう、顔の輪郭を描いてみてくれれば、多少は描き方が掴める…、かもしれない。

(…あんまりにも細長いと極端な輪郭になるので、そこは描きながら調節してってみてくれ)

で、ほかに輪郭が横長に見える原因として考えられるのは、原作の絵と比べて言えば、顔の割合として、目が大きい(顔の中で目の占める場所が大きい)事かな。

また、目の大きさの横幅が広い事で、原作にあるような目の横にある、こめかみの下にあるであろう「肌の空間」が少なくなっている事も、現実の絵として目に入った時、少なからず立体感を意識してしまうので、目の大きさから、輪郭線がそのまま頬の形として認識されやすく、つまりは顔が大きく見える原因に繋がりやすいと思う。

(人間の顔は目のすぐ横、すぐ下が頰であるため、絵を見た時でも、絵の中の顔を、現実の顔のように捉えがちなので、それに則って違和感が生まれる…のだと思う)

原作を考慮しなければ、それはそれで良い顔の表現バランスだと思うけどね。

で、手に関して。

これはまあ、初めのうちは俺も難しかったから、難しいもんだと思っていいというかね、重く考えなくて良いと思うけど、自分の手をまず見てほしい。

で、この絵に描いた、斉木の右腕のポーズを、ご自身の右腕だけ動かして、ちょっとやってみてくれないか。

で、ポーズを取ったら、腕から先を、そのままのポーズから、丁度、手が肩に届きそうな位置まで上げてくれ。
(ダンベルを上げるみたいな感じで)

手のひらが顔の横にある状態になると思うので、そこから、小指側の手のひらの側面が見えるように、腕から先、手首を回してくれ。
(手の甲が体の向きの正面、手のひらが背中側を向いた状態)

その状態で見えている手の状態、向きが、恐らく今回この絵で、小瓶主さんが描きたかったであろう手の形ではないかと思う。
(文字なので、上手く伝わっていれば)

小さい小指が一番手前になり、続いて中ぐらいの薬指、一番長い中指、中ぐらいの人差し指、そして最後、一番奥に親指がある、という状態になり、角度によっては中指に人差し指が隠れて見えなくなったりする。

(絵に落とし込む為には、両方二つの目で同時に観察するのも良いが、片方の目だけで観察するのも、個人的にポイントかと思うぞ)

今回の絵では、少し見切れて、手の全体が見えないのでこれと言った点は言えないが、上に書いたような奥行きを、絵として表現する方法としては、指と指の長さの違いと、指と指とが重なっている事を描ければ、割とそれらしく見せる事は出来るかと思う。
(後は、色ぬりにおける影の表現や、手のひらのシワとかかね)

色ぬりはなくても良いので、手だけ、グーだとかパーだとかチョキだとかの形をスケッチしてみるのも、練習としては良いんじゃないだろうか。

小瓶主さんの絵は、全体的なバランスとして良いので、手の表現が良くなると、また一段変わってくるんじゃないかとも思う。

で、手の周りの服に関して。

これも、袖が開いている服を着てみて、絵に描いた斉木のポーズをしてみると、手首周りの袖が、重力に従って、腕からたれ下がっている事ために、手首の下に袖の空間が出来る事が解るかと思う。

…こう、なんか楕円形というか、服のシワにもよるが、卵型とでもいう形の袖の隙間がね。

そういうのも、服のシワそのものに関わってるので、リアルさを意識する上では大事かもしれない。

前ノートに気を付ける事をメモっとこうみたいな事も書いたけど、別に、一度一遍に全部やろうとしなくて良いので、気が向いた事に対して、意識して描いてみる程度でもええんよ。

一度に全てを意識しながら描くと、おそらく、結構時間かかるだろうし。
逆を言えば、集中力が続く限り、時間の許す限り、じっくり描いても良いのだけれどな。

勘違いでなければ、絵からそれとなく頑張りが見て取れるので、その調子で頑張ってなー。
・・・小瓶を見る
烏羽
男でも怖いもんは怖いだろ。

少なくとも、俺は怖くて仕方なかったから、死を選ぼうとしたし、そこで失敗もした。

本気で死ねる程の甲斐性があるなら、本気で人生を変えられる程の覚悟も行動も出来るだろう。
それだけデカいもんだと思う。

辛い事があるんだろう事がなんとなく解っても、詳しい事情も、小瓶主さんの苦しみも、当事者じゃない俺には解らん。

正直、辛い事があるんなら、楽しい事もあって欲しい、死んで欲しくないという気持ちもあるが、それはそれ、個人的な思いだ。

死ぬなとは言わん。
生きるか死ぬか、自分で選べば良いさ。
生きている内なら、どうとでも決められる。

俺は、大した勇気も覚悟もなく、死にたくても死ねなかったなりに、身体が動くまでは、それなりに生きるつもりだ。
何より、食べてきた命にだけは申し訳が立たないからな。

何であれ、死ぬときゃ死ぬだろうし、苦しみもあるだろう。

事の成り行きがどうあれ、せめて、自分の怖さ、怖がる自分を突っぱねる事なく、それも自分だと受け入れてやれ。

誤解されるかも知れんので、あまり言いたくはないが、男だ勇気だなんだのと、それは逃げだろ。

言葉選びが悪かったかも知れんが、その逃げを悪いとは思わないし、それによって生かされてきた事もあるだろう。

現に俺はそうだ。
何も誇れるもんじゃないし、また逆に、死んだ方に対して、誇らしいとも、侮蔑とも思い浮かびはしないがね。

それによって守られてきた己が身もあるだろう。

だが、せめて、今ある自分へは目をそらす事なく、真っ当に見てやったらどうだ。
それが真に意味する所の、勇気というものではないだろうかね。

その上で、死にたい程苦しい問題があるのなら、死ぬ事以外にも何か逃げる方法はあるかも知れない、逃げていいと思うんだがな。
・・・小瓶を見る
烏羽
行先は解らんな。
かもしれないという推測が一杯だ。

一先ずは、お疲れ様です。

十六夜さんが自分の心、思いが何なのか、どれが本心とでもいうのか、それはまた別として。

死にたいと思うも、死にたくないと思うも、個人的には自身の心、体の内だと思う。

動き出したくない、動き出したい、その相反する気持ちのどちらも己の内。

己の内は複雑であっても、何を優先してきたのか、それが行動に現れるだけだと俺は思っている。

その過程で、時に、例えば死にたい場合、死のうと行動する場合、死へ向かう思いを肯定する事で…
逆の方向の、生きたい、生の中で何かしようという思いを、押しのけてしまうような事もあったのかもしれん。

そういう、思いを成り立たせる上で、一つの身しかない、一つの行動しかできない、そういう人間だからこそ持つ能力というのか…
思考や感情の処理、優先だとでも言えるようなものはあるのだろうな。

なんというか、これからも悩む事はあるかもしらんが、俺はそれっぽい心持ちをしていて、少し悩んだ事があったんでね。
どの思いが正解とか間違いとかではなくて、優先度があろうとなかろうと、自分自身の飾らぬ思いの一つ一つだと思ったんだ。

で、十六夜さんが逃げたいかどうかに関して。
生きている上で、様々な問題を抱え、それら全てに対処しようと、体と心が動いた結果、死にたくなったのかもしれない。

それと同じように、もしかすると、今度は生きていても対処できる、逃げる事の出来る方法を何かしら、無意識にでも見つけられて来たから、死から逃げる選択が大きくなったのかもしれない。
気の持ちようは簡単に変わるものではないというか、大した期待は出来ないだろうがね。

ただ、人間の体は、案外、固いと思う程固くはないが、脆いというには意外と丈夫でもある。
生きている事を成り立たせようとする力は、それなりに強い…のかもしれない。

俺はそれに任せてるような状態で、なあなあに生きようとして、今生きてるよ。
その後も死にたくなる状況はあったし、自傷に走った事もそれなりにあったと思うがね。今は落ち着いているが、これからもあるかもしれない。

まあ、そういった意思というのか、少なくとも、死ぬとか、苦しい思いをしたくない、少しでも問題と思えるものを解消したい、そういう気持ちがあったからこそ、こうして。
十六夜さんが、ここまでカウンセリングを続けてきたり、ようやっと苦しくもありながら、仕事を続けたり、生きてこられたのではないかと、勝手推測ながら思います。

ただ、ご自身の事なのだから、誰と見比べるものでもなく、辛い時、辛いものは辛かったんじゃないだろうか。

詰まる所、ご自身の中で、軽いで済まされるなら良いとは思うが、度が過ぎた無理、無茶な感情の押し込みはしないでくれよ。
それに生かされていた事もあったのではないかと、思いはするがね、やりすぎると自分の気持ちが解りづらくなる事もある。

押し込めるのが癖になって、そればかりに頼っていると、俺みたいに、いつか爆発するかもしれんからな。

ショックな事というのか、疲れたら、出来れば出来る範囲ででも…前もそれらしい事を書いていた気がするので、くどいかもしれんと付くが。
ゆっくり休める時間、音楽を聴くでも、ぐっすり眠るでも、そういった時間を意図的に取ったり、ストレスの発散が出来るような、ちょっとした運動やら、カラオケやらをするのも良いかと思う。

それと、もしもなんらかの治療を受けて、薬を飲んでいるなら、ご存知かもしれんが、割と薬の副作用によって、怠くなっているという事も考えられる。

また、自律神経系の乱れから、気分が優れない、抑鬱的な状態になり、それによって身体を動かしづらくなる事もある。
お節介かとも思うが、そこに主さん自身の落ち度はないので、あまり気にはなさらぬよう。

また、これも詳しい事は解らないし、推測など幾らでも出来るが、良い意味で捉えるとするならば…
カウンセリングが打ち切られるのは、小瓶主さん自身状態が落ち着いてきたと感じた事から、ひょっとするとカウンセリングという小瓶主さんを支える手段が、もう必要ではないと判断されたのかもしれないな。

そうではなくとも、不安な事、気持ちもあると思うが、その時、刃物での自決、自死を自ら止める事ができた。

今後どうなるかなど解らん、解らん事だらけではあるが、それは、生きるという意味、面から見て、凄い事だと思う。

ただ、先に何があるとしても、己の心は思考に繋がりやすい。
自分の経験からの話なので、個人差はあるかもしれないが、不安で、これからも毒や負があるかもしれないという心、思いに、思考が引っ張られる時、何でもないような事でも悪い事だと判断してしまいやすくなっているように感じる。

例えば、俺のコンプレックスが口臭だとして、周りの人…、友達なんかが、たまたま風邪気味で、マスクをしていたとする。
その時、俺が話している途中、友達が咳をするとしよう。

すると、その時俺は、自分の口臭が気になって、「もしかするとアイツは俺の口臭が臭くて堪らないからマスクをしているんじゃないか、マスク越しに臭いが伝わるから咳をしたんじゃないのか」と真剣に悩み、疑う訳だ。

マスクをしていれば大した外気のにおいどころか、自身の口の、咳やツバの匂いで一杯だろうというのに。
それを抜きにしても、咳で鼻水も出ている可能性もあり、嗅覚がまともに機能しているかどうかも怪しい。

…とにかく、そういった、心の思う所から来る、誤認識というのか、些細な事まで疑り深くなってしまったり、疑うあまり情報を見逃していたりという事もある。

なので、そういった可能性はあるかもしれないと、気に留めておいて欲しいというのか…
そういう可能性もあるという事を踏まえた上で、実際解らない事は、解らないままでいいとして。

どうなるかは解らないし、不安もあるが、この職場から解放されたら多少なりとも、気のせいかもしれないぐらいでも、辛さや症状が治まっていれば良いなあ…
…と思えるなら、そう思った方がいいのかもしれない。

まあ、それを抜きにしても、疲れやらなんやらで、どういう気の持ちようがあっても、見落とすものはあるし、間違える時はとことん間違える、運の悪いような時もあるかと思う。

けれど、それでも、期待というのか…、少しでもの辛さの解消や、好転、症状の緩和を望むというのなら、それを手放さないで欲しい。

十六夜さん自身、今回あった事は乗り越えられた、それなりの力を持っている事だけは確かな事だと思う。

そして何より、ご自身も、体というか…、当たり前かもしれないが、自分自身の一部なのだから、何かできるかもしれないような気持ち…、そうありたいイメージとでもいうのか、好転したい意思は、持っていて欲しい。

それが行動に繋がってくる事も、あるかもしれないと思うから。

持つのかどうかは解らない。…が、持ちたいかどうかという、自分の意思も、重要な事なのかもしれない、と思っているよ。

別にダメでもいいんだ。
そん時はそん時で、また他のやり方を考えてみても良いだろうしさ。
・・・小瓶を見る
烏羽
模写…というかトレースかな?
某Twitterとかなら、描いたものが模写したもので、ご自身が安易だと思い、その投稿を消した、申し訳ない、という旨を書けばいいんじゃないかな。

で、絵を挙げる事以外の、コミュニケーションがない系の、某pixiv的な奴なら、まあ、謝りたいなら謝っても良いんじゃない?
また、別の絵を上げた時に説明文的なものを書けると思うんだけど、そこに謝罪文というのか、書こうと思えば書けるだろうし。

投稿を消したという事なので、やってしまった事は仕方ないとはいえ、トレースしたものを自分の絵だと主張して偽り続けた訳でもなかろうし、酌量の余地がないというか、許されない程に怒られるような失敗ではないと思う。

投稿を消すという対応はとったんだろうから、その上で「あいつあの作者さんをトレスした奴を上げたんだぜー」みたいなアホくさい事を、何度も何度も繰り返し言ってくる奴が居るとすれば、側から見てもアホを晒し続けているようなもんだろうし。

これからは同じ失敗を繰り返さないよう、もし模写したものをネットに上げるとしても、この作者さんの絵を模写させて頂いたという事を示したりと、安易にはそう言った絵を上げないよう気を付けようや。

それでええんちゃうか、というか、それぐらいしか出来る事もないしな。
・・・小瓶を見る
烏羽
どうなんだろうなあ。

日食とかは解らないが、地球の磁場というのか、S極とN極は、長い歴史の中で、反転するような事もあったらしいな。

日食か…、まず日食の影響として考えられるのは、地球に降り注ぐ、太陽光線、紫外線などの減少になる。

そこから考えるとすると、割と地球全体の規模から見れば小さい影響、解りづらい程度の影響だとしても(温暖化とかもそうだが)、結局地球表面上にいる小さな生き物にとっては大きな影響が出るので、例えば多少の時間だとしても、日光の減少が起これば、全体的なものとして、それぞれほんの僅かながらの影響かもしれないが、海の水分の蒸発量の低下からくる、大気中の一時的な水分濃度の減少や、熱膨張などによる風(上昇気流)の減少、それらによる局所的な降水量の増加と、局所的な降水量の低下、なにより気温低下の可能性。
局所的に見れば、光合成を行う植物への影響、それによる作物の不作、また植物を餌とする虫や動物達への影響、延いては食物連鎖のピラミッド図式から見て取れるような、肉食性の生き物たちへの影響、人間への影響も考えられるかね。

俺もまだ、地球だの月だの太陽だの、それぞれの関係性だの、詳しく解っていないし、大した知識がある訳でもないので、まだまだ見落としはあるだろうが、今思い付くものとしてはこれぐらいか。

飢饉はそれなりに説明つくとして。
疫病…は、どうかなあ、割と、人間の認識の問題として、今まで悪い事があった予兆を感じると、悪い事があるんじゃないかという思いから、都合の悪いものに敏感になる可能性もないとは言えんしなあ。

医療の発達と言っても、人間の歴史の中じゃまだまだ年月は浅いと思うし、そこから鑑みれば、疫病というものがどういうものなのかあまり明確に認識されていない時代は、タイミング悪く起こった疫病…というか、日食による地球への全体的な影響、気温低下や日光の減少などから、免疫力の鈍ったであろう人達の間で蔓延したと考えられる事情の可能性や、上に記した通り、蔓延していたものを見つけ出したという可能性もある。

地震は解らんな。
全体的な気温低下などの地球への影響により、元々バネのように溜まっていた地球のプレート同士の歪みが弾けて、地震が起きたとも考えられはするが、プレートへまで及ぼされる影響、要因というのが今ひとつ解らん。

…おっと、月の引力という影響を忘れていたな。

聞いた所によれば、月の引力は潮の満ち引きに関わるとされるが、実際には太陽光の熱だのによる、海水の膨張も関わっているのではないかという説もあるそうな。

…まあ、今の所俺にある知識では、どれだけ考えても月の重力、引力が、どれほど地球の表面に影響を与えるのかどうかよく解らんな。
それに、あくまでそれとなく考えてみただけ、好き勝手な推測、空想や妄想の類でもあるので、もしこれを見る方がいれば、鵜呑みにはなされぬよう。
・・・小瓶を見る
烏羽
これも慰め系、解釈によっては引き立て系に入るのかも知れんが、まあ、人生ロクなもんじゃない、自分自身もロクなもんじゃない、そう思えてる奴の方が俺はまだ信用できるよ。

自分の能力を鼻にかけて脂ぎって、何でも自分の思うがまま、思っている通りだという気になってるような、いわば周りが自分の引き立て役だとでも思ってるような奴。
そういう、人の事を何とも思わず蹴散らすような奴は大嫌いだ。

人ん家に土足で上がり込んで、あろう事かタンスを勝手に開き、物色して、物を盗んでいったり、物を壊してその中にあったアイテムを盗っていく奴とかな。

また、経験値だの何だのと訳の分からない事をほざいて、私欲から生き物を虐殺する奴とか。

被害を受けた奴らや、その周りの奴らのその後を、思考の片隅にすら入れちゃいねえ。

現実的に見てどうかしてるよ。
俺の頭もだけど。

…でも、よくよく思うと、俺自身も気を付けたい所だな。

余談だが、好きなゲームで好きなキャラがいるなら、それぞれのゲームの仕様の許す限り、強化素材(素材は強化できないので強くなれない)だろうと戦闘に出して使う事はあったので、割とそういう楽しみ方をする奴もここにいるぞ…。

あークソ、ドラゴンとイチャ付きてえなあ。
・・・小瓶を見る
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