LINEスタンプ 宛メとは?
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烏羽 さんの小瓶箱
烏羽
少し頭のネジが外れていますが、私は元気です。
Vtuberはいいぞ…

名前は、解る人に解ればいいという気持ち等から。
伝える事をはなっから諦めてるという意味ではないのであしからず。
固定された小瓶
小瓶箱トップ
烏羽
もやもやした時、地団駄、良いぞ。
あと、人目が気になるときは少し深呼吸するとか。

真面目な話、全てそれで解決するかは解らんが、身体を動かす事で、ストレスが発散される事もある。

シロクマがマッハで飛ぶ軍用航空機の音や、鉄砲の発砲音だったかな、そういうのに対して逃げた後、周囲の安全を確認出来次第、仰向けに寝転がって、手足をバタつかせる行動が見受けられるそうだ。

人間にも幼少期あるんだよな、嫌な事があると、声を大きくあげて思いっきり泣いたり、地団駄を踏んだり、ゴロゴロしたり。

自分も、小瓶主さんと程度の違いはあれど、自傷癖(最初は切る方だったけど、マッチやらで手を焼いたり、最終的に自分を殴りつけるものになって、止まった。多分、記憶が正しければ一年以上前)があったので、もしかしたら自傷も、ストレス発散のための、それらに近いものだったりするんじゃないかと思ったり。

たまにはラジオ体操的な軽いストレッチとか、スキップとか、小刻みにジャンプしてみるとか、大きく跳ねてみるとか、もし気が向くようであれば、一人ででもカラオケとかどうかね。

効果があるのかないのか、医学的な事はよく解んないんだけども、身体を動かす事に集中するとそっちに意識も向いていく可能性はあるし、疲れるまでやったらなんかどうでも良くなったりする事もあるかと思うし。

あと、気分の切り替えというか、底上げみたいな話なんだけど、太陽の光を浴びる事もいいんじゃないかな。

なんだかロシアだったかの、北のほうだったかどっかで、太陽の陽が全然刺してこない地域があるらしくて、そこの人々のうつ病などの発症率がやけに高かったらしく、どうやら太陽の日差しが関係ある事がわかったらしい。
紫外線だったか、ブルーライトだったか、今ではそういうのを増やす措置がなされてるらしく、効果もあるらしいな。

実際、人間の体は太陽の光を浴びる事でビタミンDを合成するので、それも関わっているかも知れない。

または、ビタミンDを多く含む食べ物、シャケとか、干し椎茸とか、海苔(だったっけ)とか、嫌いじゃなければ意識して食べてみても良いかも知れない。

で、気分というのも、意外と身体のバランスが関わっている事も多いそうなので、不摂生は困るそうだ。
また、腸内環境に直結する、水分の補給と、食生活での食物繊維の適度な摂取、三食食べる事、などは大事なんじゃないだろうか。

それで心の問題が解決するかどうかというのは解らんし、個人差だってあるかも知れんけれども、少なくともそれなりに解消しやすい地盤は作れるんじゃないかな、と思った。
・・・小瓶を見る
烏羽
病院で診断されないと確実にはうつかどうかも解らないままですが、色んなうつチェックでの結果から、俺のような医学知識のない素人判断では、うつの可能性が無いとは言い難いです。

端的にいうと、鬱は人生を滅茶苦茶にするような、精神にも身体にも影響のある疾患です。

精神病という名前からか、誤解される事や誤った認識が広がっている事もありますが、気の持ちようの問題だけに留まるものではなく、精神と身体、両方が絡んだ問題です。

なので、場合によっては身体に腫瘍ができていたりする事が、うつ病の原因になっている事もあるようです。

うつチェックを受ける為に、医療系のホームページを回っていた可能性もあるだろうなので、どこへ診察して貰えば良いかというのはお分かりかもしれませんが、精神科、精神神経科、メンタルヘルス科、メンタルクリニックなどの医療機関で受けられるそうですよ。

ただ、ちょっとややこしいので、「うつ病 病院 どこ」などで検索を掛けて頂ければ、解りやすく、医療機関ごとの違いが、詳しく説明されているサイトが、いくつか出てくるかと思います。

…たしかに学校へ行った方が良い、親に心配を掛けたくない、という気持ちは、解るつもりではあります。

が、死にたい気持ちが強いと仰る通り、その状態で勉学に集中出来るかと考えると、厳しい話、とても難しいかも知れません。

それに、多分親としては、もしこのままうつだという事を隠して、小瓶主さんが苦しい思いをし続けていた事を知った時、またはあなたが、我慢の限界に達したり、体の限界まで動こうとして無理が祟った時、とてもショックを受けるかと思います。

本当にうつ病だった場合、ほぼ間違いなく無理が来ます。
それぐらい大きな症状なのだと思ってください。

診療にあたり、大体は、投薬治療か、カウンセリングと投薬治療の両方を行う事も多いそうですが、投薬治療をしながら学校へ行く事も出来るかと思います。

ただ、その場合、医師の方から説明があると思うのですが、抗うつ薬にはうつの症状に効く作用の他に、副作用(眠気や口の渇き、便秘など)もあるので、高校の勉強の両立を考えるのであれば、薬の種類などを、医師と相談する事になるかと思われます。

また、予め伝えておくと、種類によっての効果も異なるようで、長期的に飲む事で改善効果が出てくる薬もあるので、途中から自己診断で、薬を飲まないようにはしないでくださいね。
(止めるなら医師の方と要相談)

それと、精神科医やカウンセラーなど、人それぞれ違いがあるように、人間関係として、小瓶主さんに、合う、合わない、といった相性はあります。

一度行ってみて、合わないと思ったら、別の医療機関を探してみて下さい。
(心も関わっているので、割と相性は大事)

とにかく、親御さんに、真剣に、うつ病かも知れない事、そのせいか死にたい思いが消えない事、だから、病院へ連れて行って欲しい事をまず伝えて頂きたい。

真っ当な親御さんであれば、ショックを受けたとしても、あなたが死んでしまうショックよりはずっと軽いはずだし、治す事に協力してくれるんじゃないかな。

小瓶主さん自身が、親御さんに対して迷惑だと思う事は、今の状態が良くなってきてからでも、その後社会に出てからでも、命ある限り返せるものだと思う。

気になるのであれば、生きて、元気になって、返した方が良いんじゃないだろうか。

何にせよ、少しでも事態が好転する事を願うよ。
・・・小瓶を見る
烏羽
何を信じたらいいのかは解らんが、小瓶主さんも解っているであろう通り、ああじゃないかこうじゃないかと思う不安は、現実とは別に、自分の思いだ。

例えば、まとまって話しているグループがいるとして、そこに目を向けたとする。

そして、そのグループの一人がこちらに気付いたのか、こっちを見たとしよう。
そしてすぐにこちらから目を逸らし、会話している方へ視線を戻す。

この時、相手はもしかすると、何気なく「あ、話してるの見てるな」と思って、すぐに興味を失って、会話に戻っただけかもしれない。

また、「この人も会話に加わりたいのかなー」と、思ったが「まあ話したければこっち来るかも知れないし、また別の機会もあるっしょ」と思って何の行動もしなかったのかもしれない。

また、もしかすると、「うおっ、あの人こっちに興味あるのかじっと見てんじゃん。目もあっちゃったし恥ずかしっ」と思って目を逸らしたのかもしれない。

…正直、かもしれないというのはキリがないので、どれだけでも考える事が出来る。

不安に思う、「かもしれない」もあるが、不安だとしてもそれはあくまで「かもしれない」だ。
逆のパターンや、別になんて事はなかったという事も可能性にはある。

…と言っても、ご自身で考えても、不安な気持ちはあったのだと思うが、今のところは「かもしれない」という事を信じては如何か。

小瓶主さんは、洞察力があるかはまだ解らないが、色んなものが細かく気になるあたり、観察力はあるのだと思う。

…ただ、例えばその観察力が、会話中に相手をじっと見ていたり、相手の一挙動一挙動にビクビクしている感じだとすると、それに気付いた人が「ど、どうしたんだよ」と戸惑った場合、若干変な感じの笑い方や、ちょっとした声の上擦りがある、事もある。

目と目を合わせる事に慣れていない人とか、「ビクッ!」って感じの擬音がつくほど、自分の体が揺れたというか、相手の挙動に対して急に反応しているようなら、そういう可能性は高くなるかと思う。

詳しい状況も解らんので、俺としても、かもしれないという推測しか語れないが…、嫌われる時は嫌われるし、好かれる時は好かれる、かもしれないは、かもしれないだ。

一度無視されても、意外と話すのに夢中で気付かなかったとか、何と言ったのかわからなくて、聞き返すのもなんだか気まずい気がして、それでちょっと間ができて、話せなかったとか、そういう事もあるだろう。

現実を見て、それを感情という感覚や、思考で捉えている以上、認識の間違いというものはあるので、俺自身もそうだが、自分の考えも本当に現実に沿ったものなのかよくよく考えてみる必要はある。

俺のように、本当に面白く思った時でも、鼻で笑う癖があると、漫画でよくあるニヒルと言うのか、嫌味に捉えられる場合もあるが、そんな事はないというのを伝える事と、不快な思いをさせてすまなかったという事を伝えれば、それなりになんとかなるような場合もあるかもしれない。

やたら何の理由もなく暴力を振るってくるとか、事あるごとに罵倒されて笑い者にされるとか、やたら持ち物に落書きをされる、とか、そうなってくると明確に、相手には大小なりとも害意があると考えられるのだがね。

まあ、そうではなく、陰湿とでも言われるような形の嫌がらせやら、いじめやらが世にあるのも解ってはいる。
当事者ではない傍観者の立場から、こう言うしかないが、しっかり見極めるのは大事だろう。

また何か問題に思う事が出てきたり、まだあるなら、小瓶を流して見てもいいだろうし、色んな目線、視点を持った誰かが返事をくれるかもしれない。

この小瓶内なら、時間は掛かるかもしれんが、俺も返事できるし。

なんにせよ、少しでもその不安というのが恐怖というのかが、和らぐといいな。
・・・小瓶を見る
烏羽
性別という観点が少し気になったので、書かせて頂ければ。

確かに体の作りとしての違いはあると思うし、精神的な面でも成長の速度だの傾向だのはあるのかもしれないが、中身としては、心に大した違いはないように思う。

人間の都合のいいように、解りやすいように、これが男性であるとか、女性であるとか、男女の性格がどういうものなのか決めてるだけじゃないんかね。

(なんか、母性だとか父性だとかいう言葉もあるけど、あれって基本は親ごころって奴で、男か女かで呼び方変えてるだけちゃうか)

まあ、他にも多分、日本の中と言う事であれば、男はこうあるべき、女はこうあるべきと、そういった概念が作られた当時には、今で言う社会で働く都合上、男性は農作業や力仕事などをする事も多く、そういった力仕事の得意でない女性は家事などをする事が多かった、それが上手く行ってた…、とかそんなんじゃなかろうか。

で、昔とは違って男も女も働く、力の必要な作業ばかりでもなくなってきた、そうなれば男女への性格に纏わる概念がズレてきているというのも頷ける気はする。

一人称なんて好きに使っちゃえばええさ。
自分にしっくりくるものがあれば尚の事。

…ただ、リアルでは、既成概念というか、男性だと「俺」だとか、女性だと「私」だとか使うのがメジャーなので、それに慣れている人からすると少し刺激があるかもしれない…というのは、多分言うまでもなく解ってるわな。

そこに臆する事がないのであれば、理解者が世の中に一人もいない訳でもないと思うし、リアルでも使っていいと思う。
自分は男だけど、そういう女性と関わった事はリアルでも宛メでもあるので、俺は気にならん、慣れてる方かもしらん。
(でもまあ、自己責任でな)

で、また話は変わって。
無理しない程度ってご自身で仰ってるので、大丈夫かなとは思うけど、壊れるまで頑張りまくったらどうやってお返事するんだー。
体調崩したら元も子もないぞー。

病は気からとか、なんかしら言われるように、精神も自分の一部、体なんだから、疲れてると思ったら、多少の無理なら何とかなるかもだが、無理のしすぎというか、あんまり無茶しちゃダメよ。

特に最近は季節の変わり目だし、季節の変わり目には、気圧の変化とか、気温の変化とかでよく体調崩す人多いから。
寒い時はあったかくして、水分補給と少量の塩分補給を忘れずにー。

あとビタミンCだな。ビタミンCは免疫力を高めてくれるそうな。
ただし、ビタミンCは摂りすぎると、体が毒として認識して排出しちゃうので、適度に…、具体的には、ミカンを三つ以上一気に食うとかでダメだった筈だ。

とにかく、苦しんでるご自身の状態があるなら、それにいち早く気付けるのも主さんだぞ。
誰かを助けたいというのなら尚更、疲れた時はしっかり休んでくれ。

疲れてたり、苦しかったり、そういう時に限って集中力が続かなかったり、注意散漫になったりする事もあるしな。

それと活動休止について、その人その人を細かくは知らんので、推測ではあるが、社会人は年末年始、新入社員の受け入れ準備やら、忙しい仕事も多いっぽいから、そういうのもあるじゃろ。
しばらくしたり、お返事を書く時間があるかどうかとかは解らんが、読むだけにせよ、ひょこひょこ戻ってくるんじゃないかね。

まあ、正直言ってOrange7さんとあまり接点がないというか、率直に言うとあんまり知らないんだけど、俺自身、悩みやら辛さを抱え込む感じの人間で、辛くなったりして宛メから離れたりした事もあったので、無茶はしないで、それなりに頑張ってな。
・・・小瓶を見る
烏羽
長くなります。
それ故に読み辛いかもしれないので、もし読まれるのであれば、疲れたら休みつつ読んで下さい。(前置き)

えーっと、申し訳ないが、小瓶主さんが何をダメと感じてらっしゃるかよく解らんので…、そこはスルーします。

もし自分の絵柄がこれと言って定まってないなら、一度これは上手い、参考にしたいと思える好きな方のイラストをトレース(なぞり書き)して見てみるのもアリかもしれない。

イラストを描いてる方々にとっては暗黙の了解みたいな所があるように思うんだけど、トレスそのものは悪いもんじゃなくても、トレスしたものを自分の絵と偽って著作権やら、人間関係的な問題やらなんやらに引っかかる人、俗に言う炎上のネタになる事も多いから、忌避されているというか、あまり話題には表だって出てこないんだけどね。

(↑小瓶主さんはそんな事しないと思うけど、世事情というかね、そういうのの説明)

身体のバランスとか、線での表現方法はそれぞれあって、自由度が高いんだけど、それは決まった描き方がないという事の表れでもあるので、正直こうした方が良いというのは、自分自身の好きな絵柄、どういった表現の仕方や見え方、バランスが良いのかという所、自分の感覚から生まれてくるものでもあると思う。

だから、人からの意見ももちろん大事だけど、自分の好きなもの、これは良いぞと思えた表現、人に関していうなら人体の、全体的なバランス感を大事に持っておく。
もしくは、これから見つかったら、意識して絵を描いてみるのも良いんじゃないだろか。

ぶっちゃけると、絵は自由なものだと思うので、小瓶主さんの絵への評価は、個人的には「良いんじゃない」以外に浮かばない。
その点では評価という評価があんまり出来んので、すまん。

人体の全体的なバランスに関していうのなら、上手く描けていると思う。

リアル感を意識した場合に気になる事があるとすれば、耳の位置が左右違うように見える所と、他の方と同じく手の表現ぐらいかな。

で、自分が人を描く時に意識している事なんだけど、「頭身」って知ってる?
頭の大きさ一個分が、そのキャラクターの体の高さに何個入るかってやつ。(某星のカービィは一頭身、作品にもよるけど、某ヒゲのマリオがキノコで大きくなってる状態は2.5頭身くらい)

小瓶主さんの絵で言えば…、ちょっと紙が歪んでる事などから誤差はあると思うけど、大体、頭が5個分と0.3個分くらいになるんかな?
まあそのぐらいだとして、模写した元の絵はどのくらいの頭身だろうか。

模写する場合は、と付くけど、そう言った頭身を意識する事で、全体的なバランスを整えやすくなる指標が出来ると思う。
(もうその為に意識してたら気にせんでな)

子供なキャラとか、小さくデフォルメされたキャラには当てはまらないけど、大体は頭三個分以内に、胴体が収まる傾向にあるとか。
(こういうのが意識してかしてないかは解らんが、出来ているように見えたので、人体のバランスが上手いと思った)

また、余談だけど、針みたいに尖った縦長な頭や、とんでもなく横に長い頭などをした極端なキャラでない限り、頭身が大きい(体に比例して小さい)とキャラクターが大人っぽい印象になる場合が多く、頭身が小さい(体に比例して大きい)とキャラクターが子供っぽく見えやすいので、覚えておくと役に立つ時はあるかもしらん。

(※頭身が小さすぎて、肩幅がやたら広いとか、体がクソみたいにデカイとギャグっぽくなる。とんでもないムキムキのおっさん描く時は逆にこれを意識すると、ギャグ路線の表現になって個人的に楽しい)

リアルさという観点から考えるなら、現実的なバランスとして、腕の肘は、真っ直ぐ垂直に下へ伸ばした時(気を付けの姿勢)大体、男性だとクビレ…というか、肋骨の起伏が終わった所辺りにある。
(現実の人間として、厳密には個人差もあるので、ある程度そこら辺という認識)

で、人物が服を着ていない場合、手首は大体股間の下辺り、股下にある空白というのか、空間というのか、それの始まる辺り(※男性器は含まないものとする)にあって、そこから大体、後ろから見て尻の膨らみが太ももに消えた辺りまでが指先を含めた手首から先の部位になる。

手の甲は、手の向きにもよるけど、開いた状態であれば大体、四角を描く事で、どこに手があるか、どこからどこまでが手首から先なのかアタリを付けたりしてから、それを元に描く事を意識したりしてる。
手の甲の場所を決めれば大体の指の位置も決まってくる。

アタリと言えば、全体的にバランスを取る為に、まず、頭の位置は丸で、首と肩幅、腰幅、腕と足などは棒線…、棒人間を想像して貰えるだろうか。
ああ言った風に描いて、頭身だの長さだのを確認しつつ、消したり、修正して、大体バランスが取れたら、手足は四角で描いて、目の大体の輪郭を楕円で描いたりしてから、細かいディテールというか、体の輪郭だとかを肉付けしていく感じかなあ。
そういうやり方もある。

肉のシワだとか服のシワだとか、目の中とかの細かい部分や、影描いた後に消しゴム掛けると真っ黒になっちゃったりするし、後からそういう細かい部分を描いてから、姿勢、例えば腕の付き方、場所とか、向きとかの違いに気付くと、修正も面倒臭くなるので…
大筋の部分、例えばポーズ、キャラの顔がどこを向いているのかとか、体勢とか、そういう大きな要素から描いていってるな。

手に関して練習してみても良いかもしれないとは自分も思ったので、その点についても書こうかね。

小瓶主さんの今の描き方を見る限りだと、左側の手の甲(斉木の右手の甲)から判断して、手の甲に比べて親指以外の指が短く感じる事かな。

ちょっとご自身の手を見て頂ければ、中指が一番長い事や、そこから薬指、小指と、短くなっている事が解るかと思う。
それと、親指が他の指と比べて手首に近い所に付いている所とか。

まあ、文字にすれば長くなったけど、リアルさというか、そういうものから絵を見た時に違和感というのも生まれるので、そこを気にするのであれば、自分の全体像が見える鏡があれば真っ直ぐ立って見たりして、自分の写真を撮ったりで、よく観察してみるのが良いかもしれないな。

若しくは、「イラスト 体の描き方」とかで検索かけてみてもいいだろうし。
自分の体、全体的なバランスやら、手がどうなっているのかとか、見た方が早いのは確かだ。

あ、そうそう。
指であれば、アニメ的表現、つまりデフォルメだと、関節の膨らみやシワは省かれて描かれない事も多い。逆に言えば、描くとリアル寄りの絵柄になる。

とにかくそういった、人体的な部位の大体の特徴というのはいくつかあるので、人を描く時にはそこや、頭身などの、バランスを図れる指標を意識出来ると、書き方が安定してきたり、全体的なバランスが更に取りやすくなってくるかと思う。

特徴を見つけて絵に落とし込んだり、好きな絵柄を描く人のものを参考にさせて貰ったりして、人体を描く時のコツをご自身なりに見つけてみるのも良いかもしれない。

主に手足とか体、着てる服やそのシワ、靴やアクセサリーなどの小物は、現実の物を参考に描く事を意識するとそれっぽく見えるかもしれんな。

キャラクターを描くのとはまた別に、シワの表現や影の表現も模写したり、表し方を考えたりするのも良いかもしれん。

特に、服を描くときは材質というかな、現実で、ジーパンとか丈夫そうなもの、厚みのあるようなものは厚みのあるシワになるし、絹のように滑らかで薄いものなら、服の長さにもよるけど、流れるようなシワが多くなったりする。

そういった材質の特徴(体であれば骨や筋肉の出っ張り、凹凸)を意識して描いてみると、色が無くても、絵にメリハリがつくというのか、パッと見で、違う部位だという事が伝わりやすくなるんじゃないかな。

…まあ、これも文字で伝えるよりも、「服の描き方」とか、画像検索とか、自分自身の服を見たり、自分でポーズ取ったりしたのを自撮り、模写とかしてみて、試してみてくれれば解りやすいと思う。

ただ、あくまでもアニメ寄りの絵を描きたい場合、リアルとは表現上異なる(立体感はあっても立体そのものとして考えるとおかしくなる表現もあって、それ故に出せる味もあるし、それで取れる全体的な絵のバランスもある)ので、リアルな描写が上手くなれば、アニメ寄りな絵の全てが上手くなるという訳ではない点は注意されたし。

リアル描写の練習は、活きては来るけど、あくまでアニメの人物は、現実から着想を得て表現された絵、空想妄想何でもござれなので、リアルではない場面がある、その場面には活きてこない、と言えばいいかね。

観察して、じっくり時間をかけて、丁寧に描こうとする事も、とても大事だけれど、想像を自由に描く事も時として大事になってくる場面はあると個人的には思う。

因みに、どこぞの企業の回し者だとかではないが、某ポケモンが好きだったりするのであれば、3DSのゲームで、「ポケモンアートアカデミー」というものがあって、ポケモンを描きながら絵の練習が出来るので、ガチ目にオススメだ。
(3DSLLか、New3DSLLがあると画面の大きさ的に快適に描けるので、持ってたら更にオススメ)

少し古いゲームなので、新しいポケモンが練習というか、チャートなどの対象になっていなかったり、全てのポケモンのお手本が見れる訳ではないが、描きたければフリーペイントモードなどで描くことは出来る。

…描こうと思えば人も描ける。…が、あくまでポケモンアートなので、ポケモンが主体で、人の描き方を学べる訳ではない事と、3DSの特性上横に広い画面という制限の中書く事になる事だけは留意されたし。
(ズーム機能もちゃんとある)

人ではないが、人っぽい頭身のポケモンもいるし(苦しい言い訳)、絵を描く際の基本的な事(描く上で気を付けた方が良いかもしれない事)が詰まってるので、ポケモン以外のキャラクターを描く時にもなかなか参考になるぞ。

上手い下手も大事なものかとは思うが、それに対してあまり深刻に…、悩んでも良いんだが、悩み過ぎないようにな。

まず、どんなに自己評価的に下手でも、ギャグみたいな絵でもいい、自分が楽しい、面白い、興味深い、表現してみたいと思えるものを描きゃいいんだ。そうすれば描く事を続けられる、続けようというモチベーションは持つ。

続けられたなら、上手く表現出来るコツを見つけられる、その為のチャンスを得られる。

ただ、上手い絵というのも下手な絵というものも、各々、一人一人、個人の内にしかないものよ。

人からの評価から何を学ぼうとしているのかは解らんし、やってみれば良いとも思う。
評価も大事ではある。大事ではあるが、自分の求める上手い絵柄というのか、上手い人の絵というのか、学びたい表現、好きな表現、気に入った表現、それも大事なものだと思う。

原作のキャラクター…、フランちゃんや斉木というキャラクターの原画、作者さんが描いた絵柄のキャラがあり、それを見て、他の人が描きたいと描いた、またそれぞれの描き方、絵柄のフランちゃんや斉木などのキャラがある。

もしかしたら上手くなりたいのかもしれないと思い、ここまで書いて来たが、そうであれば、何がどう上手いか、上手く感じるかというのも、人それぞれ色んな形がある。
それがまた、人それぞれの個性、描き方、そう言ったものにも繋がる。

だからこそ、描きたい好みの表現、絵柄を気に留めておくのは、大事な事だと思うよ。

お節介かもしれんが、様々な人がそれぞれ思う形の、絵の上手さから来るアドバイスを聞いても、どこへ行けばいいのか、どんな絵を描きたいのかは決まらないからな。

要は、自分が突き詰めようとしたものを、いろいろ試したり、納得できる表現にした結果、その表現が上手くなる。
表現が上手くなる事で、絵柄がその表現に染まっていく。

そこは覚えておいた方がいいかもしれないと思ったんで、書かせて頂いた。

纏めると、上手いと思った方の絵は真似して学ばせて頂くのが手っ取り早いのと、観察してゆっくりでも丁寧に描く事…、場合によっては定規とかで長さ測ったりもいいと思う。

人間は、手とか、現実にあるものは絵の中でも立体感という感覚で判断しがちなので、描きたいものは色んな角度からも観察してみたり、描いてみると良いよ。

で、人体を描く時には、頭身や各部位、頭、首、胴、腕、足、手足などのパーツそれぞれに、自分で上手く描きやすい表現のコツや、表現する時の要点(描こうと思ったものが、他の人にも描こうと思ったものだと認識されやすい為にはどうすればいいか)を見つけるといいかもしれないという事。
これは人体だけでなく、他のもの、アクセサリーなどの小物や、服とかにも言える事だろうな。

で、自分の好きな絵、表現はどういったものなのかという事。
まあ、単にかっこいいとか、かわいいとか、良いと感じたものだな、その好みのものを大事にしたらいいのではないかという事。

で、ポケモンアートアカデミーというゲームは良いぞという事。

それぐらいかな。

沢山書いたような気もするけど、小瓶主さん自身がその時気になったものがあったり、またご自身で意識されているものなどがあれば、絵を描く前、何処か別のノートか、横のページとか、空白に、描く時どこ気を付けたいか、どこら辺を意識したいのかとか、箇条書きでも書いとくと良いよ。
絵を描いてる途中って割と、線を引く事とかに集中してると忘れがちになる事もあるかもしれんので。(俺はよく忘れる。で、描いた後思い出す)

まあ、書き上げた後も、マジックやインクで描いたり、紙が破れたりしない限りは何度でも描き直せるし、修正も出来る。
後日、描いた絵を見直してみて、ここがなんか違う、違和感ある、もう少し出来た筈だと思うのであれば、描き直す、そういうやり方もある。

…あ、あと、ある程度予想は付くかもしれんが、白黒でも、鉛筆やシャーペンの芯の濃さ(HBとか2Bとか言われる奴)や、筆圧…、ペンを押し付ける強さと言えば解り易いか。
それらによる色の濃さや、ノートによる白さで、色があるように見せたり、色付きの物にも影を描く事とかが出来るぞー。

2Bかそれ以上の濃さの芯を使うと、筆圧だけでも、ある程度色の濃さを変えられるので、楽かも。
(俺はシャーペンで4B使ってる)

ただ、それぞれの濃さの芯、ペンがあれば、それを使い分ける事で、筆圧に頼らず確実に色の濃淡を変化させられるので、それはそれで楽。

長くなったけど、ここまで読んでくれたならありがとう。
申し訳ないが、上手く短い文には出来んかった上、思い付いた内容を唐突にぶっこむ事もあって、読みにくかった部分も多いかと思う。

絵には、決まった描き方がないので、裏を返せばどれだけでも描き方があるし、向上したいというならどれだけでも向上できる。

がんばれー、そして、頑張って描いて疲れた時はちゃんと休めー。
・・・小瓶を見る
烏羽
やる気という話なら、人間というのは微妙なバランスで成り立っているので、ある程度、気が向く範囲ででも、健康的とされる生活を意識した方がいいかもしれない。

意外とやる気というのは、精神面、心の問題だと思われがちだが、心も体の一部、身体も関わっている場合が多いので、ラジオ体操程度でもストレッチしてみるとか。
一日三食、少しだけでも噛む回数を意識してみるとか。

あと、小瓶に書かれた事から、強いストレスによる抑鬱状態、もとい自律神経失調症という可能性はあるかと思ったので、一応気に留めておいてほしい。
やる気は心の問題、いわゆる、やれば出来るではなく、体の不調によって、やりたくてもやる気が出ない、という状態もありますので。

努力についてはそうだなあ。
小瓶主さんがここで書いたように、何かしたいけどわからない、けど何かしたい…、って悩んだり、何が出来るだろうかって考えてる事そのままが、努力してるって事なんじゃないか。

的外れかもしれんが、なんとなく、もしかすると何か、熱を持って打ち込みたい目標や、なりたい何かを欲しい、強い気持ちがあったのかもしれん。

気分が落ち込んで疲れてる時は、今、焦りや葛藤はあるかもしれないけど、出来れば一旦、ゆっくり休めた方がいいんじゃないかね。

休める時間を作る、それも努力で出来る事の一つよ。
まあ、気を張ったり、緊張感のある努力ではないけどね。

たまには好きな物食べるとか、あったかい風呂にのんびり浸かるとか、音楽でも映画でも、本でも漫画でも動画でも景色でも、なんか聞いたり見たりとか。
最近、そういった事ってしてる?

罪悪感やもどかしさと言うのか、葛藤もあると思うから、手が出づらいとは思うんだけど、努力が大事だとは言っても、休む時間がなければ筋肉は付かんしな。

頭だってそうで、何とはなしにぼーっと出来る時間も大事なんじゃないかね。

何となく、今まで頑張ってきたから、その分身体が休みたがってるのかもしれんと思って、そう書いてみた。
・・・小瓶を見る
烏羽
うーん、先生の言ってた言葉の前後関係とか、その人柄の思考の癖みたいなものから来る言い方、あるいは言葉の省き方とかもあるし…

その先生への理解以前に、考えながら話してると、言葉をまとめる事に意識が向かなかったり、要所要所口に出す言葉が抜け落ちてたり、当人自身意識が散らばってて、どこを言葉に出来てなかったか気付けなかったりする場合もあるから、解らない時は解らないのでしょうがない所もあるとして。

お返事で他の方が書かれている以外のものを考えるとすれば、自分なりにその三つの言葉、先生の言葉に思う所、勝手な解釈を書かせて頂くとすれば。

何かしら問題だと思うことの中で、目に付いた、頭に浮かんだものを受け止めて、その全てに対して納得出来る位置を、本気で探すのは、とても根気がいるし、エネルギーを多く使う、疲れる事だと思う。

で、納得するための位置探しにおいて、問題解決だとかに心血そそいだり、そのままの状態を良しとして受け入れる事が、苦しくて仕方がないとして、そこで位置を探すより我慢する方が小瓶主さん的にまだマシなら、それは自分が選んだ選択として、その結果起こる事も仕方ないと受け入れやすくなるかもしれない。
諦めがつくようになるかもしれない。

とか。

「受け入れるんじゃなくて」を「受け入れようとするんじゃなくて」に勝手ながら脳内変換して、考えてみました。

まあもう聞いたかも解らんが、気になるのなら、あの時の言葉がよく解らなかったのですが、とか聞いてみてもいいんじゃない?

日数経ってたら先生自身も、あまり覚えてないとかあるかもしれんが、当人の言いたい事は当人にしか解らん所もあるからな。

とにかく、片方の人の頭が良い悪いだけじゃ解らん事もある。
幾ら国語に長ける先生だとは言え、人間は人間、疲れて不調になる時、思考、判断力が鈍る時もあれば、ミスをする事もあるだろう。

先生にも、それと同じように小瓶主さんにも、そういう事ってあるんじゃないかね。
それが重なっただけかもしらん。

そういう時はしょうがない、仕方がないと受け流すのもアリだと思う。
原因がわかっても、運が悪かったとしか言えないような、割とどうしようもない事だってあるだろうしな。

また、受け流し方がよく解らないなら、そういう場面にあった時、シリアスな気持ちで受け入れるんじゃなく、頭に花が生えているような気持ちで受け入れるのも手かと思う。

どうせなるんなら、面白いバカになろうぜ。

まあ、それでもショック受ける時は受けるし、落ち込む時は落ち込む、泣く時は泣けてくるだろうが、それでいいんじゃないかと思う。
それも人間、進化してきた生き物の持つ、真っ当な一つの能力よ。

俺の、どこから目線なのかよく解らないこの文章が的外れだったら、何だこいつはとでも思ってやってくれ。

そう言う気持ちじゃなかったら、受け入れ方にも色々あるってこった、言われるまでもないだろうが、主さんの好きにしてくれ。
・・・小瓶を見る
烏羽
無力感をヒシヒシと感じていた事もあった。

けど、何もない、何もできない、それで止まれば、何もないままだった。

二十代前半で、対して出来る事もない、何かやりたい気持ちはあっても、このご時世、この学歴で大して選べる職もなく、何かずば抜けたものでも、ルックスでも、何の特技や誇れるものがある訳でもない。

趣味はあっても、大した生産性もなく、将来性もなく、活かせる未来も見えず。
家族や友がいても、頼れる人も信じられるものもない。

今も俺はそのままだ。

ただ、小瓶主さんと違う所は、生きるのに向いていなくとも、それはあくまで現状の事だと認識している部分か。

主さんには仕事が出来る能力があるじゃないか。

…とまあ、下など見れば幾らでも比べられるだろうさ。

主さんの何もなさは主さんのもので、俺のもそうだ、俺だけの何もなさだ。
違うものは違う、理解の架け橋にはなれど、理解そのものにはなりゃあしない。

だが、何もないなりに、多少解るかもしれないなりには、主さんを励ましたい気持ちはあるのよ。

現実的に顔に関しての事を言うと、確かに顔も見られる。
俺もコンビニのバイトにあからさまにひどい顔で見られたもんだ。

だが、そんなあからさまに顔で判断してそうな奴に、寄り付こうと思う奴なんてなかなかいない。
あったとしても、同じように顔だけで判断するような奴か、懐の広い奴が、たまたま友達だったとか、そんなもんだろう。

人と関わっていく内に解る、あるいはもうある程度知ってるかもしらんが、仕事だのなんだの、結局は人間が群れて成し遂げる事だ、人間関係が大きく関わる。
クソみたいな性格のやつはあからさまに問題の原因になることの方が多い。

そこんところがよく解ってる会社も、恐らくあるだろう。

小瓶主さんと同じ立場で、顔だけで、性格もうんこみたいな奴がいるとしたら、そういう会社や人は間違いなく主さんと関わりたいと思うだろうさ。

少なくとも、顔の不平等さが解ってるんだったら、落ちるとこまで落ちてはいねえよ。

楽しめる趣味、多少なりとも誇れる特技、面白くて興味のある分野。
熱量のある何か、大切な人、親友。

できねえんじゃなくて、欲しいんじゃねえんか?
そうありたいんじゃないんか?やってみたい、それなりに、何かしら充実したいんじゃないんか?

俺もそうだが、本当に救えねえよなあ、無能だなんだって、自分の能力をないもののように扱っちまってさ。

何もない、何もできないんだったら、どうして俺なんかに文章が伝わってくるんだよ。

俺なんか二十歳で死ぬ計画まで立てて、自殺未遂まで行ったのに、大した怪我もなくのうのうと生きてやがる。

情けねえと思わんか?
そんな年上でもない、大した人生経験がある訳でもない、どこぞのよく解らん奴に励まされてよ。

生きて欲しい、死んで欲しいなんて、そんな事は言わん。
お前さんには、本当はやりたい事、イメージが、沢山あるんじゃないんか?

死んでそれが出来るかね。
このままの状態を続けて、やりたい事が少しでも出来ると思うかね。

辛い事があったのかも知らんし、少しずつ抱えて来たものが出て来たんかは解らん。
ただ、そういうストレスが溜まりに溜まって、自律神経系のバランスが崩れたのか、夜眠れなくなったり無気力感、だるさが続く、疲れてるってんなら、風呂入ってしっかり休め。

朝、太陽の光を3分でいいから浴びて、朝じゃなくても起きたら顔と手をちょっと冷たいくらいの水で洗え。
起きたら三食食えずとも、せめて、最悪でも朝飯だけはちゃんと食え。冬は乾燥しやすいし、石油ストーブ使ってないなら尚の事、水分と適度な塩分も摂れ。

デスクワークだと姿勢固まるから、気付いた時に肩と首を回して軽いストレッチをしろ。
あと、ちょっと数回飛び跳ねるとか、ラジオ体操的な事も気が向いた範囲でしろ。

それらには自律神経系のバランスを整える等の意味がある。
勇気かどうかは知らんが、それによって元気が湧きやすくなる可能性はある。

自分自身の足元見ろよ。
やりたい事が見えてるのかどうかも知らんし、何かと比べているのか、何かを望んでいるのか詳しくは解らんが、自分が出来ている事はあるだろ。

遠くて手が届かないのかどうか知らんが、それは、いつか出来る、届く可能性、そこまで行かなくとも、良いとこまで近付ける可能性もあるかもしれん。
だが、自分が今出来る事とは別にして考えるしかないだろう。

何せ、自分が今出来ている事、足元も見てなけりゃ、どこまで出来ていて、どこから出来ていないか、改善点だって大して見つかるものでもないんじゃないか。

で、仕事があって、忙しいのか解らんが、それなりの金はあるだろ?
程度や趣味にもよるが、そこに多少なりとも使えばいいんじゃないか。

趣味なんて後から付いてくるもんだ。
楽しかったり、興味が出たり、それを深めたかったり、上手くいかなくても次こそは、とか次に向かえそうな、出来そうな箇所が見えたら、それらが続ける意志に繋がるだろう。

すぐにやめても良いし、飽きてもいい。
気が向けばまた、再び手を付けてやり始めればいい。
興味がなければやめてもいいし、興味がなくなったけど気になる事があるならまたやればいい。

その繰り返しで、いつのまにか趣味と呼べるようなものは出来る。
だけど、出来てもその趣味をやめる事だってあるだろう。そんな大したものじゃない。
続けるか続けないかなんて気にする意味もない。

あるいは、やめそうになって、折れそうになっても、続けたい、意地になってでも、続けるというのなら、それなりに熱意があると言える趣味なのかもしれんがね。
長い目でみりゃあいい。

特に興味がない事を点々としていても、その中に何かしらの興味を見つけて、それを深めようと思ったり、高じたりして、趣味になる事や、別の趣味に繋がる事もあるかもしれん。

とにかく、今はその無気力感か、疲れか、それが収まるまで、取れる時間の中でゆっくりしてみたらどうだろうか。

それから、やりたい事に関して考えてみてもいいのではないかな。

また、万全なら言うに及ばないが、気が向けば、自分自身の生活習慣を少し見直してみるのも如何か。

食生活においては、脳にいいからと言って甘いお菓子をたくさん摂ると、糖分の過剰摂取から気だるくなりがちになるそうな。

他に、肉ばかりで食物繊維を摂っていないと、腸内環境の乱れからか、人による所もあるが、腹にガスが出来やすくなり、間接的にこれも気だるさに繋がる事がある。

日本人が食べ続け、適応して来たものからして、嫌いでなければ海苔は特にオススメだぞ。
上手く分解して、栄養をよく摂れるようになっているみたいだからな。

もしもここまで読んでくれたのなら、長文失礼。
ありがとう。
・・・小瓶を見る
烏羽
(長くなります)

すまんが、どうしたらいいと問われてもな。

生きてるもんは仕方ない。
今更、生ある身の上、死ぬ訳にもいかんしな。

まあ、親父さんが躁鬱になりたてなのか、診断されたすぐなのか解らんし、躁鬱のどちらか一方に偏ってるのか、交互なのか、症状がどうなってるのかは解らんが…
症状があると知ったショックから気が動転して、暴言を吐いてしまう事もあるだろうと思う。

躁鬱の躁は、言わば元気というのか…、エネルギーが有り余って、制御しきれず溢れているような状態といえば多少はわかるだろうか。
気分の高揚、あるいは怒りの感情じみた程の明るさ、行動の積極性の強化、というのか。

で、鬱はその反対…というと語弊があるが、それに近い感じだと思う。
多くの感情や、行動への積極性が抑制され、気力を出したくても出ず、劣等感や絶望感、自分を責める気持ちに囚われる。

躁と鬱が交互に来る場合、躁状態の時から、鬱状態の時の落差というものには、自分自身である程度自覚がある事が多く、躁鬱でない、いわば正常というのか、中間と言うのか、そう言った状態になる事もあり、その時そこでショックを受ける事もある。

また躁状態の時の自覚が、ある程度あることで、その後悔や、自覚できる躁鬱の落差から来る、自分への失望感などが鬱状態に現れる事が多いように思う。
そして、躁状態では、またその落差や上手く行かなさから怒るような場合も多くある、のではないかと思う。

親父さんが放ったその言葉が、躁状態の中、怒りに任せたように、放った一言なら、現実の要素は混じっていようとも、衝動的な感情で、いわば、第三者から見ると、曲解してしまったが故に放たれた言葉と近しいものになる可能性が高い。

確実な事は解らんが、親父さんの状態が躁状態なり、パニック状態に近いものなら、鵜呑みにする事は出来ない。

なので、親に言われた言葉は、子供の立場として強く心に響くのかもしれない、容易く忘れる事が出来る訳ではないとは思うが、完全には鵜呑みにしないほうがいいかもしれない。

ついでに言うと、俺の知識も大したものじゃないので、興味があれば、一旦、小瓶主さんご自身でも、躁鬱病について調べてみてもいいかもしれない。
病院のホームページ的な場所に載っている事もある。

…話を戻すと、小瓶主さんにも、怒った時、あるいは怒られている時に、とっさに相手を非難したり、とっさに言い訳をして難を逃れようとした経験はないだろうか。
いわば、親父さんの言葉は、その状態(をさらに強めた状態)で発せられたものと、似たものの可能性が高いかと思う。

自分自身それに近い症状になった事もあってか、多少解るような気はするが、確実には解らん推測なので、可能性や、らしい、思う、という表現を多用している。
申し訳ない。

ただ、少なくとも責任感や愛などが親父さんに微塵もなければ、番い、夫婦になり、主さんの下に兄弟など出来る事もなかったのではないか?

親父さんの肩を持つ訳ではないし、小瓶主さんに同情してあげて欲しいとも思わないが、もしも親父さんが、症状との戦いの中で、一瞬でも立ち直るような事があるならば、それは心得て置いた方が良いかもしれない。

だが、まあ、親御さんの事は置いとくとして、今まで小瓶主さんは、生きる意味を感じて、それに基づいて生きてきた事はあったか?

確かに今は失意の底、元気のなさを感じているのだと思うが、多くの場合生きる意味を元に生きていた経験は、無いのではないかと思う。

であれば、生きる意味に縛られる事はないし、生まれてきたから生きている、元々それ以上の意味はなかったのかもしれん。

例えなくとも、気がかりなら、生があるなら、これから見つけようとする事もできる。
その場合、いわば、探す事が生きる意味になるのかもな。

まあ、しょうもない事を言ってしまえば、あなたがそこにいるという事そのものが、そこに生きている事の意味だろう。

楽しいとか辛いとか、神様の試練だとか、そんなものではない。
あなたがそこに存在しているという事が、あなたの生きている意味、中身だ。

それ以上でもそれ以下でもないんじゃないかな。

その上で、何をしようとするか、何をしたくないとするか。
苦難があるとすれば、乗り越えようとするか、逃げ延びてでも生きようとするか、はたまた誰かと協力するなど、様々な事を考えたり、選ぼうとしたり出来る。

もし、多少なりとも、時間が経つなりで心が落ち着いて、またこれを読む事があるなら、生きる為の意味は知らんが、先において、したい事を考えてみてはどうか。

漫画やゲームでもいい、美味いものが食べたいでもいい。
何気なく、綺麗な景色が見たいでもいい。

生きる意味かどうかは解らんが、してみたい事はあるんじゃないか?

気掛かりな事はあるだろうが、今はゆっくり、休める時に、しっかり休んで欲しい。

ショックな事や、大きな辛い事がある時は、考え事も、良くない方向に引っ張られがちになる事が多い。
せめて少しでも休んでから、ほんの少しだけでも落ち着いたと思えたら、もう一度考えてみて欲しい。
・・・小瓶を見る
烏羽
まあ、色々考えちゃうよね。

自分もあんまり答えというか、うまい言葉のの仕方、表現や、思った事の伝え方がある訳ではないんだけど、自分で一度書いたものを読み返したりして、ここは言ってる事が重複してるなとか、言葉キツめだなとか、解りづらいなと思った所は推敲してます。

マイページがあるんなら、自身の投稿した返事を見返せるので、そこから添削したり、要点を抜き出す事もあります。(自分は抜き出して書いてもあんまり変わらなかったので最近やってない)

あと、表現力的な意味でも、言葉の伝わりやすさ的な意味でも、免罪符的に使ってはいけないなとは思うんだけども、本当にどうしても表現が出ない時は、無礼を承知でとか、こう受け取られるかもしれないけどそういう意図はない、そう受け取られたらすまない、的な事を添えたりしてます。

で、色々考えたり、読み返して誤字脱字添削したり、推敲したり、自分の思う事を付け足した挙句、補足などを加えて、だいたい長文になってます。

しかも誤字やら脱字やらが、スマホのアップデートによる憎き予測変換で、意図せず多々起こるので、見落としもよくあります…。
(とはいえあんまり気にしてない)

人力なのでムラもあり、伝えたい事が伝えられない事もありますし、割とそれで誤解やら、揉め事やらもありましたなあ…(遠い目)
で、少し、エセ完璧主義っぽいところもあるので、上手く行っているかはさて置き、それをなんとかする為の表現方法だったりフォローの仕方だったりを考えてみたり。

ただ、まあ、他の方もいる事ですし、上手い表現やこれだと思ったものは、自分なりに咀嚼して使わせて頂いておりやす。

気持ちがあって、それを成し遂げようと思えば、あとは身に付ける時間と試行回数の問題なんじゃねーでしょうか。

思った事書きましょ。
相手に思われるかもしれない事やら、自分が不安に思っている事込みで、まるごと。

難しく考えなくとも、小瓶主さんが小瓶に詰めて書いたその気持ちのように、そういうやり方もあると思いまっせ。

読みやすいか読みにくいか、という基準も人によるかと思うので、まずは自分が読んで、読みやすいか、どう思うかを考えて、やってみた結果。
もしもお返事が貰えたら、そこからどう書けば伝わりやすそうなのかを判断したり、試していければ良いんじゃないですかね。

自分のように、初対面の相手の事なんてさっぱり解らないので、出来るだけ思い付くのを詰め込んだような文になると、長所がない訳ではないとは解っていても、やはり、長くなりますからねえ…。

でも、普段から口下手かつ無口な反動か、はたまた考える事も少なくないせいか、書きたい事がどんどん積み重なっていってしまうという…。
というか、寧ろ日常で大して喋れないから、その練習も込みでここまでやってきたような自分もいます。

まあ、ご自身の気が向いた時や、ある程度書けそうだと思えた時にお返事書きましょうや。

強く悩んでるような小瓶や、気がかりになったものには、本気で、真剣に、熱を上げて書くお返事も多い事かと思いますが、言葉選びやら表現やら、それだけ心労もあるやと、体験から存じます。

なので、疲れている時は無理せず、お返事を読んだ、というだけの返事をするだけでもいいかと思いますし、それによりマイページからその小瓶に飛んだり、パソコンなら小瓶をお気に入り登録しておくとか、スマホなどの携帯端末ならお気に入りの他、リーディングリストに控えておくとか、後々時間や元気のある時に、お返事を書いてみてもいいかもしれません。

そう上手く割り切れぬも人情ですがね。(←こういう余計な一言っぽいのが、自分の添削対象に挙がる)

とにかく、基本的には自分の思った事を、その時々の思いやれる範疇で書くという所ですかね。

あと、俺の言えた事でもないけど、長い文字読んで疲れた時とかはちゃんと休んでな。

別にこの長文に合わせて長いお返事とか要らないから。
なんだったらお返事も無理に書かんでええんや。

…と、返事要らぬと、何度も書けば書くほどに、何故か返事をせがんでいるように見えてしまうアレ。

この表現ばかりは、書いてしまうとなんともならんのよなあ。

はは、まあ、実際のところ、文字だけのコミュニケーションより、現実に声の音や顔の表情、身振り手振りのある対面の方が情報量が多いので、良し悪しはさて置き、伝える手間に関せば、楽をしやすいのは確かなんだよな。

けど、人によるものなのかもしれんが、対面じゃないからこそ出しやすい、伝えようと思いやすい場合というのは、確実にあると思う。
具体的な言葉にすれば、多少かもしれんが、自分に素直でいられる。

…まだ書く手が止まりそうにないので、とりあえず締めに掛かると、小瓶主さんがどう思おうと、少なくとも俺には、この小瓶を見た価値があった。

素敵な励ましが送れているか、そもそも俺が含まれるかなど知らんが、多少なりとも暖かみを感じた。

この場をお借りして、素敵なお返事を書かれる方々、また、こうして素敵な小瓶を書かれる小瓶主さんの方々、ありがとう。

人の流出、流入もあるので、知らない方々、大した関わりのない方々も沢山いるとは言え、この場を作ってくれている事、宛メに無くしては語れない運営の方、宛メを支援されている方々に感謝。
・・・小瓶を見る
烏羽
あー、本じゃないけど、見たいものがたくさん溜まってくのはわかるなあ。

某youtubeで、見たいvtuberの方の動画や生放送のアーカイブが溜まって溜まってしょうがない。
割と本気で一日を視聴する事だけに費やしても終わらないんじゃないかってくらいなので、見たい時に見たいものを見るようになった。

溜まって行っちゃって埋もれてったものって、後から見ようとしても、その当時の衝動というか、見たい欲、やる気のようなものが薄かったりして、結局手がつかなかったり。

でもしばらくするとまた興味が出て来て、また見るようになったり、だけど見ようと思ったらその投稿者さんがもう居なくなっていたり…
正直ニートでもやりたい事に体力やら時間やらが追いつかないですわ。

そんな中で、大学の部活やら勉強やらと平行して、したい事やってるりぃふさんや色んな方には、ほんと頭が下がる。

お疲れ様です。

一日の体内時計をリセットする要素には、眠る以外に、太陽光を浴びる事、身体の先を冷やす事などがあるらしいので、季節柄曇りが多い太陽については置いといて、朝起きたら手を洗い顔を洗う水を、やや冷たく感じるものにするといいそうな。

まあ、洗顔時の水は暖かくても構わない、というか、自分自身のことなのだからお好みで、柔軟にして貰えばと思う。

あと、靴下脱ぐとか。部屋換気する、そこまで行かずともちょっと外の空気吸う、とかで目が覚めるんじゃないだろうか。

で、眠りやすくするためには、逆に身体の先を暖めるそうな。
これは、体温保持のためなのか、眠くなる時には手足などの身体の末端が暖かくなるので、手足を暖めるとなんだかよく解らないが眠くなりやすいらしい。

俺が眠くない時に、椅子に座りながら手をポケットに突っ込んで、足先だけヒーターに当たりながら、ボーッと動画を見ていたり、作業しているととうつらうつら来るので、多分、それなりの効果はあると思う。

体を暖める飲み物としては、ココアに高い効果があるらしい。

あと、(恐らく神経系の高ぶり、バランスなどから来る乱れと呼ばれるものによって)不眠症で眠れなかったり、昼間眠たくなる時は、最低数分くらいでも目を閉じて、仮眠…まで行かなくとも、何もしない時間を取るといいんじゃないかね。

何度も仮眠でやり過ごすと、経験上間違いなく、後に急に眠気が強くなるとか、睡眠時間が伸びたりとかするみたいだけど、その場しのぎにはなるし、寝ないよりは若干マシになる気がする。

状況詳しく解らん上でなので、無責任な発言だとは承知しているが、眠れない翌日に、何も予定がないとかで余裕があるようなら、無理に寝ようとせず、読みたい本を読んでもいいんじゃないかと思う。

で、そのまま起き続けて、就寝を繰り越した日は、いつもより早めに寝る事で、起床時間を調節するという手もあるぞ。

ただ、言われるまでもないかもしれんが、徹夜して起床する日に予定がある場合、ある程度、徹夜した際、自分が眠って起きるまでの睡眠時間を知っておくか、余裕を持って寝る時間を計算しておく必要があるので注意な。

なので、試してみる際は最低でも2日連続で余裕のある日か、予め徹夜した後に長く眠った時間と、疲れ切った時の睡眠時間を覚えておくのがオススメかね。

…というのも、徹夜した後の睡眠であっても、かえって目が覚めて、眠りが深くなかった等によりいつも通りか、それよりも短い時間で起きる事もある。
その為に、更なる翌日、眠る時間が長くなる事があったりする。

だから、徹夜した後にすぐ目が覚めたりとか、いつも通りとかで、再び眠る必要は恐らくないが、次の日の起床時間が長くなる可能性は念頭に置いておけた方が良いかもしれない。

眠る時間が長い程疲れが取れているかというとそうではなく、深い睡眠(質の良い睡眠だとか言われる、ノンレム睡眠)がしっかり取れているかどうかが、疲れが取れるかに大きく関わっているんだそうな。

夢を見るか、見ないかの自己認識では、質が良い睡眠を取れているか解りづらいので、最近の睡眠時間が長いとか、二度寝しやすい、などで疲れている可能性を考えるっぽい。

疲れが取れない感じがするなら、数十分程度、昼寝を心掛けてみても良いかもしれない。
ただし、何時間単位になると、夜眠れなくなったりで、生活時間にズレが出るだろうなので、あくまで数十分程度、時間を決めるのが良いかと思う。

桜餅の葉はうまい。
葉の塩味と餅の甘さがいい塩梅で好みだ。
もち米のほうもうまい。

こし餡もつぶ餡も味わい深い。

一生は、短いというにはまだ早い気もするし、長いというにも事足りんなあ。
もう十分だと思うような事も、まだ出来ると思うものも、どちらも探した分、増えるだけなのかもしれん。

人間という生命の取る形態で重要なエネルギーが熱だからなのか、まるで生まれては散り続ける、広がり続ける熱のように見えてしまう。

それでも、何度も広がる中で重なる部分はあり、そこが固まる事もあるのだろうな。

餅はそうやってできる。
・・・小瓶を見る
烏羽
長くて纏まりがないかもしれませんので、お時間のある際に読んで頂けると幸いです。

趣味は絵を描くのと、それに設定つけたりするのと、耳コピで曲作ってちょっとアレンジ加えたりしてみるのと、たまに運動するのと、ゲームと、音楽鑑賞、動画視聴とかかなあ。
本も読んでたんだけど、ここ一年文字だけの奴は読んでない。

本については気が向けば、また読みだすかもしれない。

ああ、あとは、妄想とか、好き勝手考え事をするのとかも趣味かもしれない。
特技だと自分で思えるものは、これといってないな。

趣味って、何に楽しみを感じるとか、興味ができるとか、そういう事の繰り返し、積み重ねから、また〇〇をしたくなるってだけだと思うんで、もしもこれといって趣味がない事に関して悩んでるとかなら、深く考えなくていいんじゃないかね。

生きてる中で何かしら、その時々、気が向いた事に手を出していく事で、結果的に長く続けていたり、何度も手を伸ばしていたものが趣味になっていくだけよ。

強いて、何故続くのかを考えれば、良し悪しを抜きに、ある種の逃避から始まった事が続いたり。
興味からのめり込んだり、それらや楽しみ、悔しさ、もっと上手く出来そうな兆しを感じたからこその執着。
今までやって来たからこそ自然にその行動をするルーチンのようなものが身に付いていたり…

まあ、もっと要因はあるだろうけど、そんな感じで続いていくんじゃないかな。

で、その中で、上手くできる、ある程度出来るから自信を持てる、そういうものが特技になっていくんじゃない?

始めてみるきっかけとしては、やってみたい事や興味がある、知識を深めたいものがある、そういうのでもいいし…
誰か知人や、芸能人や、興味のある人、興味のある分野の人が何かしらやってたから、自分もやってみたいとか、流行ってるからやってみるとか、軽いノリから入ってみてもいいと思う。

(…言われるまでもないかもしれないが、宗教だとか通販の買い物だとか、実生活に大きく影響を及ぼしそうなものはしっかり考えて取捨選択した方がいい)

もしかしたらこの小瓶もそういう感じで、とりあえず見つけたものをやってみよう、的な気持ちで書いてみたのかもしれんけども。

やってみて楽しさや面白さ、興味が出てこなくても、合わないと感じれば無理に続ける必要もないし。
周りに合わせる必要もないから、やりたくなければやらなくてもいいし。

その後、再び興味が湧いて来た、流行ってきた、何かのきっかけでやめたけど、気になってきたからもう一度やってみようとか、そう思えば何度もやってみていいと思うし。
飽きたらやめてもいいだろうし。

やっている中で楽しみを見つけたり、感じたり、面白い、興味をさらに深めたい、そう思える事もあるかもしれんしな。

なんだったら、趣味と言えるものや特技がこれといって無くても、自分の楽しめるもの、興味のあるもの、面白いと思えるものが、幾つかの行動の中に点々としてありゃ、別にいいと思うがね。
(それも趣味のきっかけになるだろうし、ならなくても楽しみはあるだろうから)

何か一つの事を、その時々飽きてやめても、何度も手が伸びたり、やってみようするなら、続いていると見なす事は出来るだろうし。

これといって何もやりたい事が思い付かないけれど、何かやりたい気持ちがあるとかだったら、昔やってて楽しかった事、興味があった事、やってたけど上手くできなかった事とかを、今やってみるのもいいんじゃないかね。

とにかく、ちょっとでも気になった事、気が向いた事があったら、続けようとか意識せずやってみたらいいと思う。
個人の範囲で、仕事やらグループでやるでもない限り、誰へ迷惑を掛ける訳でもないからね。

楽しいとか興味が出たとか、面白いとか、その中で、続けたいと思えたもの、またやってみたいと思った事を続ければ良しとしてさ。
趣味にすると決めるかどうかは置いといて、気長に続けるといいんじゃないだろうか。

趣味になるかどうかは続けて見ないと解らないし、例え何かが趣味になったとしても、それが趣味じゃなくなる事だってあるだろう。

もしも続かない時があるとしたら、無理に続けようとしなくていいんじゃないかね。
楽しめるとか、興味があるから続けられるというならいいとは思うけど、続けようとするのが苦痛になれば、それはもう、その時点で楽しくないだろうし。

いつもやっている事が続かない、集中出来ないとかなら、疲れている場合もあるかもしれんし、休んだり、休める趣味…といったら変だな。
ローテンションでも楽に出来るような、ゆっくり休めるような、落ち着けるような何かがあるといいかもな。

景色を見るとか、動物の写真だの動画だの眺めるとか、音楽聴くとか、美味いもん食うなり、いい香りの紅茶やら飲み物飲むなり、風呂にゆっくり浸かるなり。
小説や詩、漫画、アニメ、自分自身があまり、積極的に動かなくても出来る事だろうか。

人は変わるというか、興味だって移ろうものだろうし、長い目で見れば楽しさのツボだって変わるだろう。
自身の、その時々にあった好みを探すつもりで、何かしら試してみれば良いんじゃないかと思う。
・・・小瓶を見る
烏羽
あるだろ。

痛そうで嫌。死ぬのが怖い。
少なくともそれだって生きてる理由だ。

だから死ぬのが嫌で、生きたいんじゃないのか?

俺には文章から察する事しか出来ないし、その察する事ですら大したものじゃない。
辛い事があったのかもしれない。苦しくて悩んでいるのかもしれない。それだけだ。

ただ、それだけは、そうなんじゃないかと考えてる。
生きているのが苦しいのは、言葉の通り生きている事が苦しいんじゃなくて、生きている中で、あった一つの要因が、辛さや苦しさになってるんじゃないかと思う。

でも、それをどうしようかと悩んで、それでも上手く答えは出せなくて、問題もなくなる訳でなし、苦しんで。
そこから抜け出したい、どうにかしたい、だから、一つ、死んだらどうなるのかを考えたんじゃないだろうか。

実際どうかは解らんがな。

自分語りなんて興味はないだろうが、俺も死にたいと思った事があるし、それに対して十数年悩んだ。
首吊りなり山で身を投げようとするなり、大した怪我もない程度のものだったが、自殺未遂もした。
死ぬのが怖かった、それが死にたい気持ちに勝ったのもあったんだろうな。

それでも、死にたいながらに、なあなあに生きてきた。
強いて言うなら、今でも、食材、食べ物、命への感謝や申し訳なさから、背中を押されるように生きてるだけだ。

実際一歩間違えれば死に掛けた事もあったが、死ぬ間際抵抗しない訳でもない。
死ぬ時は死ぬんだろうがな。

それでも、それなりに、自分の思う事に納得やら理解やら、自分自身との向き合いやら、引きこもり続けて、だらだらと考え続けて来た。
何を誇れる訳でもないが、何もしてない訳でもない。

以前よりは…、死にたいとは思わなくなったが、まあ、生きたいとも思ってはいない。
一応やりたい事はあるんだがな。

例えば、平和に過ごしたいとかだな。
ゆっくり過ごしたい、平穏な時間を過ごしたい。
楽しい事もあってほしいし、ゲーム程度の、簡単な乗り越えられるようなものならば苦しみも楽しみに変わる。

生きる理由があると言えばそうではないのかもしれないが、そういった、今俺が生きている理由ならある。

小瓶主さんにもないか?
暖かい布団で寝たいとか、美味い飯が食いたいとか。
上手くいかなくて悔しいとか、悲しいとか、もっといい事があってほしいとかな。

神さんがどうとか、そんなもんは知らんがね、思い浮かぶとしたら、実生活のそういうのが理由の一つなんじゃないか。

まあ、人生を振り返るのに遅いも早いもないと思うが、同じように、死んでいい理由を考えるのにも遅いも早いもない。
生きていきたいと思えるような意味も同じよ。

小瓶主さんがどうしたいかは、主さん自身にしか決められないと思うのでね、俺は生きて欲しいとも死んで欲しいとも、どうも思わんよ。
少しは、死んでほしくないとは思うかもしれんがね。

誰かの為に生きたい、希望になる何かを残したい、いつかの俺も、多少はそう思って、それでここまで来て、こんな事を書いてるのかもしれん。

せめて自分という生を残さないように、それでも何かを、生きた証を求めたのか、生命体の構造がそうさせるのか、よく解らんが。

よく解らなくとも、元々考える事自体は嫌いじゃなかったんで、そのよく解らなさに救われているとでも言うのかね、現状はそうだ。

死ぬ理由、生きる理由、そんなのは、他の誰に向けたものであろうとなかろうと、誰を起点にしていようとなかろうと、自分自身の中にしかない。

主さんは、人から、あなたにはこういう生きる意味があると言われて、納得できるか?
これこれこういう死ぬ理由があると言われて、合点が行くか?

生の半ばで見出した、自分の生きる理由や死ぬ理由に、満足が行くか?

そもそも、今までに生きる理由や死ぬ理由を考えて、生きて来たか?

なんでもいい。
なんでもいいが、人は意味を作る事が出来る。
自分の為か、誰かの為かなんて判然としない、あるいは、その両方の為の、なんらかの意味だ。

ああじゃないか、こうじゃないかと、考える事はどれだけでも出来る。

だから、自分の心そのものを分ける事も出来てしまう。
矛盾のある意味も難なく作り出して、正しくあるように整頓できてしまう。

だが、それも生きる事の一端だ。

ある時は理性と呼ばれたり、ある時は感情的とも呼ばれる。

強いて言うなら、それは、生きている理由を作り出している一つの要因なのかもしれんな。

たった二十数年、されど二十数年、俺が得た生の一端は、自分の内も相手の内も、確実な事は解らないって事だ。
そして、ある程度ならば、解るかもしれないって事だ。

返事なんてなくてもいいが、主さんはどうだ。
何か、振り返って、得たと納得出来るようなものはあったか。

楽しさでも苦しさでも、なんでもいい。
とりとめのないような事でもなんだっていい。

俺はそれらが、どんな理由にでも出来ると思っている。

…やろうとも思わないがな。

やろうと思わずとも、人間は普段から、良くも悪くもそういう事をしているだろうから。

そんな中で、何か大切な事があるとすれば、それらを何に活かすか、少なくとも、知り得る所の人間は、選択できるという事だろうか。

選択したとして、行動に活かせるかどうか、実行するかどうか、その理由に従うかどうか、また良くも悪くも、それらは全て別の事なんだろうがね。

勇気が出ない、なんて、大きなリスクや衝撃があるであろう、と思えるものに直面した人は言う。
俺もそのうちの一人だ。

だけど、大したリスクもなく、簡単に手が届く事、手を出せそうな事…、例えば鼻毛が気になれば抜くとか切るとか、今やっているようにダラダラと文字を打ち込んでいる事とかだな。
それは勇気なんてものを気にしなくても出来る。

まあ、誰ぞ人に対して何かしらの意見を書くというのも、実は勇気の要る事だと思うんだがな。

もしも、主さんに生きる理由、生きていたいような理由がかけらでもあるというのなら、それを見えなくさせるくらい、生きている中で嫌な事とはなんだ。

答えなくてもいい。
少なくとも、それを乗り越えるために生きている訳じゃないから、死にたくなっている事だけは確かだ。

そんな苦しくなるような事の為に、生きてる訳じゃないだろう?
・・・小瓶を見る
烏羽
(小瓶主さんからのお返事不要)

すまんな、お返事があるとは思わなんだのと、しばらく宛メに居なかったので、気付くのが遅れた。

まあ、過去の事でもあるし、別に返答しなくともいいかなと思いはしたが、一応書く。

自分がどこを向いているのか解らなくなる時は、自分の足元、足先をよく確認する事じゃないかね。

自分なりの、自分という筋さえ通そうとして来たなら、人の体なんて、ずっと首が横を向いていようと、真後ろを向いていようと、ひっくり返っていようと、そうそう胴体までの線は曲がりはしない。

どこを向かうなんて考えなくとも、自分の足元…、何がしたいのかを見れば、感じていれば、大体進みたい方向へ行けるもんだろうさ。
そうやって無意識なりとも返事を書いてくださったんじゃないか?

言葉の表現なんてなんとでも出来るだろうがね。(何を込めて使いたいかにもよる)

マインドセットというのはあまりよく解らないが、気持ちのリフレッシュ、分岐点や心持ちの変化だというのなら既に書いた通りだ。

死にたい気持ちについて考え始めた事。
考え続けて、自分の中に、諦めた気持ちを見つけた事。

他に、強いて言うなら、宛メのなかで、人の意見、人がどう思って悩んでいるのかだとか、そういう事を考えたりで、この人に対して何が言いたい、自分はどうなんだろう、どういう要素を持つ人間で、どんな事を言えるんだろう、そう思い始めた事かね。
稚拙でデタラメながらそこから歩き出した。そこをゼロとして歩いてみた。

死にたい気持ちを抱えて、それでも潔くは死ねなくて、なあなあにその気持ちに対処する術を覚えてしまって、苦し紛れに返事を書き投げ続けてただけだよ。
単なる成り行きだ。大した心変わりなんてものはなく、その都度、死ななかったから、死ねなかったから生きてきただけだ。

あの時、自分がやって来たであろう事しか、流れも方法も思い浮かばなかったから、そう書いた。

今現在の十六夜さんがどんな心持ちなのかは解らないが、まあ、この時は自責の念もあったかもしれんがね、単に長くて読みづらい文章を繰り返し見たせいで、疲れてたんじゃないかね(苦笑)

環境だとか、運だとか、自分の力だとか、俺には詳しく解らん。(キリッ)
詳しくは解らんが、それなりに、ある程度は解るつもりではある。

全部関わってるし、全部大事だ。
だけど、それが本当に良かったかどうか、悪かったかどうか、上手く出来たからいい結果に繋がったかどうか、出来なかったから繋がらなかったかどうか、そんなものは生きている限り解る筈もない。

そうなんじゃないかと思う事は出来ても、確証などは取れないし、生きている限り物事の終着点など何処へでも行く。
何処へでも、何とでも作る事ができる。

人は確かに変わる事が出来る。
だが、本来的な性質、のようなものは、一片たりとも変わりやしないと思う。

そこを支える部分…、いわば、自身の内の、本質的なものを、どう活かすか。良しとするか悪しきとするか、そこからどのように使うか。
長所と短所は表裏一体とでも言われるように、見え方や感じ方、考えたり思い起こす上での概念などが変わるだけなんじゃないかってね。

自分や気持ちを根本から、何もかも新しくするなど土台、どれだけ医学や科学が発展しようと、人間の力では無理な事なんじゃないか。
少なくとも、それほど根強いものだと思う。

だから、向き合う事とも書いたが、自分への理解は役に立つのではないかと、ある種信じている。

自責はあったかもしれんがね、小瓶主さん自身がそうなってしまったのも、何が悪かったとか、どこに責任があったとか、事細かな事は流れ去った後だ、詳しい事は何も解らん。

ただ、思考や方向に心の目を向けなければ変わらないのではない。
ただ俺の書き方、表現が稚拙なだけだ。

他の方法もあるかもしれん。
俺には自分のやって来た道以外、大して解らんのでな。

それに、自分を責める事ではなく、まあ、俺自身それを知った時、気付いた時に自分を責めたからなんとも言えんがね…
後からではあるが、責める事でなく、気付く事そのものが大事なんじゃないかと思う。

心底から気付いた時、心から気が向いた時、足の向く方角へ勝手に加わってくれているものだろう。
人間の体は、そういう所は便利だと思ったりもする。

ネガティブだとかポジティブだとか、そんなものはどちらも同じもので、人がどういった要素をどう活かして、それに対してどういう意見や気持ちを持っているかどうかにすぎん。

元気というのも、無気力の一要因、無気力も、元気の一要因。

根性論でそこを変えれるという訳ではないがね。
実際、自律神経系の乱れから、つまり物質的な体の側面から精神の乱れが起こる事もある。

体を適度に疲れさせて、というか、自分がしたい時に、気が乗った時に、ストレッチ程度でも体を動かして、ゆっくり眠る事も大事かもしれないな。

そう言った面から、気持ちが好転しやすい状態になる事もあると思う。

あと、朝起きて、手や顔を洗う時、あったかい水よりか、少し冷たいと感じるくらいの水で洗うのも自律神経系のバランスを整えてくれるかもしれない。

それと、それが出来る状況であれば、辛いとか吐き出しようもない気持ちを抱えたりした時は、寝るといいっぽい。
出来なければ、一旦、3回ぐらい(2度以上であれば好きなだけ)深呼吸したりな。

体を動かす事で、多少なりとも気の変わりやすくなる場合はある。
自分自身で、確固たる意志を持って、変わらない、変わりたくないと思えば、また話は別だし、変わりたいと思って体から働きかけても、あくまで可能性を高めるだけだ、上手くいかない事もある。
人による、というしかない場合もある。

(厳密にいうと、説明し難いが、精神的な面や身体面、それぞれと、それぞれを合わせた上での様々な条件が絡むだろうからだ)

なので、もし機会があるとすれば、何度かやってみて、可能性を判断してみてほしい。
それなりにはあるんじゃないかと思う。
・・・小瓶を見る
烏羽
ちょっと俺にもそれらしい事があったな。

そういう時は、怪奇みたいな奴がいるなら興味深いとも思えたので、あえて恐る恐るでも探してみる気持ちでしっかり見てみたりとか、あまりにも自分の怖がる気持ちが鬱陶しくて出るなら出て来いやボケェ!という気持ちで何か隠れてそうな布団を蹴っ飛ばしたりしました。(多分常人の発想ではない)

自分はこれで、意外と気にならなくなっていきました。

やたらパキポキミシミシとラップ音が聞こえてた時期もあって、本当に煩いので「うっせぇな!」と叫んだら、少し間があってからもう一度、大きくメシッと音がしたので「黙れ!!」(暴言)とさらに大きく叫んだらあれ以来なりを潜めたのか聞こえなくなって、ちょっと寂しい気持ちもあったりします。

因みにマンションなどの密接的な住居ではないので、それ以前は、あんまりにも煩くてイラついてる時は、壁ドンなどもしてました。

家に人がいない時間帯とは言え、ご近所に聞こえるくらいの声量で怒鳴り散らした気もするので、最悪ご近所の方にキチガイがあの家に住んでいると思われてる可能性もあります。

なので、もし、こんな風に、実際変な事があっても、こういった対処はオススメはしません。(冗談半分で書いてはいるけど、実話です)

でも、まあ、本物の生首があったとしても、多分腐って、その腐敗したガスにより少し膨張するぐらいしか動きはないと思います。

寧ろそれ以外の状態で動くのはとても珍しい事だ、しっかり見て置こう、記憶に留めておこう、と、それぐらいに思うのは如何でしょうか。
出来るかどうかは置いとくにしても、見れたらラッキー的な。

背後に誰かいるかどうかは、割と腕など、産毛や毛の生えている部分が露出していれば、風の流れを毛が感じ取って、なんとなくわかるかと思います。(髪の毛は風になびくくらいじゃないと難しいかもしれない)

それが判別しづらい場合は、常に後ろ蹴り、後ろへの肘打ち、ヘッドバッドなどの意識を高めて置ければいいかもしれません。

または、背後が気になったらそれらを打ち込んでみるのもいいかもしれません。

きっと物の怪の類も人も寄り付かなくなります…。(泣)

それはさて置き、一人の時にやると割と楽しいです。

怖くても別にいいんです。妄想なんですから。
むしろ妄想でしか味わえない恐怖を楽しむつもりでもいいんじゃないですかね。

軽薄に見えるかもしれませんが、自分は本気でそう考えて、そう対処しましたし、なんとか平気になってます。
個人によるところもあるかと思うので、何が功を奏したのか解りませんがね。

医学的な事から真面目に考えると、多分、脳において物事を思い描き、イメージする領域と、現実を捉え記憶する領域と、感情を司る領域が地続きか、作用し合う近い関係にあるのかもしれません。
だから人は時に、昔の記憶を美化したり、流れとして辻褄を合わせる事で、実際の出来事とは違う記憶になったりして、混乱するのかもしれませんねー。

なので、他のイメージで上書きするか、それが難しい場合には、身体の動きを加えながらイメージしてみるといいかもしれません。
そこになにか、本当にいるのかどうか、体感を持って確認できますからね。

…なんて、医学知識も何もない一般ピーポーが思って見たりしました。

あと思いつくとすれば、普段のホラーの妄想の中に、気が向いた時、馬鹿馬鹿しい妄想を織り交ぜてみるとか。

例えば、背後に気配がした時、実はスター状態の某マリオらしき何かが、ものすごい勢いで過ぎ去っていっただけだったとか。

棚の上から、漫画でよくあるような、ソフトクリーム上のうんちが、こちらを見ているんじゃないかとか。

窓に何か張り付いている…と思ったら、実は誰かのカツラがパンツに絡まった得体の知れないものだったとか。

二階に誰かいる…と思った時は、もしかしたらサザエさん一家が果物に挟まって、よくわからない腰振りダンスを踊っていたとか。

ホラーな妄想が頭をよぎった時は、ボケるお題が来たと、身構えてみてください。
真剣に、努めて真面目に、本当に、ちょっとだけ笑えるような、下らなくて笑えないような、だけど少しクスッとくる感じの妄想をしてみるといいのではないかと思います。

あるいは、ホラーな妄想をあえて自分からしてみて、その中に詰め込めるだけの馬鹿馬鹿しいイメージ、そんな事起こる訳ないだろうクラスの、もう読んで字のごとくアホアホな感じの、頭悪そうだけど面白い妄想をぶっこんで、壊せるだけ壊してみてください。

某ドラゴンボールのキャラが出てきて全てを某かめはめ波で吹き飛ばして行くとか。

小瓶主さんに効果があるかは正直、やってみないとわかりませんが、両方意識してやってみてもいいかと思います。
面倒くさい事は抜きにして、小さい頃のような、遊び感覚で、本気でふざけ倒して見て頂きたい。

これ面白くない、クスッとしもしない、など納得がいかなかったら、気の向くままリテイクしやしょうぜ。
・・・小瓶を見る
烏羽
(長くなりますので、お時間のある際に読まれて頂ければ幸いです)

俺もそうだな、現実的に、身の周りの人相手に楽になった試しもないし、ましてや、その悩みの種が、相談乗るよなんて聞いてくる事もあるからな。
半ば恨みのように、言ってやりたくもなくなる。

小瓶主さんとは、状況、場合も程度も、というかそもそも人が違うのだから、直面している問題も違うだろうが、そんなこんなで、俺も間違いなく人間不信になってる。

モヤモヤしてたり、行き場のない気持ちを抱えた時は、真夜中誰もが寝静まったような時間に、誰にも気付かれない、人目につかない場所に行って、独り言を感情のままに垂れ流してたな。
確実に不審者というか、見つかると通報されそうなのでやめたが。

ただ、昔から癖なのか、独り言を言ったり、歩きながらブツブツ呟いたりというのはある。
なんというか、声に出す事で、情報が整理、頭の中が整頓されているような気がする。

あと、一人でカラオケもオススメかもしれない。
なんだかよく解ってはいないし、主観なので個人差はあるかもしれないが、とにかくなんででも、思う存分、声を出すとスッキリする。

他には宛メに書く小瓶のように、自分の気持ちを文字に書き起こしてみるとか。
まあ、気持ちや情報の整理がしたいというのであれば、であるが。

…ただ、まあ、その時はコオロギ相手だったが、人によっては、人間以外に話しても、楽にはならんのかもしれんな。

申し訳なさが勝るというか、ある程度話していると、自分自身何をすれば良くなりそうなのか見えてたり、問題が起きた事そのものが、どうしようもなく、仕方がなく起こってしまった事だと気付く事も多い。

まるで、そうか、そうだね、とでも言われているようにな。

人間なんて勝手なもんさ。
俺が真剣に考えてる時は、眉間にシワがよる癖があるみたいだが、それを遠目に見た通りすがりの二人が明らかにこっちを見て、クスクスと、あの人怒ってる〜、みたいに話題に出して笑ってたりもした。

アホらしくて放っておいたら、行き先が同じだったのか再び会うことになって、道幅も狭いもんだから距離も近い、あいつら顔も硬くなって何も喋らなくなって、顔が青ざめてたっていうのかね、そう見えて正直笑えたな。

まあ、その時どんな気持ちだったのか、その後どういう事を話したのか、興味もないがな。

虫へも人間へも、色眼鏡を付けて見てるのは、あくまで俺自身、自分自身だったってのは気付いたよ。

もちろん、相手によって態度やら言ってた事、手のひらをコロコロ変えやがる奴もいる。
俺自身そう見られてもおかしくない状況はあっただろうが、そんな人間は、最初は歓迎されるが、付き合いが長くなるにつれ、そいつの周囲からの信頼がなくなっていく。

良く言えば柔軟性がある。
が、何か変だってのは接してりゃ、行動を見てりゃあすぐ解る。解りづらいやつもいるがね。

自分自身もそうだが、相手もその可能性がある。
感情に任せて、怒っている時は思いもよらない、今まで思った事もないような言葉を捻り出して相手にぶつける事だってあるだろう。

そうじゃない事もあるだろうが、そういったように、最初は適当に受け答えしていても、話を聞く中で事の重大さが解って来たり、相手が本当に辛い、苦しんでるんだと理解出来れば、真剣に向き合う事もあるだろう。

善も偽善も、悪も偽悪も、詰まる所そんなものさ。
人の見る立場…、当事者か受け手か、その周りがどう影響を受けているか。それに加えて、その時々の人の体調だの精神だのに左右され得る、変わる可能性の高い、心に基づいた言葉だ。

そう見える、そうありたい、そうありたくない、そうであって欲しい、そうでありたくない…
偽善だのなんだのなんて、そういう状態を解りやすく表す為の、一瞬の状態を表す言葉だ。

傾向があるとしても、そんなものに、良くも悪くも変わり続ける事の出来る人間の本質が、囚われるものか。

疑心暗鬼になれば、何もかもを疑う事になる。
キリがない。

だが、昔の哲学者はよく言ったものだな、「自分が今疑っている事は疑えない」、我思う故に我あり、だったか。

とことん疑って、自分なりに何が真実なのか、何が頼れるのか、主さんも考えてみてもいいかもな。
俺はそういう生き方…とは言えないが、それに近い生き方をして来ている。

色眼鏡と言ったがね。
自分の持ってるフィルターを通して、あいつがどう思ってるんじゃないか、こういう気持ちなんじゃないかとか、人を見てるようなもんさ。

人が何考えてるかなんて、態度に出たとしても、厳密には解らないから、あまり考え過ぎないようにしてる人もいるだろうがな。

俺はな、自分の悩みを人に打ち明けて、楽になれるとは思っていない人間なんだよ。

少なくとも、そういうイメージを持っていないし、自分が自分の悩みを話した所で収拾もつかない。纏められもしない。
信じて貰えるとも思い切れない。しっかり着地して、受け止めて貰えるとも思えない。

人に話せば迷惑かけるかもしれないだとか、傷付いてしまうかもしれないだとか、関係性やらなんやら、鬱陶しく思い浮かぶ事柄を突き放す事も出来やしない。

そもそも、誰かに打ち明けて楽になれるなんて、望んじゃいない。
上手く言葉に出せる事もなく、楽になれた事もない。

相手に真摯になって受け答えされても、自分ですら確証も持てない。説明になる言葉にもできない。

自分自身の事すら、ロクに信用出来ていない。
俺自身、上手く説明、相談出来るとも思ってない。

主さんはどうだか解らんがね。

俺は自分の気持ちやら、疑問やら、言葉にしようとしてきたり、考えてきた。
偉ぶるつもりはない。誰を害するものでも、何かに接するものでもないが、実質なんの生産性もない、社会の役に立てる訳でも全くない、自分の為だけの行為だからだ。

だが、そのお陰か、それすらも判然とはしないがね、多少なりとも、色々試してきた甲斐もあったのか、心の整理は出来て、前よりは落ち着けた気もする。

主さんも自分なりの方法でやってみればいいさ。
何が自分に合うのか、何が後腐れなくスッキリするのか、少しずつでも考えながら、自分の中の、空想の相談相手というのを見つけたんだろう。
自分の事をも、誰を傷付けるでもない、色々やってみればいいと思う。

まあ、また辛くなって、抱えきれなくなったり、どうしようもなくなったら、宛メとかに来てもいいだろうしさ。

少なくとも、その力は持っているように見える。

…あ、そうそう、なんかどうにも行き場がない気持ちを抱えた時は、寝るのもお勧め出来る。
不貞寝…というか、寝ると本当に、医学的に精神面が和らぐとかなんとか。
・・・小瓶を見る
烏羽
今一度確認しよう。(自分も調べて確認した)

まず、持ち方の基本。
柄の部分を握るのは、中指から小指までの三本。
人差し指と親指は、刃元の中心をしっかり挟みこむように握る。

また、繊細な作業をする時は、人差し指を包丁の峰(背。刃の無い方)に沿わせる。

で、基本的な切り方。
特殊な包丁…(多分中華包丁とか?)でなければ、手前に引いたり、奥に押したり、前後する時に切れる。

もし切りにくいなら、そのまま垂直に、真っ直ぐ刃を入れていないだろうか。
また、そうじゃなくて切りにくい場合、包丁の刃こぼれも考えられる。

で、野菜などの食材で、皮を切り剥く時のコツ。

基本的に、包丁の先端は使わず、根元を使う。
包丁を持つ手は固定して、食材を動かす。
じゃがいもなどの窪みは、刃の根元の角を使う。

刃が通る…要は外側から

皮>包丁>食材本体

になった時、皮の上へ、包丁を持つ手の、親指を添える。
そうすると、材料がより安定し、勢いよく切りにくくなる、らしい。

慣れない内は、切るのはゆっくり、厚めで良いんだってさ。
包丁を持つ基本は置いとくにしても、皮を切る時のポイントを意識して、そこに慣れて来たら、薄くする事を心がけていければええらしい。

早く切ろうとせず、早く切りたいのであれば尚の事、ゆっくりでも丁寧に、まず身に付ける事を念頭に置いた方が良いっぽいね。

多分、包丁の基本とか、皮むきの基本とかで調べたら出てくるんじゃないかな。
がんばえー。
・・・小瓶を見る
烏羽
安易に言いたくはないと思ったが、辛いな。
出来る事ならそいつら全員殴り飛ばしに行きたい所だし、なんとかしたい気持ちでいっぱいだが、大したことは思い浮かばず、その場に行って出来そうになく、本当に申し訳ない。

長文になるので、読むには時間が掛かるかと思う。
家にある通信端末を使っているのかどうかはわからないし、この小瓶もそうやって投稿された可能性はあるが、出来れば一人になれる時に、もしくはインターネットの出来る場所へ外出して読んで頂ければ幸いだ。

何故なら、親御さんの状態が今どのようなものかはわからないため、滅多な事は言うもんじゃないと自覚しているが、親御さんに見られた場合どうなるかわからないからだ。

一か八か思い浮かぶのは、この内容、いっそこの小瓶を校長先生などにそのまま見せる事ぐらいだろうか。
小瓶に書いた文も含め、ボンドで固められた自転車の鍵穴などを見せたりして、問題は解決していない事を伝えてみる事か。
(学校へ行くのも、普段通りの登校でなく、時間をずらしたりしてでいいので、行ける時に)

また、自分がどうしたいのか、例えば学校を続けたいかどうか。
高校は行かなくとも、それに応じた勉強ができない訳ではないし、通信教育や、売っている教材を参考にして、高卒認定を受けるという事も出来る。

家族との関係については、これは非常に言いにくいが、最悪のケースとして知っておいてほしいので書こうと思う。
あるいはもう知っている可能性もあるし、それ故に避けている方法もあるとは思いもするが、念の為。

児童相談所、またはそう言った中で実行力のある福祉機関を頼るのが一番いいとは思うが、今回主さんがいじめられたケースのように、親が機関から、暴行の存在を隠蔽しよう、隠そうとするケースもある。
そういった場合、親からの暴行が激化することも多い。

それに加え、そういった施設などに、自分の意思を伝えても、担当者の疲れや、数をこなして来たことによる心身の麻痺からか、マニュアル的に、事務的に処理してしまう事で、事態が悪化する事もある。

正直、言ってしまうと、大人も人間でしかなく、社会人であっても主さんのようなケースに陥る場合があり、法や機関が、今現在それらに十分対応出来ているかと問われれば、残念ながら、否だ。

場合によっては一時的に親と離れた場所に置いてもらえる事もあるが、あくまで一時的なものでしかないし、調べた限りでは隔離に近く、その施設ごとによりけりだとも思うが、あまり良い対応が望めるとは思わない方がいいかもしれない。

あくまでも親との接触を一時的に絶つ事が出来る、という点を重視するのであれば、選択肢としてはあると思う。

福祉機関に頼れば全て解決する訳ではないであろう事には十分注意を払って、それが上手くいかない可能性もある事から、自分自身で考える力も持っている事を、忘れないでほしい。

他に思いつくとすれば、父母の親族、血縁に頼ってみることだろうか。
小瓶主さん、あなたの状況や、お爺さんお婆さんや、お爺さんお婆さんの兄弟姉妹、父母の兄弟姉妹に当たる方はいらっしゃるだろうか?

その方々が頼りに出来そうかどうかも込みで判断して頂きたいが、親族の方に相談し、その方の元へ連れて行ってもらうという方法もあるかと思う。

父母に知られたくないようであれば、「いじめが激化した事から、父母には伝えたくない」等という、自分の意見も込みで、親族の方に相談してみるとか。
予め、迎えに来てもらう場所を、家ではない、少し離れたところにしてもらうとか。

ただ…、なかなかないというか、あって欲しくはないのだが、親族の方も信用できるかどうか解らない、信用できそうにない、となると、これも一か八かになる。
何人か、頼りに出来る親族の方がいるようであれば、一方の方々がダメでも、他の親族の方を頼って頂きたい。

あと、念の為、独り身の親族を頼るのは最終手段にしておいた方がいいかもしれない。
出来れば夫婦2人のいる環境の方が、金銭面からくる問題、それによって起こる暴力要素、口に出すのも嫌になるが、性的暴行等に不安が少ないと思う。

他の人に迷惑を掛けたくないと思ってしまうかもしれないが、命ある限り、恩として、なんらかの形で返す事は出来る。
今は、自分が迷惑を掛けるとか、悪いとかより、助かる事の為に行動、手を伸ばしてほしい。

迷惑だとか、それどころじゃなく、逃げる事の出来る場所へ、少しでも、ほんのかけらでも、頼れるかもしれないところへ手を伸ばしてほしい。

すまないが、俺が思う所で、現状マシになりそうな行動というとそれぐらいしか思い浮かばない。

あと、宛名のないメールのサイトの下部に、管理人さんが探して集めた、「悩み相談ができる相談所を集めたサイト」という所をクリックかタップして頂ければ、それらしいサイトを見つける事が出来るかと思う。

無料電話などの場合は、混み合っている場合もある為、一度繋がらずとも何度も掛け直してみて欲しい事と、混み合っている事で、電話で相談を受ける側の方が疲労して、対応が疎かになる場合もある。
なので、諦めず何度も電話を掛けるか、繋がらなかったりしたら、他の場所も頼ってみて頂きたい。

もちろん、小瓶主さんが、大人を信用できないだろう事ぐらいは想像できる。さらに辛くなるかもしれない可能性というのも解る。

それしか伝えられない不甲斐ない気持ちでいっぱいだし、言葉ではどうとでも言える、自分の文も薄っぺらく見えてしまうんじゃないかと思いもする。

傍観者でしかない立場から何か言えるとしたら、これも、小瓶主さんにとって辛い現実だとは思うし、自分自身言いたくない事だが、この現状をどうにか出来るのは、小瓶主さんが、この小瓶を流したように、諦めず何かしら働きかけ続けるか、耐え忍ぶという事ぐらいじゃないだろうか。

とにかく、この小瓶そのまま、もしくはその中から言えるだけの事を、見せる事、出す事だと思う。

校長先生や、調べたら出てくるであろう最寄りの福祉施設。
親族、血縁者の中で頼れそうな方々。
宛名のないメール下部にある、相談できる場所などへ。

休み休みでもいい。学校なんてどうでもいい。勉強できる方法なんて他にもある。
そもそも小瓶主さんあってこその勉強や学校だ。あんたの人生だ。

たしかに、SNSに悪口を書き込んでしまったのは、いじめの原因かもしれないが、それをタネにいじめてくるというのは、間違いなくそいつらにも原因がある。
たとえ小瓶主さんが悪いとしても、そいつらがいじめを続けている以上、主さんよりもっと、最悪最低のゴミクズだって証拠だろうよ。

赤の他人がどう言っても仕方がないし、主さんへの重しになってしまいそうで言いたくもなかったが、そんな奴らのために死んでほしくない。

ほんの少しでも、事態が好転してほしい。
祈る事しかできない。
・・・小瓶を見る
烏羽
自己嫌悪、やめなくてもいいと思うよ。
だって、自分の嫌いな所がわかるって事は、どんな時に自身が悔しい思いをしたり、本当はこうしたかったんだって気持ちがあった事を認識できる事に繋がるだろうから。

…確かに、自己嫌悪する事で、ただただ愚痴をこぼしてるだけなら、他の人もあんまり愚痴ばかりを見てると、小瓶主さんの事が心配になったり、読む方にもそれに近い事が過去にあったから、嫌だなあって気持ちが湧き上がって来てしまうものなのかもしれない。

それが間接的に、人を遠ざけているように見えるというのか、人が自分の意思で距離を置こうとする事に繋がってしまうのかもしれないね。

だったら、愚痴を吐いたその後は、次からはどこをこうすればいいんじゃないかとか、どこら辺が頑張れそうだと思えるか、そういう事もSNSとかでこぼしてみたらどうだろうかな。

そうすれば、愚痴をこぼすより、次に試せそうな事とかも見えてくるだろうし、もっとスッキリするんじゃないだろうか。

欠点は誰にでもあるというかね、自分自身が何か行動して、不十分だと思えた所に生まれるものだと思うから、他の誰かが上手くできているように感じても、その当人は納得いってない事も多かったりする。

少なくとも小瓶主さんは、文章を通じて自分の伝えたいものを表す事がしっかり出来ているように思う。

とにかく、愚痴を吐いてもいいと思うけど、自分に嫌気がさした時は、自分自身の行動する中で、何が悔しかったのか、上手くできないと感じたのか、そこを深掘りしてみるのはどうかね。

もしかすると、意外と出来てはいるんだけど、自分の目指す目標に少しだけ届いていなかったりする事もあるかもしれない。

会話が続かないったって、俺も無口だから多少なり共感出来るつもりではあるんだけど、相手に「これ知ってる?」とか聞かれて、受け答えとかはちゃんと出来るんじゃない?

ただ、そこで「知ってる」とか「知らない」とか、知ってても、あれ面白いよね、そうだね、とかで会話が切れてしまうだけでさ。

どういう風に会話を続けたいかって、あると思うんだよ。

だから、「出来ない」じゃなくて、「〇〇したい」って事を、少しずつでも形にしていければ良いんじゃないかな。
・・・小瓶を見る
烏羽
自分の幸せ、不幸、それらは自分のものだ。
他の人の幸せ、不幸、それらは他の人のものだ。

他と見比べることで自分を押し留める事は出来ても、苦しみを偽る事は出来んよ。
誰のものでもない、自分のものだ。

生活の中、日常で感じる楽しさや、幸せだった、運が良かったと思う事、それも小瓶主さん自身のものだ。

誰かと比べて良い?悪い?運が良かった?
それで現状の何が変わる訳でもない。

あなたが幸せ、不幸だと感じたものはあなたの幸せや不幸でしかないように、他人が感じた幸せや不幸も他人の感じたものでしかない。

人も違う、状況も違う、経験した事や、その中で考えたり、学んできたものも全て違う。
その中で同じ幸せや不幸があるのだろうかと思えば、近いものはあるとしても、俺は違うんじゃないかと思うよ。

こればっかりは、小瓶主さんの考え方だとか、誰が発した言葉だとか、何が悪いとは言えないんだけどね。

また、苦しい事が頭にあり、そこから目を逸らせない、気掛かりで仕方がない、落ち着けない程だと言うのなら、幾ら幸せな事があるとしてもそこに感じ入れない事もあるだろうさ。
それ程苦しくて、大きな事なのだから、と思う。

まあ、如何に幸せな事がある身だろうとも、苦しい事もあるだろう。
それは、誰でも変わらんのではないかな。

わがままでもなんでもない。
小瓶主さんには小瓶主さんの悩みがあって、それを吐き出したまでの事。

そしてそこに、気になった事やら、何か思ったり、書きたくなった事のある人がお返事を書いてみてるだけの事。

本当に迷惑なら俺や他の方々が、返事を書く事もないというか、嫌々お返事書いてる訳じゃないだろう。

例え誰かが迷惑だと思ったとしても、必ず掛ける事になる迷惑というのはある、かもしれん。
だが、そう考えてみたところで、耐えられない訳でもなさそうだろう。

俺に関して言えば何も感じなかった。
それだけの迷惑だ。

何より、辛くてどうしようもなく、頼る所も吐き出せる場所もない、そんな苦しみを持っていても、苦しいだけだろう。
そのままで良かったとは思えん。

自分勝手だったとしても、時には自分を守る事も必要だろう?
ましてや、小瓶主さんは誰に迷惑というか、傷を付けている訳でもない。傷付けようという害意がある訳でもないだろう。

それどころか、周りの人を思うあまりか、苦しんでいる自分から、更に窮屈な場所へ向かわせようとしている。

小瓶主さんのスペースもちゃんと確保しないと、困ってるのも苦しんでるのも小瓶主さんだろ?
何故ご自身を責めなければいけない。何故小瓶主さんが周りを思うあまりに苦しくならなければいけない。

小瓶主さんは優し過ぎるように思う。
身を切るような自己犠牲は、正直見ていて辛くなる。

不快とか迷惑とか、そんな事じゃない。
小瓶主さんはそうする事で、本当に幸せなのか?

周りの顔色を伺って、自分の思っている事も満足に表に出せず、思ってもいない事を思っているように振る舞う。

それが幸せなのか?
そうは思えないんだよ。

なんというか、本当にそれでいいとは思えないんだ。

心から湧き上がる、自然と笑顔になる。
それが幸せなんじゃないのか?

他の場所、他の人の不幸、そこから追い立てられるように感じるもの。
そこから来る自分の立場は、今の小瓶主さんの現状は、本当に「幸せ」なのか?
そう感じられるものなのか?

例え一瞬一瞬に幸せがあるとして、小瓶から感じるその苦しみはなんだというんだ。

幸せな事がある。だからって、不幸な事がない訳でもないだろ。
その苦しみを、他人から見た目線の幸せでなかった事に出来る訳がないだろ。

何が、誰が悪いとか、そういう事じゃないんだ。
何でこんな事になってしまったんだ、どうして小瓶主さんがそんな辛い思いをしなくちゃいけないんだと、なんとはなしに憤ってしまって。
申し訳ない。

けど、誰が幸せだとか、不幸だとか、そんなんじゃなくて。
小瓶主さんご自身が幸せだと思う事や、苦しいと思う事は、それでいいんだと思う。そのままでいいんだと思う。
それを伝えたかった。
・・・小瓶を見る
烏羽
安心できるとかもあるんだろうし、いいと思う。

けど、指の変化や、歯並びが悪くなる事などを気にするからこそ、当人にやめたい気持ちがあるなら、指をしゃぶりたくなったと気付いた時は飴をしゃぶるとか、ガムを噛んだりするとか、コンビニとか駄菓子屋とかで売ってるようなカルパスを口に含んでしゃぶるとか、他の行動にすり替えていければいいんじゃないかと思った。

また、どっかのサイトとかでは、指にワサビとか辛子を塗るとか、なんとか書いてあったりしたような気もする。

指をしゃぶる事で安心感を得たいというのなら、家の中であれば枕や抱き枕をギュッと抱きしめてみるとか、何か自分自身が安心感を得られたり出来る方法を探して、指をしゃぶる以外の方法でも、満たされる回数を増やしていくとかどうだろうか。

指をしゃぶる事で満たされる、それが癖になっているというのなら、別の方法に頼る事で、指をしゃぶる回数、時間、頻度を減らせる訳だし。

とりあえず、書きだしてみたものが上手くいくかはわからんし、他の方々のお返事を見ても、幾つかご自身なりのやり方が見受けられる気もするが、落ち着きたい、安心したいというのなら、指をしゃぶる事以外、もしくは指はしゃぶらずとも、他の何かを口に含むような形ででも、別の方法があるんじゃないかと。
・・・小瓶を見る
烏羽
長文なので、お時間のある時に。

小瓶主さんは、早くこの世から去る事を考える事、去った自分をイメージする事で、今感じている苦痛から解放されると思っていませんか?

もしそうであるなら、死ぬ事だけではなく、今現在ある、悩まされている問題から解放されたり、その問題を考えたり悩んだりしていない時間がストレスを感じていなかったり、癒される時間となるんじゃないでしょうか。

(そうであったなら)そういう時間を取るというか、苦しい事を考えたりする時間や、感じる頻度を少なく出来ればいいのかな、と。

だから、何をすれば幸せになるとかじゃなく、とりあえずはそういった感じで、凄く苦しくなるような事を考えない為、他の事に集中する意味で趣味と言われる分野、音楽を聴いたり、運動でも絵でもゲームでも、興味のある事や気が向いた事の、何かしらを試してやってみるとか。

やってみて何か興味が出ただとか、ちょっと楽しいと思える事は、続きやすいかもしれませんね。

逆に、何もせず、ただ外の空や、近場にある海や緑、揺らぐ水溜りや風に靡く雑草とか、なんなら動画とかでもいいと思いますので、そういった景色を眺めて、なんとはなしにぼーっとする時間を作ってみるとか。

また、日頃から何度も、問題に遭遇して苦しくなると言うのなら、原因をなんとかするか、その原因に対して向き合う事で、抵抗力とでも言えるものを付けられたら良いのではないかと思います。

ガス抜きというか、これがある、これが楽しいから多少楽になれるというのか、そういった趣味や興味のある事、興味が湧いてきた事が見つかれば、それが苦しさへの抵抗力、みたいなものになる事もあるんじゃないでしょうか。
また、元気というか、モチベーションというのか、ちょっとした気持ちの支えのような、原動力になる可能性が無い訳ではないとも思いますし。

何か興味が出たとか、やってみて楽しかった事があるとかだと、続きやすいかもしれません。

自分へのご褒美…
具体的には、その病院の医師に聞いて見なければわかりませんが、例えば、頑張ったと思った出来事や、苦しいけどよく耐えられた、と思う事があったりした時、美味しいものを食べるとかですかね。
(普段から入れてなければ)暖かいお風呂に、何か良さそうな香り付きの入浴剤を入れてみるとか。
最近暑いので、美味しいアイスとか、甘いの好きだったらコーヒー牛乳とか、なんかジュースを買ってみるとか。

興味が湧いてこない、やる気が出ないというのであれば、出来そうな範囲内で、昔興味があった事、やっていた事、懐かしの何かに触れるとか等も良いかと思います。
折り紙でなんか折るとか、手裏剣やら紙飛行機作って飛ばしてみるとか。

良くも悪くも今と昔では状況が違うというか、一人旅の時どう思うのかのように、人は変わるものでもありますからね。
面白かった事も飽きてやめた事も、苦手だった事も今やるとなると、どう感じるのかはわからないと思いますので、こんな感じだったなあとか、今では違うなとか、違いを感じるのも悪くないのかもしれません。

また会社から来る悩みであれば、転職や、辞めても暫くか、ある程度の期間、仕事から距離を置いて休める程の資金を貯めたりする事が思い付きますね。

例えなので、会社かどうかはわかりませんが、ストレスの原因があるとすれば、そこから距離を置ける時間がある事で、少し気が楽になる事もあるんじゃないかと。

あまり辛さを感じない時間を過ごせたり、気が少しでも楽になったり、ちょっとでも元気が湧いてきたと感じられれば、それでいいんじゃないでしょうか。

あと、小瓶主さんは、この状況が良くない、抜け出したい、楽になりたいと思うからこそ、病院へ診察して貰いに行ったのではありませんか?

考える中で、うまく行かない事に直面して困り、面倒さ、厄介さを感じたりするのも、苦痛に感じる事に含まれるかとは思いますが、改善する為の行動に付いてくる苦痛を避けようと、行動そのものを絶ってしまうと、状況が良くなるとは、勝手な推測ながら低い可能性になってしまうかと思います。

ただ、気力がない、その苦痛に耐えられそうにないと思うのであれば、気力が出てきたり、向き合おうと思えるまで、無理に考えなくても良いとは思います。

また、疲れてきたり、これ以上は少し辛いかなと思えば、考えを途中で中断して、また後から再開する事も一つの選択肢かと。
考えを何か、ノートなどに書きとめておくのもいいかもしれません。

あとは、この小瓶に、主さんが書いた疑問などを、その時に聞ける範囲で、病院の医師に聞いて見てもいいかもしれませんね。

所詮素人が、勝手に思いついた事を書いてみたに過ぎませんので、あくまで参考程度に、医師に話を聞いて判断して頂きたいです。
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