かつての私のように、人の痛みを知らない非情な人間であり続ければ良かったよ。
自分の言動など顧みない、最低な人間のままが良かった。
自分のことだけ考えればそれで良かったから。楽だったから。
大人になり、結局自分の今までの言動で知らず人を傷つけたことを知って。
でも遅い。時間の経過は謝るどうこうのレベルでなくなっている。
自分は苦しんだ。過去はもうどうにもならない。
だから人の痛みを知らない人間でいたかった。
こうなることを恐れてたのかもしれない。
かといって、何か生活が豊かになったとかそういうものはない。
私が変わっても、結局何にも、得られなかった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
お返事失礼します。
(*・ω・)*_ _))ペコリ
(※かなり長文です。すみません!)
まず、当たり前ですが、僕は小瓶主さんの事情は全く存じ上げません。
ですから、全く見当違いなお話かもしれませんので、気を悪くされたらすみません。
僕も、小瓶主さんと似た境遇と思われる者です。
人の痛みを知らぬまま、ある人を傷つけ、気づいて罪の意識に苛まれた頃にはもう、謝ることのできる状態ではありませんでした。
その時に感じた罪深さはとても、とても恐ろしかった。
自分の非情と、無力を罵りました。
そのくせ、「痛みなんて知りたくなかった。」とのたまいました。
それがどんなに傷つけた人に対して不誠実か知りながら、です。
…恐らくは小瓶主さんも心当たりがあるのではないでしょうか?
確かに痛みに接するのは苦しいです。
申し訳なさを感じても、逃げたいという感情は消えてはくれません。
或いは罪人という意識が心を蝕むこともあるでしょう。
だとしても、出来ることならその痛みから逃げて欲しくはない、と思います。
…無責任な言葉に聞こえるでしょうか?
もしそうなのであれば、きっとこの後の僕の言葉は届かないと思います。
そうでないのなら、もう少しだけお付き合い下さい。
僕も貴方も、罪の意識からも痛みからも、目を逸らしてはいけないのだと思います。
謝れないからこそ、向き合い続けるべきなのだと思います。
それが、傷つけてしまった人に対する、今出来る唯一の誠意の表し方です。
その誠意さえ失ってしまえば、傷つけた人にもこれから傷つけてしまうかもしれない人にも、自分自身にさえきっと顔向け出来なくなります。
それに、傷つけてしまったこと、それに対する罪の意識は決して無駄にはなりません。
その経験があって初めて“優しさ”に近づけるのではないかと思います。
他人に優しくすることは、必ず自分のためになるとは断言出来ません。
自分のことで精一杯の時は他人に優しくするなんて考えられないかもしれません。
だけど、綺麗事かもしれませんが、他人に注いだ優しさはきっと自分にも注がれるんです。
独りよがりでなく、その人を思っての優しさなら、自分で自分を許せるようになると思うんです。
そうすれば、「周りも自分も幸せ」だと思いませんか?
世間には、傷つけたまま気づかない「自分だけ幸せ」の人が沢山いるのでしょう。
僕は、傷つけたことに気づいた者同士の貴方が、そのような厚顔無恥であって欲しくはないと思います。
これはきっと、僕の我儘ですけどね…。
こんなに長く、読んでいただいてありがとうございました。
これで、僕の言葉がどれほど伝わったのかはわかりませんが、小瓶主さんの気持ちが少しでも安らげばいいな、と思います。
若造が失礼致しました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください