自分軸で物事を考えるにはどうしたらいいでしょうか。
ふと思ったことです。
友人から楽しかったエピソードを聞いたり、精力的に活動している人を見たとき、悔しいと言うか劣等感というか、よく分からないモヤモヤを感じます。自分ができなかったことを彼らはやっているという嫉妬かもしれません。
今までそうしたモヤモヤを感じた時
「自分も彼らのようにならなければダメ人間だ」
「幸せにはなれない」
といった感じで焦って考えてしまい、結局失敗に終わってきました。
そうした中で感じたことが「相手の幸せと自分の幸せは別物」ということです。
例えば「あの人は多くの友人に囲まれて羨ましい」と思っても、自分がその状況になった時に必ずしも幸せとは限らない、ということをふと思いました。
なので、自分軸で物事を考えてみようと思ったのですが、幼い頃から人と比べてしまう癖があり中々それができません。また、自分の考えは間違っていてズレているのではないか、という恐怖もあります。
「他人が良しとしたものを良しとする」
「優劣で優れていないといけない」
というように、自分が良しとするものは他人に当てはめないと判断できない人になってしまいました。
友達は少ない方が濃い関係を築けるしそれでいいと思う反面、多い方が何となく一般的には良いと言われているような気がして、やっぱり少ない自分はダメなんだと思ってしまうのです。
どうしたら自分は自分と考え、自分軸で判断できるようになるでしょうか。
ちなみに、友達のことは例なので、それが悩みの種ではありません。分かりにくくてすみません笑
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ななしさん
社鼠城狐の状態なのかと思います。世の中の快楽に惹かれ着いたり離れたりする気持ちを抑えられない。
そうなるのは己自身に欲があるからです。欲があると直ぐに色々なものに目移りして気持ちが動揺します。
自分の広い土地(多欲)に繁殖力の強い雑草(快楽)が生えているようなものです。根が強くひとつひとつ抜いていくのはひと苦労だし時間もかかるし、ほっておくといつの間にか空いているところに新しく生えている。これでは一生かかっても沢山の雑草はなくならない。
それならば土地を小さくすれば抜くべき雑草も少なくなるので管理も容易になるのではないかという考え方です。つまり欲を減らす。動揺が減るので精神が安定する。
しかし人間、欲がゼロでは生きて行くのは大変ですから、どこで線引きするのかは自分で試しながら決めて行くのがよいでしょう。
余計なものを捨てると自分にとっての大切なものが見えてくると思います。
ななしさん
他人と比較するって、そんなにおかしいと思いません。
そもそも自分軸とは、他人と比較することで出来上がるものじゃないですか?
高学歴の成功者を見ることで「高学歴って素敵、将来有利」と思う
→自分もそうなりたいと勉強する
→すぐ飽きる、サボり癖、頭が悪いなどで勉強が続かない
→成績が伸びない
→高学歴の人生は自分には無理だなと悟る(自分の特性・自分軸を知る)
→別の道を行こうと決める
→高学歴じゃなくても楽しそうな生き方をしている誰かを探す
→また誰かの生き方を見つけ…
みんなその繰り返しで、自分を見つけていくんじゃないですかね。
生き生きとしている成功者(人生を楽しんでいる人)のインタビューや著書など見ると、必ずといっていいほど、影響を受けた人物や作品や格言などがあります。
周りにあるものと触れ合うことで、自分の姿は見えてくるのです。
多分あなたは「この生き方は自分には無理だな、向いていないな」てきちんと納得しないまま、単に「失敗したから」てだけでその道を捨て、別の道を模索してきたんじゃないでしょうか?
一回二回失敗しても、また挑戦していいのですよ。だって焦ったせいで失敗したなら、焦らなければうまくいくかもしれないでしょ?
結論を出すのが早過ぎるんだと思います。自分軸がきちんと見つかっていないままだから、中途半端でモヤモヤする。
あの人の生き方は素敵な生き方だなあと思ったら、とことん納得いくまで、それに近づこうとすればいいのです。
仮に「友達が少ないより多い人生の方が良さそう」と見えるなら、増やす努力をとことんしてみればいい。
その結果、良い友達が増えない、または増やしても関係を維持するのがしんどいなどの弊害が発生し、「友達が多い生き方」は自分には合っていないんだと実感すれば、いくら世の中で「友達が多いのは素晴らしい」という論が流れていても、それは自分軸とは違うと判断できます。モヤモヤすることはなくなるでしょう。
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