生きるのが辛くなる時。
一人で寂しい時。愚痴や自責が止まらない時。
ネガティブな感情ばかり出てくるのにそれを
押さえ続けなければならない時。素直になれ
ない時。人と関わるたびに心が疲れる時。
誰かの役に立ちたいのにスキルも気遣いも
足りなくてその絶望を悟られないようにする
ことで精一杯の時。人は生きているだけでいい
と頭では思う。生きる意味や自分はおまけに
過ぎないこと。結局ネガティブな状況に自分を
追い込んででも新しい刺激を求めてしまうことは
やめられない。どうやって生きていけばいいん
だろう。もう無理かも。詰みかな。
自分を守りたいと執着する一方で自分を傷付ける
残酷な自分もいる。どうしたら生きていけるん
だろう。生きていくことに不安を持っている
らしい。鬱は行き過ぎるとテコ入れが必要だが
治すものではなく付き合うものだと思う。
明るさが良い。笑顔が良い。無理に作ればその
場は済むかもしれないが、自然体は暗くて笑え
ないのだからそれを変える必要があるだろうか。
暗さや笑顔が少ないというのは部屋の明るさと
似たようなものだ。真夏の太陽光、蛍光灯の光、
カフェやバーの落ち着いた照明の光、ネオンの
異次元な光、田舎の満天の星空が見える真っ暗闇。
一人一人の明るさがいい。その時々によって違う
のもまた一興。無理にチューニングを上げることも
しなくていい。
自分の頑固さや執念に嫌気がさす。ただまっすぐに
頑張るのは好き。孤独は惨めだ。ただとんでもなく
美しい景色が見えることがある。物事は上手く
できている。
個人的な見解で今の時代は利便性、多様性は
拡大しつつある中で無い場所から生み出そうと
いう生命力は弱くなっている。色艶はいいが
どこか細っそりした野菜は沢山あるが、太陽の
匂いがして形は歪だが存在感のある美味い野菜は
減ってきている。それを食い止めようとする若者
たちがいる一方生きる力の出所を見出せない人々
も多いように思う。ルールに首を絞められて
息苦しい。情報化社会のデメリットは自由の制限だ。
情報が速く広まるということは言い方を変えれば
監視されているようなものだ。日本全体が村社会化
している。海外は個人主義なので、同じことは
起こらないのだろうか。国民性はそう簡単に変わる
ものだろうか。つまり情報化社会でもっと快適に
生きていくために個人の考え方を改革していくしか
ないのだろうか。歯痒い。昔のちょっとした無茶
苦茶がユーモアとして受け入れられていた時代が
懐かしい。いつまでも後ろを向いて時代のせいに
していたって仕方がない。この生きづらさを自分
たちの力で変えて行くより他にないのだから。
とはいえ人間は生きているだけで十分というのは
前述の通り。「おまけ」に不満を抱いているだけ。
メインの目的は既に達成しているのだと思い出し
つつ、照明とBGMを心地よい位置にチューニング
しつつ、日々変化する波に揉まれる映画の主人公を
一観客として、力を抜いて面白がるしかない。
そうですね。
私は今大学生ですが、日々過ごしていく中で悪いこと含めて色々考えさせられますね。
日本の社会もきっと生きにくいと思いますし、それに海外に行っても成功する人は一握りでしょうし。
毎日バカンス三昧、遊び感覚で留学して、自由にのほほんと生きていくほうが一番楽で楽しいだけなんでしょうが。
そもそも生きる、ということに意味を見いだせていないのが私という存在なので、どうしようもなくなったら貯めたお金でスイスまで行ったりして安楽死でもさせてもらえればいいかなーって思っています。日本で辛く生きていくぐらいなら気楽にギリギリのとこまでだけ頑張って、それから海外行って死にますね。生きる、っていうことだけの為に意味なく働いて生活苦しいの嫌ですから。
仕事頑張っても何らかの理由で鬱になったりして精神的に参るぐらいなら消えたいです。だから自分にとって大切なものなんて、いらないです。あったら死にたくなった時にすぐに死ねなくなるからです。