かわいい顔に生まれたかった。
常に思っているし、似たような悩みはネットの海にも数え切れないほど転がっている。
そしてそんな悩みには「美人でも幸せだとは限らない」「不美人でも並の美人よりモテる人もいる(モテと美醜に完全な相関はない)」とか「美人が愛されるとは限らない(から中身を磨け)」とかいう答えがついている。
その答え自体には全面同意だ。確かに幸せに美人は絶対に必要な条件ではないしモテも愛されるのも美人が絶対条件ではない。
でもどうしてわたしは「かわいく生まれたかった」と嘆いているのにわたしの願いがいつのまにか「幸せになりたい」だとか「モテたい、愛されたい」だとかにすり替えられているのだろうか。
わたしはかわいく生まれることには失敗したけどメイクとかファッションとか中身とか?できることは頑張って、幸せもまあ顔面の問題以外は手に入れたと言えるだろうしそこそこにはモテるし愛されたい人にちゃんと愛されている。
でもそれとこれとは別で、わたしはどうしてもかわいい顔が欲しい。お洒落が好きな故に、どれだけおしゃれをしても顔のせいで自分の思い描くおしゃれな姿がどうがんばっても完成しないことが残念で仕方がない。鏡見て絶望して泣く日もある。
本当にただ純粋に作品としての自分を完成させたいだけなのだ。幸せとかモテとか求めてない。愛されたい人に愛される充足感は正直手放し難くはあるが、それらと顔を天秤にかけても綺麗な顔、自分という作品の完成を1番に望む。
だから幸せとかモテとかと美醜は関係ないというのは全く見当違いな答えなの。