躁鬱か否かに関わらず、主さんが人付き合いが苦手なタイプなら、そんな感じにもなるかもしれません。
趣味や習い事は、学校や職場とは違うので、「皆で支え合わなきゃ」とか「雰囲気を盛り上げよう」「全員が楽しめるように」みたいな義務感というか、団結の意識は薄いものです。
スポーツならまだしも、ヨガやピラティスは個人ですからね。
日頃は職場仲間やママ友との人間関係に神経をすり減らしている分、休日の楽しみにまで余計な気を使いたくない、たまたま仲良くなれた人以外とは積極的に付き合いたくないって考える人は少なくないです。
そういう場では、暗いとか、無理して明るくして空回りとか、そんな第一印象を持たれてしまうと、挽回するのは難しいかと思います。
「障害者の世界で生きていくべきか」に関しては、趣味を続けるだけであるなら、そんなことないと思います。ちゃんとお月謝を払い、迷惑行為をしなければ、そこに通う権利は誰にでもあるはずです。
ただ、「支え合い労り合う」という環境が必要なら、同じ悩みを抱える障害者と共にいる方が満たされるとは思います。どうしたって当事者にしかわからない苦しみはあるから。
躁鬱でない人の何気ない言葉や疑問が、あなたを傷つけることもあるでしょうし。
また、躁鬱に限らず、精神疾患は体調や気分の波がありますよね。本人に悪意はないけど、その波が身近な人を困惑させたり、振り回してしまうこともあります。そう考えると、深いお付き合いをすることが必ずしもベストとは限らないんじゃないかな、と私は思います。
私自身、躁鬱、鬱、鬱を発症した発達障害と、何人かの知り合いがいますが、彼らが私に求めるものと、実際に私がしてあげられる範囲は違うなと感じることもよくあります。その場合、優先すべきはやっぱり私のキャパの方です。無理して合わせて私が倒れたら、私と相手と両方とも不幸だから。
相手の状態に振り回されない、距離を保った付き合いだからこそ、長く付き合いが出来ているんだと思います。
主さんが理想と思う関係と、実際に主さんに合う関係は、違うのかもしれません。
だから「周りの人が楽しんでいるようなスタイルの付き合いが、自分には出来ない」と悩む必要はなくて、あなたが気兼ねなく楽しめる距離感の人を探したらいいんじゃないかなと思います。