俺が人間不信になって抜け殻のようになっているとき、多くの人が手をさしのべてくれた。いや、おそらく彼らにその自覚はないだろう。ただ、俺と仲良くしてくれただけというか、なんというか。
俺はあまりに人間不信になってて、最初わけがわからなかった。こんな弱りきった人間と仲良くして、あなたたちに何か利益がありますか、って。
たぶん、それまでの人間関係が、相当おかしくなっていたのだと思う。なんか、役にたたなければ仲間でいられないっていうか、貢献したり、能力が高くて認められなければいけないみたいな、そういう人間関係の中にいたんだなって、気付いた。そして、色々あって、そういう人達と、いつしか疎遠になっていた。弱りきった俺は、そういう人達とはうまく付き合えなくなってしまったのかもね。
今俺の周囲にいる人達は、なんかその、仲間意識の価値観自体が違うわけ。抽象的でわかりにくいかもしれないけれど。俺が自分で言うのも恥ずかしいんだけど、たぶん、ただ単に俺と仲良くしたいから仲良くしてくれている。論理的な理由とか利益とか関係なく。もう大の大人だけど、小学生のときの友達みたいな感覚。とても懐かしい。でもその感覚がめっちゃ心地好い。
人の役に立つとか、大切なことだとは思う。自分の能力を磨いて仲間を引っ張っていくことも。
でも、それができないと切り離されてしまうような人間関係って、ちょっと違うというか。あまりに殺伐としているよね。ってか、それが本当の仲間といえるのかどうか。仲間が大切だから、助け合ったり役立ったりしたいのであって、役立つから仲間になりたいっていうのは本末転倒な感じがする。
もちろん人生って生易しくはないから、生きていると、仕事とか、社会生活の中で、そういう殺伐とした場面を生き抜かなければならないことも多いよね。成果を出さないと、あるいは組織に貢献できないと、厳しい立場に立たされることももちろんある。でもだからこそ、成果や能力や利益に左右されない、「ただ仲良くしたいから」一緒にいるだけの人間関係って、かけがえのなく大切なものなのだと思う。
まあとにかく、傷付いて弱りきって仲間(だと思っていた人達)から捨てられた俺は、今は新しい人間関係の中で、少しずつ立ち直っている。