友人が遊びに来た、何の関わりも今は無いのに。好きなゲームが偶一緒なだけ、嘗て部活が同じで盛り上がれただけ、同じ学校で少しの間仲が良い思い出を作れただけ、今は何の関わりも無い。強いて言えば来年漸く同じ成年に辿り着ける事だ。でも、理由にはならなかった。
不思議な想いだ。
もう切れると分かった縁に悲しみを覚えたけれど、随分世話になってしまって。予感がする、社会に出れば、歳を食えば、亡くなれば。「其の内」切れる予感が、悲しみを作った。
今年も死のうとした、だからこそ世話になった。数人に救いを求め、救われた。直接的な治癒は一切無いが其れでも少しは只の苦境乗り越えられる力に成った、青い悩みは殺す、生きようとしても青い悩みが殺しにかかる。懐かしい、ダムの底を見ていて飛び降りようと考えた事、ほんの二週間前だ。
何れ切れる縁を藁の如く頼り、温情に救われ何故死に難くなったかが不思議の理由。
本当は誰しも居なくなる、誰しもが僕から遠い所に居る。幻の様な存在なのに。だが今年は、新しく死ぬ方法を考えたり見つけたりしたのに、こんなにも救われてしまった。
正直死んで良いと思える程の軽さを失った気がする。僕は立派に、存在して居る。だから助けを呼んで、応えてくれた人に救われる事を味わえたのかもしれない。不思議過ぎる。
死んでも良い筈だったのに、死ぬ筈だったのに。過去の自分は未だ生きて居るが、きっと此の未来を目の当たりにして鼻で笑えただろうな。過去の自分の感情が今の自分を動かして居る、故に笑えたのだ。
此れを打つ今ですら考えてしまう、死にたいと。何時か死ねるだろうか、其れとも呪縛から逃れられる幸運の日が来るだろうか。何の期待も無い、諦めて居る。けれど世話になった事が確実に歯止めを利かせて僕を慰める。
精神の病は治らない、仕方が無いが其れ以上に精神の呪縛も質が悪くほぼ治らずに人生を傷付けて行く。
何時か死ねた時はきっと祝福を、何でも良い、死なせてくれれば人間の苦しみは蝕まなくなる。そして有難う、死に損ないの不適合と遊んでくれた皆。人生の一度切りで何故出会い縁を作れたのかは分からない、けれど世話になってしまった。有難う。本当は僕、誰の目も付かない所に行きたいんだ。本当はもっと一緒に遊びたかったんだ。
出来るならば、明るい未来を歩みたかった。最初から差を知らない世界にずっと一人で、其れか家族と共に暮らしたかった。
有難う、さようなら。