私が本当にもう無理だと感じたとき、”死にたい”ではなく、”死ぬべきだ”と思いました。
〜したい、に対してやらない理由は幾らでも作れます。
しかし、やらなくてはならない、という義務と感じたとき、、私にとっての義務とは、提出必須の課題と同じです、、なんであれ義務を実行に移す必要があると自然と思いました。
おそらく私は起きるかどうかわからない出来事に不安を感じ、存在するかどうかもわからない他人の視線に怯えて生涯を過ごすでしょう。
生きる理由はほぼありません。
ただ永らえているだけです。
でも救われたいです。
祈るだけでは救われないとわかっていますが。