白い着物と、長目の褌、前掛けのようなものでも良い。
それですっかり、日々の暮らしは変わってくるはずなのだ。
たくさんの本を読んでも、それが誰かの考えでしかないならば、そこから読み取れるものは、よほど運が良くなければ大したものでないようにも思う。
頭で考えることに限界があるかのように皆は言うのだけれど、それは積み上げることができなかった結果の声でしかないのではないか。そんなことを考えながら、ガムを噛んでいる。
誰か一人の言っていることは、誰か一人の考えでしかなくて、これまで多くの人々が少しずつ積み上げてきたものは、ずっとずっと奥が深くて役に立つもののように思う。
因果を全て明らかにすることは、今のままではとても無理なように思うけれど、そのために努力することには、大きな思いと意味があったように思う。
そして、わかったかのような因果は往々にして簡単に崩れ去ってしまうものなのだが、そこから得られる新しい事実と経験は、その本当の因果、真理へとつながっていくための鍵となる。
道は一つではなく、また鍵も一つではない。そうやって開く扉も、また一つではない。
未来への切符は、いつだって白紙。
今まで切ってきた切符は、その真っ白な切符に書き込むためのペンになる。
もし、ペンがなければ?
拾えばいい。
落ちていなくても、借りればいい。
書いてもらってもいい。
書き方がわからなければ、教えてもらえばいい。
教えてもらわなくても、何かを書けばいい。
書けなければ、描いてもいい。
描けなければ、塗ってもいい。
そしてもちろん、白紙のままでもいい。
雨が降りそうだ。
土の匂いを確かめに行く前に、この小瓶を流しておこう。
まだまだ、垂れ流したいことがあるのだけれど、今日は、このくらいにして。