あのね、薄々わかった事なんだけど 相手に敵意がないから必ず安全 ではないみたい。
たとえ害意が無かったとしても言葉は刃物みたいに突き刺さることも稀にあって、無意識のそれに切られると結構 苦しかったり。
わたし 誰かを傷つけていないか不安。
相手の言葉で悲しくなったこと あるから。
大きくても小さくても、そういう事が積み重なっていくと、全部放り出して 誰もいないところへ逃げたいってぼんやり考えてて。
実際、気付いたら全然知らない所まで歩いてたり。
それで迷いながら何とか家に帰った。
玄関に着く頃にはとっくに日が沈んでいて。
それで何度か お母さんに叱られちゃったっけ。
みんなの頭の中、何を考えているのか なんとなくでも解ればいいのにな。
それこそ国語の教科書の物語みたいに、ひとの心情がわかりやすかったなら。
小学生の道徳の授業みたいに思いやりと優しさの溢れる世界なら。
そうしたら、もう少し幸せに生きていけたかも なんて。五体満足、食物アレルギーなし、環境は恵まれているけど。欲深い?貪欲すぎた??
みんなの願いは同時には叶わない。
言葉は刃物にも、励ます薬にもなる。
どこかで聞いた言葉だけど、本当にそうだと思う。
でも本音は、誰かを傷つかせる刃物になんてならない、誰かを救うあたたかいものであってほしい。
夢みすぎたかな。
最近こちらに書かれている事と同じような事が起きて、
本当に悪気がない事って、こちらはひどく傷ついていても、表現しにくかったり、
気にし過ぎとか、色々言われたり、相談してもまた傷ついたりして、
ただ、こちらが傷ついたりする事や、怒りが起こったり、そうゆう反応になる事も、
悪気はないんだよって、
それで傷ついてしまう(もしくはかつて傷ついた)時にすでに辛いから、
自分に少しでも優しくできたらいいなぁって、
私もこうゆう時、なん駅もなん駅も歩いて遠くに行くのですが、
今回はそれも出来なくて自暴自棄になって伏せってしまいました。
こうゆう想いにならない人には、きっと悪気ないからで、済むからいいですよね。
それならこちらも気遣いとか、いらないのかもしれません。
きっと、本当に人が何に傷つくとか、ちゃんと話をしても、体験とはちがうから、わからないのかもしれない。
自分の為に、伝えるのは大事かもしれないけど。