1968年 フランス五月革命で
日本の歌にもなった(「フランシーヌの場合は」)抗議について
ベトナム戦争とビアフラ(ナイジェリア南東1970年まで存続した国)の
飢餓問題に抗議をし、パリで焼身自殺をした実在の女学生がいます。
現在日本の誰も口ずさむことのないこの抗議で、最も苦しい死の一つ
焼身自殺を選んだ彼女は一体その命で何を示したかったのか。
彼女の焼身自殺の抗議は今も昔も効果はなかった。
今ではほぼ誰の記憶にも蘇ることのない少女の強い訴えを
私は言葉で、文字で、生きている限り、知りたかった。
彼女の命をかけた抗議は一体どんな意味の反対を
示すために行われたのか知りたいと思います。