最近、先が見えなくて、やる気も出なくて、
目的を見失って、愚痴ばかりが増えるように
なった。次の所へ行きたい。この負のループ
から抜け出したいと思っていた。もう一段
上からこの状況を見てみると、あるものが
見える。仏教に無明の闇と弥陀の本願という
のがある。無明の闇は、日常で思い通りに
ならなくて悩んでいることや不安などでは
なくて、後生どうなるか分からない暗い心
のこと。例えると飛行機に乗っていて、食事
が不味かったり、隣の席の乗客が不潔で独り言
を呟いているなどの不満は、エンジンが故障
して着地する場所もなく、墜落の危機にある
時には瞬時に消え去ってしまうくらいの差が
ある。前者は煩悩という。私たちが苦しんでいる
本当の原因は煩悩ではなく、無明の闇である。
それを照らす光が弥陀の本願力であると教えて
いる。つまり、煩悩に取り憑かれていることに
気付かない愚かな私、同じ悩みの暗闇を延々と
歩き続け、靄がかかり、暗雲が立ち込めている
私を太陽のように降り注ぐ光が常にあったこと。
光があるから薄暗い雲がはっきりと見える。
煩悩が見えるということはそれを照らす光が
働いている。常に光に導かれている。喜びである。