昔から承認欲求が異常に強かった。
大切にされても、愛された記憶はないという割とありきたりなやつだ。
当然、他人との人間関係は子供の頃からずっと上手くいかなかった。
与える喜びを知らない自分に損得勘定以外のベースは存在しなかった。
仕事のようにある程度の定型が存在する人間関係は上手く事が運べても
定型が存在しないプライベートの人間関係はいつだって散々だった。
今思えばそんな矮小な承認欲求のせいで傷つけた人もいたと思う。
普通、当たり前という価値観が欲しかっただけで、誰のことも好きじゃなかった。
自分のことも好きではなかった。
結局、仕事にのめり込んだ。
努力の結果が見える形で還ってくる感覚は一種の麻薬のようだった。
結果として、その先に待ち構えていたのは燃え尽きだった。
気付いたら全てが空っぽで、全てを虚しく感じる人間になっていた。
崩れるのも無くなるのも一瞬ならば、何のために頑張ればいいのか。
無理して頑張って手に入れたら、今度は無くさないように頑張らないといけない。
自分を受け入れてくれない他者への憎しみもいつしか無くなった。
自分に人を愛する感情がない限り、愛される人間になれないことを分かったから。
気付けば、他者を羨む気持ちも徐々に少なくなっていく。
もう何の生きがいも生きたい理由も自分の中に存在しない。
仕事にも、プライベートにも自分の居場所も価値も存在しない。
だから、あと10年、20年生きると考えるだけで背筋が凍りそうになる。
どこで間違えたのか、何がいけなかったのか、今更考えても意味はない。
明日を変えるには歳を取りすぎた。
今さら、人を愛せるとも、愛されるとも思えない。
今はただ、一日でも早く死が自分に訪れるのを願うだけだ。