どうせ最後はしぬのにさ
頑張って生きる意味はあるのだろうか
頑張ったって、その先にはどうやったって死があるのに
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ななしさん
どうせ死ぬなら尚更、幸せな方がオトクじゃない?
同じ50年与えられたとして、50年笑いっぱなしか泣きっぱなしかで、幸福度の違いは明らかだよね。
仮に神様が10年しか寿命をくれないなら、その10年に100年分の幸せが詰め込まれていないと絶対に不公平。
それに、死んでその人全部が無くなるわけじゃない。
子供が生まれていたら子孫が残るし。
大きな仕事をしたら功績が残るし。
毎朝近所の掃き掃除していたら、「あそこのおばあちゃんはいい人だったね」とご近所さんの記憶に残る。
私が働いていた店に常連のおじいちゃんがいたのだけど、その方は生粋の大工さんで、国宝の寺社の修復に参加したくらいの凄い人。それが人生の自慢で、機嫌よく繰り返して話してくれた。だから私は今でもその寺社関連のニュースやお祭り情報を聞くとそのおじいちゃんを思い出す。一緒に働いていた子達もきっとそうだと思う。
もうお年で亡くなっているだろうけど、主さんは、このおじいちゃんの人生に意味がなかったと思う?
私は、死ぬって一種の許しだと思う。
生まれるのは強制だよね。全ての人間が自分の意思に関係なく「生まれさせられる」。
だからこそ、死ぬのは自由。事故や事件に合わなくても人間は自分で死ねる。悪いことや取り返しのつかないことをした人も、死ぬことで謝らないまま逃げることが出来る。誰もが持っている、全てから解放される為の切り札。
ただ私は、個人的には「死んでいいよ。逃げていいよ」て許されての死は嫌だと思う。何もしなかったことをいいよいいよと許されて死ぬのは、完全に負け犬みたいな気がするから。
強制的に生まれさせられた、いわば押し付けられた人生をうまく使いこなして楽しめた方が単純にカッコいいと思うから、出来るだけ楽しんで生きたいと思う。どうせ死ぬならね。
これはもう昔からずっとずっと人が抱えている疑問です。
死ぬことと生きることはセットになっている様です。そして死は完結で終わりではない様です。私もあなたもその身体という器は無くなりますが、あなたそのものはずっと在るという考え方があります。それを魂と呼ぶのかは色々ですが。
あなたの意識がずっと在るというより、今生でそれを単に体験しに来たというらしい。
ああ、もうこの辺からやばい感じですね、きっと。
何が本当かは知りません。
誰も自分の生きてある理由はわかりません。
でも時々それでも漏れ聞こえてくる「意識」があるように私には思えて仕方ないのです。
でもそれを採用するかしないかも主さんが決めていいんだと思います。
一回きりしか咲かないから意味がないのでしょうか?
それを見ている人がいないと、山の中で咲いて散る桜には意味がないのかな?
その桜がそこに在るという意味は、あるのではないでしょうか。
うん、8年くらい前
私もそれ、ぐるぐるに考えていて
3年くらい、毎日そればっかり思って
毎日、お母さんに電話して
その話ばかりしていた。
(す・・すまん)←お母さんへ。
で、どこかのタイミングで
何かにきづいて
あー
って、
色々色々きて、今がある。
きっと、なんかに気づくさ。
(それがなんなのかは、人それぞれだから
テキトーなことは言わないけどね)
ただ、小瓶の内容、自分の中で
向き合ってるからこその、苦悩(?)かなっと。
それ自体は、私は、
意味があると思いました。
インスタントに、誰か教えて〜〜
じゃ、ないからさっ。
私もそう思います。
頑張ったって、どうせみんな死にます。
だから頑張るのもう嫌です、やめようかなとも思います。
好きなことたくさんして死ぬのと
つらいことばっかして死ぬのと
どうせ死ぬんなら好きなことしときたいですね。
それがなかなか難しいのかもしれないですけどね
ななしさん
死ぬために生きるんじゃないの なんかむじゅんしてるけどそうやってわたしはじさつをやめる
ななしさん
同じ死ぬなら精一杯生きたい
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