だれかを励ます余裕など無い時に限って
電話がかかって来たりする。
私もカオス中で
なんでしょうか、ここ一週間くらい
グダグダで
とてもまともな心理状態ではありません。
それでも、
ああ、そうなんだ・・と
グダグダなまま暮らしているのが
ほんとのとこです。
自分を責めることの方が
手慣れているので、
エサを探し、理由を探し
ムチを振るい泣かせます。
泣いて初めて、自分が自分にムチを振るっていたことに気づきます。
俯瞰の力がないのだなぁと
わが事だと、この体たらく。
今日、電車に乗っていて、
恐らく、限界だったのだと思います。
俯瞰で自分を見ていました。
さながら、プロレスの、リングサイドから
選手を見る視点です。
主観がなければ、この小瓶だって書けないから
無しになることは、ありえないけど
それでも
主観オンリーだと、感情にもってかれて
帰って来れないことが多いのですが
俯瞰だと、なんか、アレです、ドライです。
どっちも、あった方がいいらしいです、
寄りと引き。
そんな状態で、人の相談を受けていました。
だから、出来る範囲のことしか出来なかったけどね。
タイミング的に、
自分と課題が同じ人が多いです。
彼女の場合は、人の目、世間体、みじめで
カッコわるい自分に耐えられないとのこと。
そして、そんな自分を、だれかに見つけて欲しかったそうです。
そのだれか、は
「おまえさんだよ!」と
普通に返しましたが。
お互い、苦手なことが似ています。
一歩ずつ、行きつ戻りつしながら
ホントの自分に還れるといいね。
おわりーー☆
俯瞰的って何だろうって思うんだ。
冷静?、客観的?、事務的?、冷酷?、無感情?
多分、主観をベースに全ての現実を受け入れる潔さなんだろうと思うのです。
俯瞰的になればなる程、感情が高ぶるのでは無いですかね。
私の知人に、国境なき医師団の医師や、戦場ジャーナリストが居ます。
私以上に俯瞰的で、冷静沈着な人達です。
でも、死んで行く人達を目の前にして、自分の非力さに、感情的になって話します。
自分の主観や心情や理想を超えたら、俯瞰的になれるのではと思います。
主観は俯瞰とは反するものでは無く、主観の延長上の境界を超えた所が俯瞰なのかなって思うんです。
泣いて笑って、怒って悲しんで、苦しくなったその先に、俯瞰的に残酷な全てを受け入れられる自分が居るんじゃないかな?
感情的な人は魅力的だし、俯瞰的な人は尊敬できる。
僕は、その狭間で苦しみ藻掻く人が人間らしくて大好きです。
落ち込んじゃ駄目、自分を責めたら駄目ですよ。
人はそんな生き物なんだと思うから。