『いいな』の話 他人をいいなと思うこと
私は、『いいな』って、他人に対して思ったことがあまりない。
『素敵だな』と思うことはあっても、『いいな』と思うことはない。
『いいな』
の
『いい』
の
逆は
『悪い』
その『わるいな』の矛先が向くのは、
自分がもちあわせてる、
過去、状況、環境、縁。
私は、そう思うんだ。
私が他人を『いいな』、と思った1度の機会について、少し話してみようと思う。
それは、高校1年の夏、手術のとき
私は背骨が曲がり、腰などに痛みをもたらす側湾症という病気であった。
中学の頃は、ずっとコルセットを付けて学校に行っていた。
高校の初めも、そうだったかな。あまり覚えていない。
そして、10時間くらいに及ぶ手術をした
そのあと、3日間は本当に歩くことができなかった。
今までどうやって歩いていたのかも忘れるくらい、どこに力を入れたらいいのかわからなかった。
その頃ちょうど部活の初めての合宿で、自分以外の部員は川を、高原を、走り回っているだろう
病気もなく健康で、美味しい空気を吸って楽しんでいるんだろう
吐き気がするほど、『いいな』と思った。
病気がなくて『いいな』、
歩けて『いいな』、
合宿に行けて『いいな』
自分の持つ病気を、
こんな風に産んだ親を、
歩けない足を、
時間のかかる手術を、
こんな白しかない部屋を
恨んで恨んで恨んで恨んで恨んで、
出た
心からの『いいな』だった。
どこにぶつけたらいいのかわからなかった
自分の望むものは誰にだって変えられない
でも、今から病気であった過去が変えられないから、『いいな』を止める術がない
痛みの中で、そんなことを思っていた。
止まらなかった
そんな『いいな』ははち切れんばかりになって
泊まりで看病してくれていた母にぶつけてしまった。
幼かった私は、制御できなかったのだろう
自分でも信じられないくらいどうしようもないことを、母に向かって叫んだ
どうしてこんな体で産んだんだ、
どうして私がこんなことしなくちゃならないんだ
ないて叫んで頭痛がして、
私はその言葉を受け止めた母の顔が、歪んだように見えて…
(それ以降、思い出せない)
その経験から、『いいな』は怖いな、とおもった。(んだろう)
どうしようもないものを、望んで
変えられないものを、恨んで
結局、なにもないむなしさがひどく心をよぎるんだ
『いいな』は心を暗くする
なぜなら、反対の『悪いな』が、自分に刺さるから
それから私は、(『いいな』を拒絶して)『すごいな』や、『素敵だ』、『綺麗だ』
を使うことにした。
(意識したわけじゃない。今思えば、それが私の元なのかな?)
これらの言葉は、反対の棘が自分自身に刺さらない
そして、その事象だけを捉えて、かつ自分の感じることを表現できる、魔法の言葉
この魔法の言葉たちは、私の心を前向きにさせるものだった。
『すごいな』と思うから、『わたしも』と思うことができるし
『素敵だ』と思うから、そのものを大切にすることができる
『綺麗だ』は、世界を輝かせることができるんだ
そしてわたしの『直感』というものは、
きっとこの魔法の言葉を持ちうるものに反応するんだなあとおもった。
素敵だからわたしが気づくのか、
わたしが気づいたから素敵になったのか
そんなことは別にどっちでもよかった。
そして、それは縁で結ばれているのではないかな、と思うんだ
その縁を、一つ一つ繋いで。
そうして自分になっていく
そうだね。良いなと思う事は良い人達に恵まれている人かな。
人間関係がなかなか上手くいかない事が多かったから人を信用出来ないんだよ。
好いてくれる人達はいるはいるんだけど
そんな人の事さえ信用出来ずに疑り深くなってしまうから辛いなと。
信じたい気持ちはあるんだけど、もう信じる行為が面倒に感じてしまうし、人なんてやっぱり信用出来ないって再確認しなきゃいけないのも嫌なんだ。好いてくれていた人よ、ごめんなさい。けどやっぱり地球が反転しない限り信じる事は無理そうです。こんな面倒な奴を好きになってくれてありがとうございました。そして自分があなた方といても気を使わせてしまうハメになり自分の元からはいずれあなた方は消え去ると思うので関わろうとしないで下さい。自己完結みたいな思考ですみません。でももう嫌だから殻に籠らせて下さい。こっちの方が私にはお似合いですから。