子どもの頃に、一番仲の良かった友達に妬みをもっていました。
話される自慢のような話に、私は、羨ましい気持ちをもっていました。
家庭の事情というものは、それぞれではあると思います。
だから、うちはうちなんだと飲み込んでいました。
隠して隠して、私は優しいコになりました。
友達は自慢のつもりではなかったでしょう。ただ、あったことを話すだけ。
私も連れてってくれたりしました。私の親の代わりに、一緒に連れてってくれたりしました。
でも、私は、醜い奴だったようです。
これまで必死に良い子を演じてきました。
親に対しても、友達に対してもです。
自分がされたら嫌なことを、人にしては駄目だと教えて聞かされた子どもは多いのではないでしょうか。それが一般的ではないでしょうか。それともこれは私特喩の価値観になってしまったのでしょうか。
何故だか、自慢のように聞こえる話しを人にしたくありません。
絶対、相手は少なからず羨ましいと思うと感じているからです。
自分のことを話すのも苦手です。
自信がなくて、人に見下されるかも知れないという不安、自分を庇護してるだけだと思います。弱い自分を見せたくないんだと分かっています。でも今までずっと隠して生きてきたから、だしかたが分からなくなったしまったんです。
自分を守るために、強くみせようとして威張る人。怒る人。だれだって、否定されたくないんだろうと私は思います。
私は、自分がないんです。
相手の人の気持ちを察するのは、上手いほうだと思います。自分とまったく同じ人はいないんだから、人と自分は違う、ということも分かっています。
優しさというのは、自分を削るのが本当の優しさではないと以前どこかで聞きました。
私は、人に合わせるのが優しさで、生きていくコツで、人に嫌われずに済む方法だと思って生きてきました。
けど、それだけだと、自分というものがないようです。空っぽで、それがなんだか虚しくて淋しい。泣きたくなる、
いっそ、ずっと人に合わせるのが私の生き甲斐になってくれればいいのに、そうはいかないようです。
中途半端に野放しにされたから、私は自分を守ることしか考えられなくなってしまった。
自己防衛は大事でないですか?
優先的に、自分を守る方向にきてしまったんですよ。
自由を夢見ていました。
けれど、実際に一人で暮らしてみても
その自由とやらは、私の心に留まってくれません。
泣きたくなります。
甘えてるのは重々承知しています。
誰か、連れ出してくれないかと願っても、時分で動かなければ駄目だとも分かっています。
けれど、守られているという安心感からは、抜け出せなくて、
考えすぎでしょう。守られ、監視されながら自由に動き回れることもできますからね。
当たり前は分かっています。わかっているんです。あたまでは分かっています。分かってはいるんです。
でも、人に合うのも話すのも連絡を返すのも億劫になってしまった。
自分が分からなくなったようです。
素直になりたい。
見栄っぱりをやめたい。
けど、私はそもそもドライな性格だと思ってて
一人でも平気だと思ってて
ふくざつに考えすぎ?
けどけど、って言い訳が多過ぎ?
そうです。きっとそうなんです。
変に物わかりがいいんだと思います。
それとも、思い込み?私の思い込みすぎでしょうか。
平均ラインと比べてしまうのをやめたいとは思いますけどね。
自分のことを話せば、自分のなけなしの一部が、相手に吸収されてしまうという考え方もしています。
相手は凄いのに、もっと凄くなってしまう。
そういう風にも考えてしまいます。
自分のことを話したくない理由はいっぱいあるんですよ。
守りたいだけだと思います。けど、
それだとひねくれてて、自分が嫌いなんです。
受け入れたいものです。
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ななしさん
人と関わりすぎるとわけわかんなくなっちゃいますよね。
わたしも自分がないんです。
ななしさん
ひゃー、長くなってしまった!
読み流してくださーい
あぁ~、まるで私みたい、って、思いました。
私も、元親友に嫉妬のような感情を長い間、持ってしまってた。
本音で付き合えない関係は、相手にも失礼だしお互いのためにならないと思って、連絡とるのをやめた。
相手を傷つけたかもしれないけれど、これが相手への自分なりの誠意だと思って、貫いた。
私も、いろいろ頭ではわかってるんだけど「ばかにされたくない」って思いが
どうしても根深くて、動けなくって、
じわじわ、苦しかった。
その苦しさが極まって、
とにかく「その場所、状況」から、
ムリヤリにでも、物理的に離れる計画をした。
そして実際に行動し始めたとたん、
意外な外からの働きかけがあったりして、おもしろい展開になったりして戸惑っている最中。
苦しい時は、もがくのを味わったり学んだりする時期で、
「その苦しさが極まって逆に動きたくなる」時を待つのも、ひとつの手かもしれない、と思いました。
あなたの中身をここでさらけ出してくれたおかげで、
私は
「あぁ~、仲間がいるなぁ」って思えたり、自分を少し客観的に見れる機会をもらえた。
あなた、全然空っぽなんかじゃない。
濃密すぎて、混乱してるだけかもしれない。
様々な人に合わせられる(共感できる)ってことは、
すごいことなんだよ。
その要素が、自分にすべてあるってこと。
自分の中になければ、合わせることすらできないもの。
何かを「持ってる」ことが魅力と思いがちだけれど、
「自分は何も持ってない。でも元気に生きてるよ」
って発信することが、どれだけ多くの人を勇気づけるか。
私は、様々なそういう人達に、たくさんの勇気をもらってきた。
「持ってないこと」をばかにする人は、不安なのかもしれない。
自慢できる肩書き、地位、お金、人間関係がないと安心できなくて「そのままの自分じゃダメだ」って思いこんでるのかもしれない。
だから、堂々と「何もないよ!」って生きてる人を見ると、認めたくなくて、嫉妬して、否定してしまうのかもしれない。
何も持たない私は、
そういう「持つことでの安心」を求める不安な人達に、
「本当は、何もなくても大丈夫なんだよ」
って伝えられるかもしれない。
まだ実験中で、いろいろ感じたり思ったりしてて、結論は何も言えないけれど。
今のところわかったことは、
弱さをさらけ出すと、
人って、愛されたり、やさしくされたり、いたわられたりしちゃうみたい。
きっとみんな、戦いたくなんてないんだよね。
ただ、のんびり平和に、暮らしてたいだけななんだよね
敵じゃないよって伝えれば、みんな、安心してくれる。
まず、自分が、戦うのをやめる。
日々いろんなことを感じながら、私も今、練習中です。
生きるって、おもしろいよね。
「空っぽ」って、別の言い方をすると
たくさんのいろんなものを自由に受け入れられる
大きな大きな器ってことだと思いました。
共感しました。
それでも君には時間という財産がある。
年取ってから一人遅れていると皆先を
行っているので辛いものがありますが
自分を受け入れることが出来たら変わ
って来るものがあります。
昔できなかったのに今は簡単に出来る
ことを探しましょう。
人が出来ていることでも簡単なことで
も構いません。
あまり人に遅れを取っていないことに
気づかれると思います。
半分でいいから自分を許して受け入れましょう。
大丈夫。早く取り掛かるほど得るものは
大きくなります。
あなたは早く受け取るのです。
頑張りましょう。
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