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そこで「やめようよ」なんて言うのは、卑怯。

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 もしも自分の親が、
兄弟が、友達が、

リストカットをしていたとしたら。

ある時、それを知ってしまったとしたら。

きっと心がぎゅっと締め付けられて。苦しくて、辛くなると思う。

でも、そこで
「やめようよ」
なんて言うのは、

卑怯。


その言葉は、自分がその苦しみから逃れようとしている言葉だから。

苦しんでる人を目の前に、自分だけ楽をしようとしてる言葉だから。


なにをしたらいいのかわからない時は、

まずは黙って一緒に苦しんでみて。




雄兎

名前のない小瓶
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名前のない小瓶

自傷行為をする人に、それを止めるよう言うのは、いけないんだって。
医者が言ってた。
まずは、その原因を解決しないとね。

ななしさん

自分のためだけじゃないと思います
やめようよって言葉は心配だからこそ言うときもあると知ってください

ななしさん

逆にリストカットする人は大切な人を苦しめて無いんですか?

自分だけ死ねば良いんですか?

残された人はどうなるんですか?

苦しみは味わえば力を増します
苦しみは考えれば考える程大きくなります

自分に出来ない事を押し付けられているんですか?

苦しんでいる原因は何ですか?

親だから、しっかりする
責任感でしてもらう愛情がありますか?

しっかりしてなくても子供を愛してれば立派な親なんじゃないですか?

ななしさん

私はその人に傷ついて欲しくないから「やめようよ」と言うと思います。
その傷を見て一番傷つくのも、カッターの刃が入った時痛いのも、その人なんだから。
ただ「やめようよ」って言うだけじゃなくて「やめて欲しい」と伝えて、一緒に苦しんで、一緒に進めるといいと思いました^^*

苦しいのは当たり前だよね。
でも一番辛いのはその人だから。
その人のことを理解したいと思います。
紗椰

ななしさん

<font color=#ff0000>投稿者さんからお返事きたよ</font><br>
投稿者です。
様々なご意見がいただけて、とても嬉しいです。



「やめようよ」
という言葉が間違っているとは思いません。

相手のことを考える優しさからくる言葉であることは十分承知しております。

しかし、やめたくてもやめれない人に
「やめようよ」
というのは、場合によってはその人を更に追い込んでしまう可能性があるのではないでしょうか?

相手の気持ちを考えるより先に自分の気持ちだけを押し付けるのは、相手のことを思っているという優しさに包み隠した、自分のエゴに思えます。
言って楽になるのは自分だけかもしれません。


傷付いてほしくないからこそ、まずは相手の気持ちを知るべきです。考えるべきだと、思います。


生きたいのか。
死にたいのか。
とめて欲しいのか。
ただ側に居てほしいのか。


考えたうえで、
その人が望むことを知ったうえで、
「やめて欲しい」
という自分の気持ちをゆっくり伝えても、遅くはないのではないでしょうか。


心配している、という言葉だけが必ずしも人の心を癒やすとは限りません。




雄兎

ななしさん

カッターからの一方的な意見にしか見えません


じゃあ、そのことを知った親は?友人は?恋人は?


カッター同様、傷付くんですよ


手探りながらで見付けた言葉が「やめようよ」だっただけでしょう


そこで「勝手にすれば」と見放されたら見放されたで傷付いて、あーだこーだと言いますよね、大概のカッターさんは


じゃあ、どうしろと言うんですか?


黙ってみてろと?
大切な人が傷付いてるのを見てろと言うんですか?


貴方は罪悪感は生まれないの?

ななしさん

 決めるのはリストカットをしている人自身で、その人を助けたいと思ったら止めてほしい、と声をかけるしかありません。
でも雄兎さんの言う通り、切りたくなくても切ってしまうその人を追い込む結果になりかねないと思います。
リスカをやめられない罪悪感がまた自己嫌悪を呼び、そしてまたリスカしてしまう悪循環があるのだとしたら、その罪悪感から逃れさせるのも手かもしれませんよね。

或実

ななしさん

確かに、「やめようよ」と言うだけならば卑怯だけれど、
でも少なくとも「やめて」と言うのは、
その人に対して“救いたい”という情があるからですよね。
“救いたい”と思いもしないような相手なら、
勝手に切ってて、って放っておくものですし。
少しは情があったとしても、その先、自分ではどうしようもできないと引いてしまえば、
「切るのを止めて」という言葉は出てきません。
その先をどうにかしたい、そういう人からまず出てくる言葉が
「切るのを止めて」なワケで。
切ってる人だって、根本は止めたいワケじゃないですか。

どうにかしたいから「やめて」とアクションを起こしたけれど、問題が深すぎて、多樣過ぎて、結局は救えないって事も多いのが現状で。
するとカッターは、「結局救えないくせに。だったら切るな、なんて簡単に言わないで!」と、情を突っぱねてしまいますよね。
だからって、それを“卑怯”と言ってしまうのは、それこそ情が無いように思えます。
36歳主婦..

ななしさん

<font color=#ff0000>投稿者さんからお返事きたよ</font><br>

確かに、“卑怯”という言葉は無神経でした…。
みなさんそれぞれの考えや想いがあるのに、それを否定するような軽率な発言をしてしまって、ごめんなさい。


ちなみに、
もしかしたら誤解を与えてしまっていたかもしれませんが、私はカッターではありません。
(カッターという言葉はどこか差別的なものに聞こえるのであまり好きではないのですが)

私がリストカットについて考えている理由は、友人にリストカットをしている人がいるためです。

彼女は一見普通です。
死にたがっているわけでもなく、本当に至って普通に人生を楽しんでいます。
しかし「どうしても切ってしまう」のだと彼女は言います。


リストカットをしている人は別に、“周囲の人が悲しむ”ということをまったく考えていないわけではないと思います。
もちろんそういう人がいないとは言えませんが、
多くの人は“周囲の人を悲しませている”ということを、もう十分理解していると思うのです。

理解はしているのにやめられない。
大切な人を悲しませたくないのにやめられない。
だからこそ苦しんでいるのではないでしょうか?


正直な気持ちを言えば私も、「出来ることなら今すぐにでもやめて欲しい」と思っています。
本当に大切な人が自分の手首を切っているとわかっていて、辛くない人がいるわけないですよね。

しかし「やめて欲しい」というのは“私の気持ち”です。
彼女のことを想っての言葉には違いありませんが、
“彼女の意見を含んでいる言葉”ではありません。

「悲しませたくない」と思って頑張っている人に
「悲しいからやめて」と伝えるのは、火に油を注ぐ行為だと思います。
その人のことを心配していう言葉であるからこそ、それは逆にその人の心に更なる苦しみと焦りを生み出してしまいます。


だから私は彼女に対して、今も昔も何も言っていません。
見放しているわけではないのです。

普通にしゃべって普通に遊んで、他の誰ともなんら変わらない、普通の友達としてそばにいます。
ゆっくりでいいから、一緒に歩いて行こうと考えています。

それが正しいがどうかはわかりませんが、彼女も昔に比べれば、切る回数は少なくなってきているそうです。



もちろん、これは私と彼女の場合であり、やはり考え方は人それぞれです。
特にこういった問題には、答えというものは誰にもわからないと思うのです。

根本の部分の自分の意見は変わりませんが、考え方はひとつに限らないということを、みなさんのご意見を読んで思い出すことができました。





雄兎

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