美意識ってあれって他人に植え付けられてるものですよね?
他人にキモイって言われたり、テレビの美容に関する煽りとかを受けて 「美しくなければならない」っていう強迫観念に憑かれてしまってるんですよ。
元々の自分の価値観に「美しくなりたい」というのがあれば別だけど、
他者の否定的な感情に触れて何か自分はダメだと思い込んで、美というものを優先してしまってる人は自身の価値観をねじ曲げてないですか?
他に優先したいものがあるならそれを優先するべきだと思いますね。
なぜなら人の価値観というのは変わらないからです。
無理に価値観を変えようとしても必ずしがらみが発生して、そこにとらわれますから。
美意識だけではなくてこれは全ての価値観において言えることです。
他人の影響というのは大きいけど、そこに呑まれないことこそが大事とも言える。
…うーん、悪いけどちょっと勝手に解釈した現状では賛同しかねるところがあるかな。議論みたいになってしまうこと、予め申し訳ありません。
自分を優先しすぎるって事は、客観性を欠いたり変に意固地になる可能性にも繋がると思うんだけど、そこは強迫観念に囚われた人の中の、自身の価値観を捻じ曲げすぎてる人向けって事なのかな。
主さんは価値観という言葉で表されたけど、確かにそういう何か変わらないものはあるよね。
ただ「そこ」が変わらなくても、その周りに付随した視野やものの見方はいくらでも変えられると思うから、主さんも似たような事を言いたいのかもしれないけど、呑まれたとしても自分がその中でどうしたいのかがある、って事が大事かなと思いました。
影響について少しながら考えた事があったのですが、今更ながら考えても、影響を受けないというのはかなり難しいんじゃないかと袋小路になっています。
難癖つけたい訳ではないのですが、自分の価値観というものはどうして出来上がっていくのかを考えると、他人の価値観抜きでは語れないような気がします。
無知ながら口を出させて頂くと、自分の価値観の形成における中での他からの影響という見方をすれば、いい悪いの結果はありますかね。
多分ですが、その形成がある程度出来るまでの間は、呑まれるというか、他人の価値観を受け入れ続ける事になるのではないでしょうか。
なので、あああ、反論みたいになってしまいますが、主さんの小瓶で伝えたい事があるように、誰かの価値観に触れまくる事で解かれる価値観のねじ曲げもあると思います。(呑まれない事も場合に応じて大事だと思う)
というか、呑まれて揺れた経験があるからこそ、後々になって呑まれない事が大事だと思えてくる面もあるんじゃないのかなーと。