都会に住んでる人は、すぐ人を切り捨てることができる。
別に、都会の人が冷たいとかじゃなくて。切り捨てても、代わりが探せるからだ。
田舎に住んでると、たいして話が合わなくても、「明日も遊ぼう」ってなる。他に相手がいないから。
そんな風に一緒にいるうちに、愛着が芽生えたり、浅い関係では見えてこなかった相手と自分の共通点が見えてきたりする。
だから、私のようなつまらない人間にも、友達というものがいたりした。
都会に越してきてから、自分の魅力のなさを日に日に実感する。
「はじめまして」から何度か接しているうち、私への興味が薄れていくのがわかる。
都会には、もっと話の合う人、もっと面白い人、もっとかわいい人、がいくらでもいるのだから、私なんかと話している時間はないのだ。
そんな都会にも私と話したがる人間はいる。
1人でいることがなにより怖い人だ。
「私と話したがる」と言ったが、私個人と話したいわけではなく、相手は誰でもいい。そんな人だ。
私はだいたい1人だから、そんな人にとって都合がよく、擦り寄られる。
ちなみに、「いつも話している人がおらず、暇なため、私に話しかける人」と「1人でいることがなにより怖い人」の違いは、話していてなんとなくわかるよ。
前者は「私個人」として見てくれているなって感じる。後者は「だれか」。
とにかく、なにが言いたいかと言うと、私には友達がいないってことだ。
ふっふっふ、ならば文面からはわかるかな?
俺は、一体どっちなのか!?どっちなんだ!?
たぶん誰でもいいけどヒマな人だぞ〜。
でも、かなり前は(園児あたりがもっとも顕著かも)一人でいることが怖くて誰彼構わずだったけどな。
名残のようなものはある気がするので、どっちとも言えないかもしれん。
って、答え言っちゃったぜ。
都会に行ったことはあるけどどうにもわからんかったな、そういうこと。
でもまあ、知ったかぶりだけど、いろんな人と会う中で心を擦り切らしたら、もしくは物凄い人の波にのまれたら、いやでも麻痺したようになるんじゃない?
都会暮らしのみんながみんな、切り捨てても変わりを探せる心構えだとは言ってないだろうけど、嫌味な言い方、そういう消耗からの連鎖って起こることがあるよね。
都市部って田舎から出てきた人も、意外と多かったりしない?(ぜんぜん意外じゃない気もするが)それで落差があったりしたりもあるかもしれんしさ。最初から都会生まれでそういう人達だけじゃなく、実はそれで主さんも消耗してたりしてて、「自分の魅力のなさを日に日に実感してる」のも時折あったりするんじゃなかろうか。
なあんて、あらぬ妄想を繰り広げる田舎暮らしでした。
ちゃんちゃん、ちゃんこちゃんこちゃんこ鍋。
ちなみに俺は小食です。オラッ!残りのちゃんこ食え!汁が残ったら米を入れてやるぞ!