あなたの宗旨が許すという前提で、書く。あなたに強制するというたぐいのものではない。
つらいとき、もしあなたが神仏に祈りたいと思ったら、観音に手を合わせてみるのも、いいと思う。本当に辛い時、もし自分自身を信じることができないときには、神仏に祈ってみるのもいいと思う。人間は、生きている間には様々なことがある。苦しい時の方が多いかもしれない。それでも、何かにしがみついて或はすがって、生きるのもいいと思う。他人に主体性がないと言われても、もしそれであなたが心穏やかにいられるのならば、それでいいと思う。観音と言っても、聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、不空羂索観音、などがいるのであるが、いずれにしても、手を合わせてみるのも、いいと思う。
余り役には立たなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。