私はベジタリアンです。
人間の勝手な理由で殺された動物達はどうしても食べられません。
けれど、植物達も生きています。
できることなら食べたくない。
でも、それでは私が死ぬし、
食べる、食べられるの関係は自然界では普通のこと。
だから、なるべく自然に近い状態で命を頂きたいんです。
自分で殺せないものは、食べない。
これが私の決めた鉄則です。
しかし、こんな考えを持っている人は私の周りにはいないし、きっと友達に話しても理解して貰えないでしょう。
こんな私、おかしいんでしょうか。
名前のない小瓶
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消極的であっても、結果的に人々の過失(無慈悲)を正面から責めるようなことをすると、攻撃されますよね。多勢に無勢、マイノリティーはいつの時代も大変です。
世俗から隠遁すれば、高潔の生き方を続けられます。
正しい道に従い安んじていれば、そのうちに友人もできて結果良しとなるでしょう。
もちろん、それはいい考えだと思いますし、私だって同じ考えです。
おかしくないです。
私も昔、ベジタリアンでした。
今もまたできればそうしたいのですが。
ただ、以前病気のために極度の貧血になり、
吸収の格段にいいレバー由来の鉄製剤を
摂らざるを得なかったことがあります。
輸血寸前(=かなりまずい状態)だったのと、
血が増えなければ手術もできなかったので仕方なく。
なので、動物に感謝してお薬をいただきました。
あなたも女性なら、健康状態によってはそうなる可能性が。
そこは注意してくださいね。
本来は、自分で屠ることができない動物は
その肉をいただく資格は、やはりないと思っています。
出されたものを残さず食べることが生き物への一番の感謝と償いになると思うんだけどな。
小瓶主はお肉を出されても食べないの?残されたお肉は廃棄されて、あなたのために死んだ動物は無駄死にしたことになるのに。「いただきます」「ごちそうさま」と言って残さず食べるのは、別に作ってくれた人だけへの言葉じゃない。「命をありがとう」という意味も含まれてる。自分からは食べなくていいけど、出されたら残さず食べろよ。
勝手な理由での殺しっていうのは、金持ちが鳥やウサギ狩って遊ぶやつだろ。
命を尊ぶ心優しい方とお見受けします。
ですが、人間に必要な栄養素は植物からだけでは摂取できないのです。
穀物や野菜や果物にしても、命を奪うために人間が植えるのです。そういう点では家畜を育てることとなんら変わりありません。
それと、人びとのために働く農家の方や漁師さん、食品製造に関わる方、流通に関わる方、販売する方々は罪なのでしょうか?
他人に理解してもらうには矛盾しない考え方を持つことが必要です。
矛盾する考え方は偏見でしかありません。
もう少しがんばりましょう〇
一度ジャンプの『トリコ』を見たらどうでしょう?
『食べる』という意識が変わるかもしれません
貴女は優しい人ですね。
可笑しくはないと思いますよ
私もまえまでそうおもってました
でもね、牛だって生きている草を食べてる。ライオンとかの肉食動物だって他の動物をたべてる。
だってそうしないと生きていけないから…
生きているものを生きていくために殺して食べることを仏様は許してる。
だから感謝していただきますっていうの
おばあちゃんからきいたお話。
みんな人それぞれ自分の価値観の世界を生きていて、
それは食事に関しても例外ではないと思います。
魚は食べれて、
どうして野菜は食べれないのと揶揄する人がいますが、
本人がそう思っているもしくは、
そう決めているならば、それでいいんだと思います。
法律の問題とはおいておいて、本来はそんなものなんだと思います。
他の動物のおこぼれちょうだいしている掃除屋ハイエナはどうなるんだろう
自分だけの信念であれば、悪いことではないですね
ベジタリアン。
しかしお肉やお魚もいただかなくては、長期的には
健康に差支えが出る場合が多いです。
特に女性は鉄分も不足しがちだし、いくらタンパク質を植物からも取れるとはいえ、動物性と植物性のものでは吸収率や実際熱になる量が違います。動物性蛋白質と植物性蛋白質ではその働きが違うのです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/371351/
外国人の知人に何人かベジタリアンがいますが、彼女たちはそろって冷え性です。別に彼女たちの生き方に口を出すことはありませんが、それってやっぱ自己満足の域を越えないんじゃないかなぁと思うことはあります。
だってどうあれ「食べなくては生きていけない」のだから。
そして人間は「雑食動物」です。
「草食動物」ではないのです。
「雑食動物」としての身体に、生まれついています。
血液製剤が必要になった方のお話が先にあるようですが
貴方の健康は貴方だけで完結できるものではない。
それが厳しくも生きているということだと思います。
「他者を喰わねば生きていけない。」
植物も、動物も、間接的には、生きた人も。
どこまでいっても、日本にいる限り我々は搾取する側の域を出ていません。それに、私達がいまあるのは先人たちが血と涙を流して作ってきた平和の上に成り立ってるから。
自分がなんの上に立っているか。
何の犠牲の上に立っているか。
何を「食べて」いるのか。
それに思いを巡らせていらっしゃるというところまでは
貴方は立派だと思います。
本気で命をいただくことを理解していないうちは
命をいただけないという信念も素晴らしいです。
でも生きるということ、それ自体
それは誰かと何かの犠牲に成り立っている。
私達は、そもそも生かされている
生きているから何をしなければ、ということはないのかもしれないし
生きているそれだけで尊いということは揺らぎない事実かもしれない
だけどもし
小瓶主さんのように
自分の食べてきた道、歩いてきた道の下に
だれの骸(むくろ)があるのか
そういう背景に思いを巡らせられる心のゆとりがあるならば
それに感謝することとともに
一度命を自分で絶って食べてみるのもいいのかと思います。
肉は無理かも?魚なら、どうでしょうか。
昔はきっと、庭先で鶏を飼って
卵を産ませて、それを食べてた。
卵が産めなくなったら首を落として鶏を食べてた。
首を落として
ごめんなさい、と、ありがとう、を思いながら
手を合わせて。
人間の本来の姿はそれ、
それができない者は食べる資格がないんじゃないか
それが小瓶主さんの考えですよね
その考え方は納得するし、非常に妥当だと思います。
でもいつもそれをするのは、今となっては、
本気になりゃできないことはないけど、まず無理。
であれば、パックのお肉やお魚から
どんな命をいただくのかを想像して、
漁師さんや農家の方にも
感謝して手を合わせるしかないと思うんです。
小瓶主さんの文章からは
「食べない事への覚悟」というより
「食べないことによる、(罪悪感からの)逃げ」をやや感じました。
命と向き合うということ
それをこの飽食の時代に行うのは
かなり意識してでないとできません。
でも、小瓶主さんなら、よく考えて
「食べる覚悟」
をできるんじゃないか
そう思ってお返事を流しました。
私自身も「いただきます」の意味
ちゃんと忘れないようにしなきゃな、と思いました。
7ml
弾かれたようなので改定しました。
別におかしくありません。他人に強要さえしなければ。
ただ、そう思うなら貴方の意見は自分で殺せないのではなく、自分で殺したものしか食べないという場合にのみ説得性があります。(そう思っているのなら他者に命を刈り取らせてそれを食べるだけと言うのは忌避感を感じて我慢出来ないでしょうから)
というかそもそも、その理由でしたらベジタリアンである必要は無いと思うのですが。
つまり、
自分で栽培して刈り取った野菜ないしそこら辺に生えてる草、自分で釣った魚、自分で育てて屠殺した動物若しくは狩獲った動物、虫以外は食べない、つまり外食や食糧を買うこと自体が出来ないし、水も水道から飲まず(水道水は殺菌されています。貴方が殺していないのですから飲めないでしょう)、井戸水ないし川等の水源から汲んでくる、勿論自分で造ったお茶的なもの以外も飲めません、しかも生でしか食べない(仮に全て自分で作ったとしてもパンや炊いたご飯もこの場合調理されているので貴方の論曰く不自然といえるでしょう)ということになりますがそれを完全に徹底した上で貫き通せるのなら良いでしょう。むしろ賞賛します。
逆にそれらなら等しく食べられるということになります。
もしあれなら殺せるけどそれは殺せないから無理と言う思考が有るのでしたら、命に不等号を貴方の価値基準で付けるもので、それでベジタリアン云々を言う場合は命がどうのと理由付けするのはどうかと思います。
理由付けを命とするのなら自分の中では草木の命の方が動物の命よりも軽く殺しても余り心も痛まないと断言し、それ故に食べるのだと公言する必要があります。(勿論他者に押し付けるのなど以ての外です)
そして、もし少しでも妥協するのでしたらその意見を語る資格は有りません。
何故ならその場合、そられの命云々よりその考えを実行する手間の方が貴方にとって重いということに他なりませんから。
それと蛇足になりますが、仮に出されたものを食べない、残すというのは命に対する最大の冒涜になるのでそこはきちんと理解して周りの人に周知徹底してそもそも自分の分は買わない、作らない出さないようにしてくれるようにしてくださいね。
貴方が残したり出された上で食べなかった場合、その命は「捨てられ、生ゴミにされるために殺された」ものになってしまうので。
それらが故の「いただきます」と「ごちそうさま」等の食への感謝の気持ちです。
お金をだして、欲しいものを得るのが今の社会の基本構造ですから、あまり現代にはそぐわないと思います
でも身近にあなたのような考えの人がいても、「色々な考えの人がいるなぁ~」とか、「変わった人だな」って思うだけで、距離を置いたりはしないと思います
ただ、絶対共感はできませんし、その考え方を押し付けられたら嫌いになるでしょうね
だから、ただ打ち明ける分にはいいんじゃないでしょうか
〉『自分で殺せないものは、食べない。』
目の覚めるような覚悟だなと感じました。
肉や魚をどうにも受け付けず、専ら米穀・山菜の栄養に頼った時期がありましたので、何となく共感している自分がおります。
守りたい対象が出来た時、臭みのない料理を習得し、食せるようになった今も、食料品店で肉塊を見て、本家へ遊びに行く度に、差し出した葉を食べてくれた牛の眼差しが、一瞬、脳裏によぎる事もあります。
自ら手にかける業を負わず、業者の方々に肩代わりして頂き、手を伸ばせば、そこら一面の棚に肉塊が転がっている有り難い環境にあぐらをかいて、私は、家族と命を繋いでいます。
小瓶主の言葉が、胸に残りました。
おばあ
イソギンチャクとクマノミ…
九通目の方に横レスです。
ハイエナは普通に集団で、生きたものを追い込む狩りを行いますよ。
おこぼれを食べると言うより、そういうこともあるってことです。
狩りの時、組んだ群れの規模が小さかったりすると、ライオンが楽をしようとその餌を狙いでしゃばって来て、やむを得ず餌をあけ渡すことが多いそうです。
それで、残った腐肉を食べざるを得ないこともある訳ですね~。
寧ろ彼らには、おこぼれというか、ウジの涌いた落ちてる肉も食料対象なんですが。
(確か免疫の関係で大丈夫だったかとかだった気がする)
逆に群れの規模が大きいと、ライオンも手が出せず諦めるとか。
因みに、ハイエナって中々頭が良いんですよ?
以上、小瓶と全く関係のない豆知識でした。
後ついでみたいになりますが、小瓶主さんはおかしくないと思いますよ~。
ですが、蛋白質も摂らないと筋肉付きませんぜ。
かのマイケルジャクソンもベジタリアンで、肉を食べなかったそうですが…
医師に肉を食べなきゃヤバイよ!的なことを言われ、食べ始めたそうな。
主さん、自然界にいる猪や野犬や蛇や鳥、魚なんかを狩ってみますか?
虫も良質な蛋白源になるみたいですが、あまり美味しくはないようです。
(もし本当に手を出すならちゃんと火を通したり、毒に気を付けないと駄目ですよ。毒の他に最悪、寄生虫や病原菌で悲惨な死に方、もしくは死んだ方が良いような苦しい思いをしますから)
大豆を食べても良いのですが…動物性の蛋白質とは違います。
必須アミノ酸(だっけか?)、摂れるのかな?
実質、肉を自分で得るのは難しいんじゃないかな~。
下手に野生に手を出すと、逆に餌にされることもありますし。
人類も多くなったもんで、家畜や農作など、安定した食料供給が見込めないと大半餓死します。(多分)
というか、今も供給が追い付いてないとこ、あるのかな?
過去「狩り」によって命を落とす者も居たでしょうから、出来る限り安全がほしいのかもな。
それに、現社会的に獲物を追うことになると、労働者の一日はそれだけで終わり、社会に貢献することが出来ず給料貰えないと思う。
ん?まあ肉屋さんに行けば別か。
ん~と、人間の勝手な理由とは仰有いますが。
はたして、動物も勝手な理由で他を殺さないとお思いですかな?
遊ぶためだけに、クジラの子を殺したり、アザラシを殺すシャチ。
イルカは子持ちの母イルカを群れで輪姦して殺すこともあるとか。
チンパンジーもそういうことしますよね。
オナニーのために生きたままの蛙を使う等の行動を取ったり。
例として、知能の高いものだけが上がってますが…
話が脱線しましたが、まだまだありそうですね。
なので、小瓶主さんは綺麗で優しい心をしてるんだ~!
長所です。しかし大変勝手ながら、その心を御自分の体にも向けてあげて欲しいです…
小瓶主さんが家畜を殺して食べることを勝手だと仰有るなら、それはそうだと思います。
だけど、誰かを食らわなければ成り立たぬ身体故、
生き物は皆食わねばならぬ。
俺は食わなくったって生きていられたら…とか思ったんだ。
ただ生命かどうかは別に、結局水を飲んでることでダメじゃん!
ってなったけどさ。
そこで、何でわざわざ食い合ってまで、地球に生き繋いでいくのか考えてね。
何故そんな世の中になっちゃったのかなって、地球の生き物の祖先がそういう生き物だったから。
ってことなのかな。
まあ、地球にも自分達にも資源として、限りがあるから…
エコなサイクルという食物連鎖関係を取るしかなかったのかしら。
等と考えています。
結果的に、俺は生命体を超える!
なんてふざけた夢が出来上がりました(笑)
あんまりに長々しててすみません。
蛾蝶
その「鉄則」も「人間の勝手な理由」でしかない。
逆に言えば自分で殺せるものは食べるということ。
「生き物を殺さない」ベジタリアンではない。
間違っちゃいないが正しいとも思わない。
最近畑を借りて野菜を作るようになりました。
畑には虫が来ます。殺菌剤を撒いていないので当然虫が出ます。躊躇しますが、見つけた場合殺します。
野菜も必ず何かの犠牲の上に成り立っています。
でも個体数からいうと大丈夫です。
それが世界ではないかと最近では思います。
私達の周りは無数の命がひしめいています。人もその一つです。そういう意味では人も虫も動物も同列だと思います。
生かされている、本当にそう思います。
冬
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
こんにちわはじめまして。arukanの生活について紹介します。私は学校で他の人はきずかないようなちいさなちいさないじめを受けています
逃げたしたい。3日前、約5年お付き合いした彼女が自殺しました。5年の間、幾度なく喧嘩、その度に元に戻るを繰り返していました
ネット銀行の口座をいくつか開設したけど、地名以外のいろんな支店名があって面白いなー
死ぬまで奴隷なんだ。家を出ても僕の親戚は、僕は親の奴隷としか思われていないんだ。電話が出るたび親の事助けてやれと。僕の生活の事なんか誰も気にしない
貴方のことが好きでした。好きだから一緒に暮らし、好きだから一緒に眠ります。だけどもう疲れました。ごめんなさい
死にたい。何も聞きたくない、何も感じたくない。思うことも疲れました。辛い思いをするのは自分だけ
もう嫌だ。死にたい、死にたい。気持ち悪い、グラグラする。気持ち悪過ぎて、吐き出した。理性、思考はいつもの通り。でも耐えられない
半年ぶりぐらいに来た。一個前の宛メ書いた半年前の私もつらかったね。今の私は過去の自分に少しだけ寄り添える人になれたよ
恥ずかしくて死にたい。私、何かしたかな、あなたの注意を引くようなこと。最初は、必要に迫られてしか話さなかった。話さないと気まずいくらいの状況じゃないと、距離感を考慮して話さなかった
どうしたら わたしのことがきらいなひと の目に わたしの存在が見えないようにできるのかな。どうしたら振り向いてくれるかな
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不安で押しつぶされそう。自分の仕事に加え、上司のやってきたことも1人でやらなきゃいけないという不安。時間をかければできるけど、それが許されない不安
母に好きな人と居ることを反対され