「正しさ」ってなんなんだろうと考えた。
俺はずっと「正しさ」に苦しめられてきたし、今まさに「正しさ」で自分を苦しめているんだと思う。
俺が思う「正しさ」とは「何らかの基準で決められた「こうあるべき」という決めごと」だと思っている。
様々な事象には明確な答えがあるもんだと考えていて、
ある程度明確に白黒つけないと気がすまないタチだった
ずっと一人だった
感情的な優しさよりも「正しさ」を優先して
ときに自己否定もしてきた。
自分が「正しさ」を信じてきて
高校で授業中もうるさくしている人を「ルールを守らないカス」と批判して
その結果クラスで誰とも仲良くなれなくて孤独だった
自分を見せられる相手がいない
大学以降の付き合いがある友人はいるがそいつらにはとても見せられない
そいつら感情的に寄り添うってできるやつなんだろうか
感情を見せられない「正しさ」バカばかり集まって
いや、俺がその「正しさ」バカ筆頭なんだろうな
つながりがずっとなかった
維持できたかも知れなつながりも俺の「正しさ」「我儘」の押し付けで断たれてしまった
当然だよな、自分の感情に興味のない人間なんて関わりたくもないはずだ。
これを考え始めたきっかけは、窮屈な職場働き方から脱却したくてベンチャーに転職したけど、俺のマインドがずっと窮屈なままみたいで、
転職先の同僚にずっと「型にはまってる」って言われてんだよな。
俺の親は一度も俺の感情に寄り添ってはくれなかった。
リベラリストで倫理感が強いが、まあそれ込みの様々な「正しさ」を押し付けてくるような**だった
方や俺が話してるってのに話を乗っ取ってくる**で
方や文脈無視コミュ障の**で
そんな親のもとでまともなコミュニケーションができる人間が育つわけがないんだよな。
その結果、ずっと孤独な人間の出来上がりってわけだ。
正直今の職場で「型にはまってる」とか「解きほぐしたい」とか言ってくれるのはとてもありがたいしそれに応えたいし自由になりたいと思ってる。
そもそも採ってくれたことがめちゃんこありがたいことだし給与爆上がりしてる。
めちゃくちゃ嬉しいことだよこんなチャンスを得られるなんて。
けどさ、ずっと「正しさ」と「我儘」で生きてきた人間は「自由」の感覚が全くわかっていないんだ。
できることなら「自由」と「優しさ」で生きれるようになりたいさ。
でもこれまで「正しさ」と「我儘」で自分の人生を30年近く縛ってきたんだ。もっと楽に自由に自分らしく生きれたと思うと悔しくてたまらない。
あまりの悔しさに遺書付きで死んでしまおうかとも思った。「お前らの正しさが俺を孤独にした。お前らの我儘が俺の心を殺した」って感じの皮肉マシマシでね
仕返しと言わんばかりに残した奴らに盛大な傷をつけてやろうと思ったよ。
本当に俺の人生返せって感じ(こういう他責思考なあたりも我儘なんだよなと思った)
こんな我儘人間に恋人やパートナーやら親友やらできるわけないんだわ。
俺の何が型にはまっていて何が自由なのか
どうやれば俺の自由は見つけられるんだ??
どうすれば俺は自由になれる??
本当に我儘で申し訳ないんだが誰か教えてほしい
自由とは何だ
自由はどうやったら得られるんだ
こんな駄文を読んでくれてありがとう。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
分かる。おそらく年上の方にタメ口で恐縮だが、ものすごく共感した。うちの親も世間の言う毒親ってほど酷くはないと思うが同性の母親とすら相性が悪かったのかコミュニケーションが上手くできない感じで、いつも感情的に孤独だった。理系は信用できないとかいう謎の主語デカ言説で話にならなかったこともあった。そんな私も「正しさ」に固執している。いつも定量的(?)に、目の前にある事象の「正しさ」を自分なりに評価できるのではないかと考えてしまう。自分の感情に疎い自覚があって、友達には「いつも膜張っている感じがする」って言われたこともある。その友達は信じられないほどマイペースで、信じられない時間に寝て起きて、お腹がすいた時にご飯を食べる。たまにする鋭い発言にいつもびっくりさせられるような人なんだけど、私に自由へのヒントをくれていると思う。彼女はこの前、深夜0時から翌日の夜中まで夜通し歩く計画をしていて、私も朝から途中参加することにした。目的地は最寄りの駅から徒歩1時間の場所。コンビニも飲食店もほとんどない場所を歩いた。60kmくらい歩いていたのかなぁ。目的地に着いたのが夕方で、施設は閉まっていた。最後に行こうとしていた近くの温泉は、夕日の差す草地で寝っ転がりながら、疲れたからという理由で諦めることにし、そのまま、1時間かけて駅まで歩いて帰宅した。予定通りには何も辿り着いていなくてまじかと思ったけど、一日で10万歩も歩いた事にいちばん喜んでいて、私も嬉しくなった。自分が「正しさ」に固執しているのはずっと変わらないけれど、ありえねぇ行動をする人とありえねぇ行動をすると、ちょっと自由になれた気がする。
ななしさん
自由というのは、型にはまらないこととかそういうことではなくて、あらゆることを自分で選択し、その選択に責任を持つこと。だと私は思います。
例えば、過去のあなたが「正しさ」や「親の価値観」に縛られ、それらに選択を縛られてきたのなら、
孤独だったり不満のある現在になったのは、親や正しさを強要してきた他者のせいなので、他者に不満を漏らすしかないですよね。
でも、自分が選択したとしたら?
間違ったり失敗になったとしても、自分で選択したことなので自分で責任をとれる。不満があっても、自分が次に生かせばよいだけとなります。
身勝手や我が儘と自由の違いも、自分の選択に自分でで責任を負うか、追わないまたは他者に責任を転嫁するか。の違いだと思います。
もし、自由に選択するということが分からない場合は、ためしに、「あなたが」正しいと思うこと、「あなたが」こうすればよい気がする、こっちにしてみたい、というようなかんじで、とりあえず間違ってもいいから「自ら選ぶ」ということを意識して選んでみてください。
そしてその結果がどうであれ、自分で責任を持って受け止めてください。
ただ、それだけ。
だからたとえば、正しいのはこうだけど、私は正しさよりこっちを選ぶ。というような自由な選択もできます。そのかわり、どう転んでも責任は自分で持ちます。ってことだけ。
うまく説明できなくて、長文になってすみません。
さいごに。
私が書いたことも、「私は」自由とはこういうことだと思う。という。ひとつの参考にすぎません。
なので、あなたがこれを参考にするもしないも自由です。
あなたが楽しく幸せを感じて日々を過ごせますように。
ななしさん
私は何でもありの自由人と言われます。
小瓶主さんとは真逆な存在ですが、自由な代わりにダメ人間なのであまり偉そうにはできません。
小瓶主さんがやらなさそうで私がやりがちなこととして、まず頭に浮かんだのが「年甲斐のないこと」
私は女だてらにしかも40歳過ぎてから中型バイクに乗り始めました。
もうすぐ還暦ですが、流しそうめんが食べたくて奈良まで行ったり、鳥取に行ってラクダに乗ったり。
法律の範囲内であれば、性別や年齢にとらわれる必要はないと思います。
小瓶主さんはお若いんですから、本当にこれからやりたい事何でも!できると思います。
心の底ではやってみたかったけど、自分の柄じゃないと思ってやらなかったこと、ありませんか?
バンジージャンプとかコスプレとか海外に行ってオリンピック観戦するとか。
他人に対する優しさは、私は人の事を言えないんですが、このサイトにお返事を書くようになってから、少しは人の気持ちに寄り添えるようになったかな?と思っています。
小瓶主さんも、他の小瓶にお返事を書いてみるのはいかがでしょうか。
運営さんの検閲が入るので安心です。
いろんな境遇の人がいて、いろんな事で苦しんでいるんだなぁ、とつくづく思います。
長々すみませんでした。
少しでも参考になれば嬉しいです。
小瓶主さんには、人生を楽しんでほしいです。
Bon Voyage!
アユム
どういたしまして!!
キミの「正しさ」は
キミの中の「正しさ」にすぎないんだよね~
「正しさ」なんて
時と場所で変わるもんさ。
周りの意見を取り入れたり
転職先の「空気」を見たりしてみないかい?
そうすれば、キミは成長できるはず。
「自由」は……ないと思った方がいいかな。
だって、「仕事したくない」って思って
仕事を辞めるわけにもいかないでしょ?
「自由」というよりかは
「のびのびと」だな。
「のびのびと」仕事をする。
柔軟な発想で生きる。
そういうことだと思うよ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください