自殺は罪ではないよ。罪だとしたら、自殺してった方々が浮かばれない。
まぁ、もしかしたら。そんな方々が死ぬんじゃない、と警告してくれてんのかもね。
知らんけれど。
主さん、今まで通りでいいんよ。昔、どんな風に生きてたか思い出して。
生きるか死ぬか何も考えずに生きてたなら、そのまま考えずに生きていけるってことでもある。
このまま、苦しい思いで。死にたいままに、なあなあに生きていくことも出来るけど…
それこそ、苦しむために生きるようなものだろうからね。
昔の小瓶主さんは、どんな感じだっただろう。
友達や、家族。自分や、自分にまつわるものから、思い出してみてよ。
生まれてきたのは、傷つくため?苦しむため?
そりゃ、やっぱり、誰にもわからないよ。
苦しみも、傷付くことも、生きてたら受けることになる。
でも、喜びも感動も、受けることが出来る。
誰に聞いてもわからない筈さ。
だって、誰も明確に、自分の人生が何なのか、何のためにあるのか解らないもの。
そうして、わからない人生に対する対処は。
保留だったり、考えないことだったり、考えて煮詰めて出したものだったり。
なーんかね、どっかで…ネットでみたのかな?
見た記憶があるんだけど、心臓の鼓動の回数って、決まっているらしいね。
生き急げば早まって、迷いに迷えばゆっくりになる。
喜んだり、ビックリしたり、大きな高ぶりではやくなる。
思えば悲しみで鼓動がはやくなることって、あんまりないんじゃないかなあ。
だけど、怒ったり。喜んだりしたら、よくはやくなる気がするね。
太く短く生き急ぐって、幸せや生きることを求めた、結果なんじゃないかなあ、と俺は思うよ。
あんまり、主さんへのお返事として、趣旨を捉えてないようだけど、さ。
死にたいなら、まず良いことをして、幸せになったらどうだ。
そうした先に、心臓は止まってくれる。
そんな考え方だって、あるよ。
蝶になりたい蛾