彼氏と話していると、根本の発想は同じ所からスタートしているのにそこから派生する考え方とゴール、そしてそこに至るまでの過程が正反対なことが多く、面白いなと感じることが度々ある。
例えば、「人1人の人生は限られたもので、長いとは言えない」というのは私も彼も共通して持っている価値観だ。
だけれども、そこから「今後の人生をどう過ごして行くか」という視点になると途端に180度違う方向を向くようになる。
彼は「どうせ最後に死ぬのならそれまでの時間は全て効率良く、無駄なく自分を高める為に使い切るべき」というスタンス。
対して私は「どうせ最後に死ぬのだから、自分に見合わない程の上を目指すのではなく、自分の手の届く範囲の物事を充実させていくべき」と考える。
具体例をひとつあげると、休日の過ごし方について。
彼は何も考えないと予定をギチギチに詰めてしまうタイプ。そしてその予定が少しでも弛んでしまうと時間を無駄にしてしまったと落ち込むそうだ。
一方私は、必要な予定はざっくりと決めるが基本的には「することが無い」状態を作りたいタイプ。「時間を無駄に過ごすこと」こそが時間の限られた人生における最大の贅沢だと考えているのだ。
今の自分を、未来の自分をより良くして行きたいという気持ちはもちろん私にもある。
ただ、息継ぎもないまま動く事は私には出来ないのだ。きっとどこかに皺寄せが行って結局の所落ちていく気がする。
それなら、必要な時にできるだけの努力をして、その時に高められる程度の自分が本当に自分が至れる一番上の場所なのだと理解しておくことが大事なような気がするのだ。
余談だが、「努力は知っているが簡単に見えるように自分より優れた結果を出す人間に妬みを感じる」と悩む友人と、「自分としては感情を抑えているのに結果的に「我慢している」ということが全面に出てしまい人に指摘される」という友人がいる。
どちらの言い分も理解はできるのだが、どうしても「自分を外側から見る」事が無いのかな?と思ってしまう。
私からすれば単純な事で、悩んだり相手を困らせたりするような事では無いと思うのだ。
ただ自分という容れ物をみて、そのキャパを理解すれば良いだけなのに。
まあ、この「客観的に見た本当の自分」こそが誤りであるのではというのは百も承知だ。自分では本当には見ることの出来ない「客観的な自分」をわかっている気になるのは良くないと、私自身が一番良くわかっているつもりなのだが。
無論彼らの考え方を否定したい訳では無い。現時点では無理があると思ってしまうような高いレベルを目指し努力を重ねて行く姿は格好良いと思う。
それでも、それが自分事となるとそう簡単には考えられない。
高い目標を定めていざそれが叶えられないと自己嫌悪に陥るようなことは、それこそが無駄なのでは?と思ってしまうのだ。
彼と比較した場合に限れば、自己嫌悪の程度にも起因しているのかもしれない。
なんだかんだポジティブで前向きな彼と、挫けやすい私。
落ち込んでもすぐに切り替えができてむしろバネにしようとできる彼と、落ち込んだら奈落の底まで落ちる私。
この差は、最終的な人生の差し引きをプラスにしていくために「減点を恐れず大きな加点を目指して行けるタイプ」なのか、「減点されるのが嫌だから無理な加点は避けていくしかないタイプ」なのかという違いなのだろうと思う。
似たようなタイプの方と付き合って、寄り添い合いながら同じ道を辿ることができるのはとても理想的な形のひとつだろうな。
それでも私達は同じ所に立ってお互いに背を向けて歩き出し、最後に同じ場所で落ち合えるのなら、それはそれで素敵な気がした。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです