T君なら俺のこういう気持ちも理解してくれそうで。
「生きたくても生きられない人もいるのに」と言うことを言ってくる人達もいるじゃん。
俺から言わせば、「生きてたくないの生きていかなければならない方も辛いんだよ」だけどね。
そういう人達はここを分かってるのか?とも思う。
それに、だったらそういう言葉を人に言う前にまず、「(ここでも言うけど)これまでの俺の人生と寸分違わぬ人生をまず生きてみて」と思うわ。その上でそれでも同じ言葉を希〇念慮を抱いてるほどに苦しみながら生きてる人達に対して投げ掛けることをできそうですか?と思う。
だったらまず、俺やT君と同じ人生を体験していただいてから、〇にたいほどに苦しみながら生きている人達に対して同じ言葉を再び投げ掛けることをできるのか?再考していただきたく思う。
自〇をしたがってる人や実行してしまった人達の命を救わなければと手を差し伸べること、それがその人達に対する思いやりであると思ってる人達が多そうにも思う。勿論、その援助行為の気持ちや援助行為自体は貴いことだとも思うけど。
でも俺の中には違う見方もある。「〇のみが救い」、そこまでなるほどに苦しんでる人に、それでも尚も生き続けなければならないとすることは実は思いやりになってない場合もあるのではないか?と思う。
あと、そんなことをしたら「周囲が悲しむ」とか言う人達もいるよね。その言い分も理解出来るし、その人達がこういう言葉を投げ掛けることも適切だと思うこと自体を否定してはいないけど。
だが、俺個人としてはこちらでも異なる見解でいる。俺としてはそのような言葉を〇にたがっている人達に投げ掛けることは適切であるようには思えない(毎〇〇〇学さんと同意見による理由からなのだけど)。その人自身が〇にたいほど辛い人生になるように自ら決めてきた訳ではないのだし。
地獄を体験してきた人達にしか分からないことがある。いつも天国で生きてこれた人達、俺が味わってきた地獄を知らないで生きてこれた人達には見えないこともあるのではないか?と思う。そういう意味のお話でした。
勝手にだけどT君に話しかけて、聞いてもらえたようになれて、すっきりするよ。
T君、今回もありがとう。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです