※とても長い文章なので、まとめだけ見たい人は「長々とかいてしまったけれど~」から読んでください。
ここでは死にたい具体的な理由を書きます。
私が死にたいと考える理由は数多くありますが、最終的には将来への絶望に行き着きます。その絶望がどのように形作られたのかを、まず時系列に沿って書きます。
まず、大きく分けると、私が死にたい感覚があったのは、記憶にあるうちで小学四年生からで、本格的に自殺を考えたのは高校二年生からで、初めて自殺を決行したのは高校三年生です。
小学四年生の頃は、「死にたいなー」くらいの漠然とした感覚でした。
もともと自己肯定感が低くて、あまり自身のことが好きになれなかった自分にとって、「死にたい」と思う理由は死んだらこんなに苦しい思いをしなくてもいいのになと考えていたことがほとんどで、今振り返ると、死にたいくらい自分は苦しいんだと自覚できる方法でもあったんだと思います。
「死にたい」という言葉は自分にとって苦しいや悲しいというようなマイナスの気持ちを表す最上級の形容詞のような役割を果たしていて、本当に死のうとしたことはありませんでした。
私が思うに、自分はあまり集団向きではない性格をしていて、だからこそ、学校に通うだけで必要以上に心が疲れてしまうということが多々あったと思います。人の表情や声色、ちょっとした仕草などが目に入って、それについて考えてしまうというようなことが日常茶飯事でした。そして、気になることが多い分、何も考えずに行動するということができなくて、毎分毎秒、自分の行動を見返しては改善するというようなことをしていた時期もあったし、年に何回はそういった考えがまとまらなくて全く眠れない日もありました。
この性格に、自分自身、たくさん傷ついたし、親や周りの人を飽き飽きさせたこともあったんじゃないかなと思います。
そんな中で、高校二年生の夏休み明けに初めて本格的に自殺を考えました。
色々なことを知れば知るほどどんどんこんがらがっていく頭の中に疲れていたこと、行動範囲が広がったことによって自殺できることに気づいたこと、子供の頃から死にたいと考えていたことで死を人よりも身近に感じていたこと、が主な理由だったと思います。
小学生でさえいっぱいいっぱいだった私にとって、高校生活は情報過多で、常に何かを考え、疲れている状態が続きました。余裕がなくて、友達にも心配をかけてしまうことが申し訳なくて、余計に学校が辛くなりました。自分嫌いにも拍車がかかりました。
ただ、この時は少し考えた末、自殺を決断する時というのは大体冷静ではないから、一年待ってまだ死にたかったら死のうと自分に期限を設けました。
つまり、高三の夏休み明けです。
それで、結局初めて決行したのは高三の初夏でした。一年も待てず、首吊りで死のうとしました。家の中にはくくれるような場所がなく、自分は身長も高かったため、座って首を吊ることにしました。ただ、ここで初めて首吊りは難しいということを知りました。いくら絞めても苦しいだけで、一向に死ねそうになくて、それでその時は諦めました。
その後、夏休みに受験に没頭したことで、少し希死念慮が薄れました。ただ、八月末の模試の結果で、一気に色々なものが崩れました。
まず、模試の結果を受けて湧いた気持ちは、自分への失望でした。具体的には、模試でいい結果を出せなかった自分ではなく、いい結果が出せないと分かっていながら安直な計画をそのままにしてしまっていた、その自分に失望ました。
塾では担当の先生と一緒に夏休みの勉強計画を立てます。ただ、そこで私はこんなのじゃ点数が上がるはずないだろというような、非常に曖昧模糊とした計画を練っていたのです。さらに、受験生の夏は天王山とも散々聞かされていたので、そんな自分の愚行で夏休みを無駄にしてしまったという点でもショックは大きかったです。
まだ早いというのは今なら分かるのですが、もうその時は焦りに焦って、受験に失敗する未来まで思い浮かべてしまって、自分への失望と将来への不安で一気に死にたくなりました。
ちょうどそこらへんで夏休み明けになり、一年の約束も過ぎたし、まだ辛いんだから死のうと思いました。二度目の決意でした。
ただ、初夏で私は一回失敗しているので、どうにか失敗しない方法を考えた結果、これもまた非常に安直な考えですが、Xで募集することにしました。
案の定すぐに何回か凍結されて、それで警察が家に来ました。
Xの投稿を見て来たとのことでした。
正直に言うと、そこで家族にも知られてしまって、もうこれ以上堕ちることはないだろうと思っていたら、底が抜けてさらに堕ちたというような感覚でした。家族や担任や周りの人の反応を見て、自分が一般的に見てとんでもなく悪いことをしてしまったのかもしれないと思いました。自分嫌いが、また急激に加速しました。
それなりに時間が経ってしまったので記憶は曖昧ですが、そこから二か月ほどは高頻度で自殺を試みていました。
もう一度家で首を吊ってみたり、川に入水しようとしてみたり、山で首を吊ろうとして、山の麓のスーパーでトイレに入った瞬間やっぱり死ぬのが怖くなって、トイレで何十分か動けなくなったこともありました。でもその度に失敗しました。突発的なものから計画的なものまで、何回かそんなことを繰り返していたと思います。
ただ、そこであまりにも失敗続きで、自殺すること自体に疲れてしまった私は、さすがにその後しばらく大人しく勉強しました。
そして結果的には大学にも落ちて、さらに絶望して、ついに希死念慮が薄まることはありませんでした。
最終的な自殺の記録は、大学の図書館のトイレで首を吊ったことだと思います。それが一番最近です。
長々と書いてしまったけれど、最終的に私の一番の死にたい理由は、将来への絶望です。
私は神経質でプライドが高くて人に助けを求めることができません。今のところは自分が思うにそのような性格なのです。
それでいて、この性格で生きるのはとても辛いのです。何をしても希死念慮が拭えず、死んだ方が断然良いと思うほど辛い。
今までの経験上、これからの将来もこんな性格で生きていくのかと思うほど絶望して、さらに考え方が変わるとしてもそこにどれだけの時間と労力がかかるのかと考えてしまうと、そんな面倒くさいことはしたくないとも思います。
もちろん、自分は優しくて真面目でそれで何人かを助けることができるというような、良いところがあるのも分かっています。でも、それではとてもカバーしきれない。何度も言いますが、そういう性格なのです。
この選択はたくさんに人に迷惑をかけてしまうというのも分かっています。
ただ、もしも人に迷惑がかかるからという理由で生きたとしても、私はみんなが期待するような私として生きれないと思います。
長く浅く苦しむより短く深く苦しむ方が良いと、個人的には思っているので、このような選択をしました。
この時点で、一般的に見れば色々な部分の考えが捻じ曲がっているのかもしれません。私は病んでいて、それでそんな変な考え方になっているんだと、そう思うかもしれません。
ただ、一つ言っておきたいのは、私は私なりに何度もこのことについて考えたということです。なるべく客観的になるように努め、色々なことを調べ、この性格なりに長い時間をかけて自分と向き合いました。これは誇れることではないかもしれませんが、自分が死ぬことについては誰よりも考えぬいた自信さえあります。
長々と書いてしまいましたが、これが私の自殺の理由です。
読みづらく、まとまりがないように見えますが、今の精一杯です。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです