ほーほーホタル来い
コッチの水は甘いぞー
そっちの水は苦いぞー
ほーほーホタル来い
あなたの輝く場所はどこですかー
なんか世の中肯定感ソングや、肯定感上げ言動が溢れてるよね
肯定感ソング言動上げに塗れたい塗れていたいよね
俺も肯定感上げに塗れていたい
否定感は辛いよな
駄目出し否定の積み重ねと繰り返しだけだと自己肯定感駄々下がりで海底二万メートル自己否定感エベレスト越えに成ってしまうよな。
少しのことでも否定感を感じて自信なんて、底を着いて居るんだよな。
肯定感ソングや肯定感上げ言動だけだと如何なモノかとも想っててね
度が過ぎてしまうと私は悪くない他が悪いにに陥ってしまわないか行き着く先は「主観的、自己中心的、自己評価肥大化」に成らないか?とも危惧している。
三角錐をどの角度で観られるのか?
肯定感ソングを砂糖の比喩として例えてみた
「心の食生活」としての自己肯定感
近年、世に溢れる「自己肯定感ソング」や「無条件の肯定」を促す言動は、疲弊した現代人の心にとって、即効性のある「甘い砂糖菓子」のように機能している。
一時的なエネルギー補給や安らぎとしては有効だが、その「多食」は慎重にならざるを得ない。
常に甘い言葉(砂糖)ばかりを摂取し続ける「偏食」は、心の健康に「虫歯」や「共依存」、そして「ジャンキー」状態を招きかねない。
現実という苦味や、建設的な批判という「野菜や苦い薬」を受け入れる耐性が失われ、自己評価の肥大化や無責任な言動へと繋がる危険性がある。
物事を「三角錐」のように多角的に捉える視点を忘れず、主観に陥らないためには、「甘いもの(肯定感)」と「苦いもの(現実との向き合い)」のバランスの取れた「食生活」が不可欠だ。
疲れた時は、甘いデザートで心を癒すのも良いだろう。
しかし、日々の主食は、時に噛み応えのある、栄養価の高い「苦い経験」や「努力」であるべきだ。
それが、真に地に足のついた、健全な自己受容への道標となる。
なんて文章
傷ついて弱って心のエネルギーが枯渇してるときは欲するがままにナンだよな
俺も否定よりも肯定の甘い海を漂いたい
ただ偏ってしまうのは駄目だと想ってるんだよね、自分を潰してしまうんだよね
じゃあ如何しろと?
結局文章書いたけど答えは見付けられない。
ただつけ込まれちゃうんだよな、悪い奴らに。
疲れた時は、甘さを許容する: 弱っている時は、無理に苦いものを食べる必要は無いんだよな。
肯定の海に漂って心を休めることも大切なんだよね。
回復したら、少しずつ苦味も取り入れる: エネルギーが戻ってきたら、現実や建設的な批判にも向き合う努力を始める。
情報源を多様化する: 肯定的な意見だけでなく、多様な視点や考え方に触れることで、自己評価の肥大化を防げるのかな?。
なんて解ってる筈だけど頭と心は別の方向に向くことも在るもんだよな。
只ね、甘い言葉に、頼りきりに成ってしまって梯子外される事も在る、意見がずれれば弓を引かれ寝首を掻かれることも在るんだよな。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください