前々からよく話題に出してるけど生まれてこの方彼女がいたことがない。
父親からよく「俺なんて中学のころにはもう彼女いたけどな」と言われて育ってきた。
大学は共学の4年制大学だったけど、卒業まで一度も誰かと付き合ったことはなかった。
そんな自分にとって、父親の自慢は何よりも腹が立ち、そして自分自信を卑下する理由だった。
自分のことがあまりにも惨めで滑稽に思えてならなかった。
一度思い立って、女子ばっかりの茶道サークルの体験に行ったこともあった。本当に女子ばっかりで、少し気が引けてしまった。
でもあの時ちょっとだけ踏ん張って続けていれば、彼女とはいかないまでも、仲のいい異性の一人か二人くらいはできていたかもしれない。
社会人になって既に8か月。もう、全く出会いなんてなく、そんな風に「もしあの時、こうしていたら」と、たらればを並べることしかできない。
なんの前触れもなく、気になった人に授業後にいきなり話しかけに行っていたこともあった。
大して容姿が良いわけでもなく、大して話が面白いわけでもなく。
緊張して声が小さくて弱弱しくて、最初は相手も愛想で楽しそうに話してくれていても、だんだんと、相手もつまらなそうになってきて。
そんなことばかりだった。
どうしてもっと、活動の多いサークルとかに入らなかったんだろうか。
どうしてもう少し積極的にならなかったんだろうか。
どうして。
公認会計士を目指していたこともあったけど、結局続かなかったんだから、最初から遊びに全振りした大学生活でよかったはずなのに。
家が貧乏で、授業料の減免を受けていたから、成績が下がるのが怖くて、勉強ばっかりだった。
俺は、自分のことが嫌いなんだから、自身の無さが態度や声に出るなんて当たり前。
「あと5cm、身長が高ければ」「せめてあともう少し、顔が整っていれば」何度そう思ったかわからない。
高校のころから好きだった人にも、お互い大学生になってからも、振られてもしつこく言い寄ったり、LINEで長文を送ったりしていた。
「別にあなたのこと好きじゃないし。」そうはっきり言われてからは、もう会うことはもとより、SNSでもその人のことを全てブロックした。
もうきっと、会うことも話すこともない。俺はもう、関わるべきじゃない。
マッチングアプリとかやっても、当たり障りのない会話しかできなくて、気づいたらお金だけ溶けていった。3ヶ月で1万円も。
ご飯とかお茶とかに誘うタイミングなんてわからない。
「誘われても、嫌なんじゃないかな」って、そう思うから。
恋愛のコーチングにお金を払ったこともあった。
大学1年のころに1万円分。2年のころに、別の人に5万円も。
今考えたら、なんて無駄なお金の使い方だったんだろうか。
中途半端な気持ちで、いきなり話しかけるなんて、ナンパ紛いのことばっかりやっていたから、自信がなくなるのは当然だったと思う。
初めから、あんなことしなければよかったのに。
だんだんと、気になった人に話しかけるということもしなくなっていき、気づいたら、大学を卒業していた。
大学3年の終わりごろから、「彼女なんて欲しくない」と言うようになった。
欲しくないというよりも、自分はそんな器じゃないんだと思うようになった。
本当は「彼女なんて欲しくない」という言葉は、噓だって自分でも気づいているのに。
いつもおどおど。声も細くて弱っちい。
猫背で見るからに弱そうな、そんな感じだから。
自分のことなんて、大っ嫌いだから。
「俺に好かれて、嬉しく思う女性なんて、この世の中に一人もいないんだ」
街中で幸せそうに歩くカップルを見ても、「羨ましい」という気持ちをねじ伏せて、まるで自分を洗脳するように、そう心の中で唱えるようになった。
「イケメンだと思うけどね」「モテるんじゃないの?」
そう言われれば言われるほど、余計に自分に自信がなくなっていく。
モテればどれほど良かっただろうって思う。
「優しすぎる」「真面目すぎる」
そう言われてきたから、自分のこの性格があまり好きではない。
行き過ぎた優しさ、真面目さで自分を痛めつけるような生き方をしているから。
「いつまでも受け身のままじゃだめだよ」「もっと積極的にならないと」
わかってる。わかってんだよそんなこと。
わかってるのに、中途半端な気持ちでやったから、もう、怖くなってしまった。
自分を好きになれない限り自信も持てないし、誰かに求められることもないだろう。
そして、今の自分には、これからの人生で永遠に、自分を好きになれる瞬間は訪れない気がする。
最近は、仕事もちょっと辛くなってきて、「死にたい」という感情が出てきている。
なんとかぎりぎりで踏ん張って生き延びている状態だ。
父親からは「死んで逃げるのが一番卑怯だ」と言われてきたが、
別にもう、卑怯でもなんでもいいだろ。
生きていたくない。
死にたい。
それか、朝起きたら大学生の頃の自分に戻ってないかな。
死にたい
死にたい
死にたい
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
名前のない小瓶
ななしさん
お返事ありがとうございます。
父親はあれでもうつ病経験者らしいです。未だに信じられないです。
あと、私の場合は順序が逆で、「自信がないから過度に真面目で優しい」のだと思います。
実際、優しいと言われる割には、そんなに率先して人が喜ぶことができるかと言われたらそうでもないです。「迷惑にならないように」「怒られないように」っていうことが何よりも先に思い浮かびます。
こんなふうに御託を並べている状態なので、まだまだ自分には恋愛は難しいかもしれません。
ななしさん
小瓶主さんのお父さん、いらんこと言いすぎ。
自分の息子にマウント取ろうとするお父さんって珍しいと思います。
自殺は卑怯だって言うのも、死にたいと思うほど悩んだことのない人が言う綺麗事だと思います。
私が奥さんだったら、口にガムテープ貼ってやります。
女の子も自分に自信がある子ばかりではないですし、声をかけてくれるのを待ってる子もいると思います。
同じ趣味を持ってる人だと話しやすいと思います。
真面目で優しいのに自信がないなんて、ホントもったいないです。
白蛇
こんばんは。
仕事、お疲れ様です。
人間、得手不得手ってあると思いませんか。息をするように人を口説く人も居れば、声をかけるのだって気が引ける、そんな人も居ります。
臆病さと優しさは表現上の問題に過ぎないと思っていて、こころが繊細な人は――脆いと書くのは露悪的であまり好きではありません――拒絶や喪失を恐れがちで、それは悪いことではないと思います。
似合わぬことは無理をせず、そんな風に考えてみても良いんじゃないかしら。時々気の迷いで、結局、人を救うのは愛のあるセックスなのでは? なんてふと考える時もあるのですが、別に、自分の欠落をそっくりそのまま埋めてくれる相手なんて、きっと何処にも居ないんでしょう。
自分の話を書いてしまいますが、私、駄目な人間として生きて来て、あの時、ああしていれば、こうしていれば、そんなことが頭をよぎることもあるんですが、何と言えば良いのか、仮にその頃に戻れたとして、一歩目で上手く行っても、二歩目で躓くような気がしています。5cmくらいなら、別にインソールでも靴に入れれば盛れるし、顔だって整形すれば変わるけれども、多分、そのやり方じゃ自分を好きになれないんでしょうね。手に入るモノ以上を望むと、苦しくなってしまう。喜びを求めるのを人生の目的だと思うのは危なっかしいと感じるのです。
そう云った次第で、自由って行き過ぎれば毒になる気がしていて、早ければ早いほど、多くのことが選択出来たのに、何故そうしなかったんだろうと、陰鬱な気持ちになってしまう。自由とは即ち闘うことで、それによって勝ち得ることだとして、そこに平穏があるのかは疑問です。私、その苦しみはアナタ自身のせいじゃないと思います。別に、誰が悪いと言う訳でもないんだろうから、困るのよね。
自分のことを好きになれなくても、嫌いじゃないくらいまで何とか持っていければ御の字なんだと、何となくそう思います。
私、自分の言葉に何の責任も持てないんですけれど、いいんだぜって言いたいです。独身でも、自殺願望でも、何でもいいんだぜ。私は誰かに言って欲しいけれど、今の所、居ないので自分で自分に言うことにしています。いいんだぜー。
死にたいって思うくらい、辛い思いをしなくなる、そうなると良いですね。
最後の最後に――ちょっと話が変わりますけれど――どうしようもなく暇なことがあったら「闘争領域の拡大」なんてシニカルな小説があって、読んでみて欲しいです。
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