私はたぶん、「いい子でいること」とか、「好成績をとること」に依存していたんだと思う。
そこから抜け出したくて、
頑張ることをやめてみた。
安定した軸がないまま、
私を支えるものが消えてしまったから、
今度は「誰かの褒め言葉」に依存してしまったんだと思う。
外側じゃなくて内側に、
安定した軸を作ることに、
最近ようやく成功し始めた。
心が満たされていたら
外側に何かを求めようって
あまり思わなくなるのかもしれない。
ずっと「好きなもの」を選んでるつもりだったけど、
なにせ私は「いい子でいること」「優しい人であること」を必死に頑張ってきたから、
心で何かを選ぶことが少なかったんだと思う。
一緒にいる人の顔色を伺いながら、
無難なものを選んできた。
心がゆるむときと、
心が強張るとき。
そんな心の動きに気づいて、
とてもびっくりした。
私が選んできたものって、
「好きだけど、心が強張るもの」
だった。
たぶん、なんとなくどこか、
心が強張るものを選んでる方が
落ち着いていられたんだと思う。
「心がゆるむもの」を選ぶようになったら、
心の強張りが、ちょっとずつ抜けてきた。
今までよりも
外側のことが
あまり気にならなくなった。
“ 心が凝ってる ” みたいな感覚も
無くなってきて
心がちょっとだけ
ふわふわになってきた。
「私は優しいから生きていてもいい」って
頑張って思うようにしてきたけど、
ずっとずっと気づいてた。
私はたぶん、
優しさ成分が人よりも少ない。
でもたぶん、
人よりもちょっと、素直な気がする。
「思いやり」とか
「優しくなりなさい」とか
そういう言葉をまっすぐに受け取ってきたから
キャパオーバーのときも
あんまり優しくしたくないときも
私をあまり大切にしてくれない人にも
(むしろ私を嫌う人にこそ、、)
義務感からの優しさを
頑張ってきた。
(100%義務感だったわけではなくて、
75%くらい、、)
義務感じゃなくて
心からの優しさがほしい。
またしばらく
宛メから離れることにする。
もう極力
戻ってきたくない。
心に余裕がないときの私は
あまりにもギスギスしている。
そんな自分をもう見たくない。
SNSを見ていると
相手の価値観に飲み込まれそうになる。
どれだけ正論っぽくても
ただのひとつの色メガネ。
飲み込まれなくていいし、
飲み込まれないように踏ん張らないと
自分がなくなる。
正しいものはつめたい。
なんていう私の話も、色メガネ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください