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部活を辞めた時の話。小学校からずっと吹奏楽をやってたから、高校も続けようと思っていた。入部して1週間後、わたしは泣きながら家に帰っていた

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しばらく前の話ではあるけど、どうしようも無い気持ちは簡単には消えないのだなあとつくづく思う。
小学校からずっと吹奏楽をやってたから、高校も続けようと思っていた。たぶん、入部しようと決めた時点で冷静になるべきだった。今までの仲間とはぜんぜん違うキラキラした青春を楽しむ部員がそこにはたくさんいた。文武両道を謳う(自称)進学校の吹奏楽部は支部大会出場を目標に活動していた。入部して1週間後、わたしは泣きながら家に帰っていた。いきなり楽器が変わることになり、同級生のいない見知らぬ先輩だらけのパートに放り込まれたのだ。というのも、それまでのわたしは多少今までやっていた楽器に対する実力に多少の自信があった。県でトップの賞を頂いたり、支部大会にもずっと出場したりしていたから。プロを目指すのも悪くないんじゃないと先生に言っていただいたこともあった。でも、わたしはオーディションに落ちた。それに限って言えば、もう大した感情は残っていない。わたしが苦しんだのは、顧問がついた嘘と周りから受ける評価の乖離だった。楽器が変わったのはわたしに音感があったからだと顧問は言っていた。でも、どうやら現実は違っていたらしい。
同じパートにはひとつ上の先輩が複数いて、部の中でも特に仲の良いグループとして認識されていた。先輩方には本当に感謝している。右も左も分からなかったわたしは、先輩からたくさんのことを教わった。とはいえ、わたしは所詮ただの後輩だ。上下関係がある以上、どうしても同じ温度感で部活をすることは難しかった。同級生たちはみんな活発で、部活を心から楽しんでいるようだった。要するに陽キャの雰囲気についていけなかったのだ。
おまけに顧問からも結構嫌われていた。好き嫌いを隠さないひとだったからよく分かった。後から分かったことだが、オーディションが終わった時点で、わたしは下手くそだと見なされてまったく顧問に期待されていなかった。強いて言うなら、聞き分けの良いいい子ちゃんでいることくらいだったと思う。
新しい楽器も顧問に見出された音感()でだんだん上達していたはずだった。ただ、技術が向上したと思っていても環境が合わなければ気持ちがついていけない。先輩が引退したあと、もともと経験者だった後輩たちや楽しそうな同級生と過ごす中で、わたしはだんだんとこれから上手くやっていけるのだろうかと自信をなくしていた。外面を取り繕うのは得意だったからか、周りにはあまり悟られなかった。
そうしているうちに受験生、もとい3年になった。他の部活の友達が次々に引退する中、この部は夏の文化祭を以て3年の引退となる。大学入試もある以上、そんな時期にまで部活をしたいとは思えなかった。そんな矢先、顧問にあることを告げられた。詳細は伏せるが、わたしにとって不本意な要求を呑んで部活を続けるか、それとも辞めるかという二択を迫られたのだ。願ってもないチャンスだ。ここで辞めますと言えば、つらい部活とおさらばして受験勉強に専念できる。答えはひとつだった。
一体なぜだろう。たった一言、辞めますと告げて終わるはずだった退部には1週間もの日を要した。辞める意志を告げると、さっさとこんな部員など手放せばよいものを、なぜか顧問はわたしの人格やそれまでの過去を全て否定するようなことを言った。お前にとって部活とは個人のわがままが通用する場なのか。つらくても頑張ろうとはなんで思えないんだ。そして数年越しに告げられた事実。オーディションは実力を見てわたしが下手だったから落としたのだそうだ。わたしにあると思われたのはせいぜい音感だけだったらしい。顧問は真っ赤な嘘を入部したての部員に並べていたのだ。なお、わたしと一緒にオーディションに落ちたもうひとりは楽器が変わるのなら辞めると顧問にごねて、結果的に希望通りのパートとなっていた。実力とはなんだろう。顧問へのプレゼンの力とかその辺だろうか。なんにせよ、こんなやる気のない部員にはまあそうも言いたくなるか。高齢の身内が入院中だったこともあり、そんなことを思う程度にはわたしの精神は疲弊しきっていた。が、今更その程度の言葉では決意はゆらがなかった。3日か4日にわたる精神攻撃に、わたしは粘り勝ちをした。
そう思ったのもつかの間、わたしを待ち受けていたのは同級生との"話し合い"だった。どうやらわたしは誰にも相談せずに辞めることを謝り、今まで部活をできたことを同級生に感謝しなければならないらしい。"話し合い"が始まってすぐ、わたしは謝罪と感謝を同級生へ伝えた。はずだったが、どうやらわたしの言葉は頭のいい彼らにとって納得できるものではなかったらしい。本音を告げることが仲間の証だと思っているのか、わたしが辞める理由を根掘り葉掘り聞き出してきたのだ。"話し合い"とは、あくまでも彼らが自分たちにとって都合の良い答えを得るためのもののようだった。1対十何人という数が力とでも言わんばかりの話し合いにわたしは初めて参加した。何度も顧問から苛烈な言葉を投げつけられ、同級生たちへ気の利いた言葉をかけられるような精神状態ではなかった。わたしにできたことはただひとつ、ここでも時間切れまで粘ることだった。顧問はわたしとの間に起きたことを、自分の指導力不足だと思われないように都合よく切り取りながら部長や副部長に共有していたらしい。事情はなんとなくみんな知っていた。わたしは何も彼らに伝えた覚えはないが。顧問にその様子を伝えているのだろうか、わたしがなにか話す度にスマホをいじる彼らの顔はなんとなく印象深かった。担任の助太刀もあり、彼らによる追求は部長からのある連絡で終わりを告げた。書かれていた内容はひとつ。こちらは気持ちを切り替えたからもう話し合いの必要はないという趣旨だった。別にわたしは何も頼んでいないが、彼らにとってなにか有意義なものは得られたのだろうか。まあそんなことどうでもいいか。そうしてわたしは自然消滅的に吹部を辞めた。
ここからはしばらく余談である。両親に部活を辞める旨を告げると、辞めようがや辞めまいがどうでもいいが入院中の身内に迷惑をかけるようなことはするなとだけ言われた。ただでさえあまり宜しくない体調が更に悪化したことで、午前中は出席日数のためになんとか授業を受けて午後は保健室に逃げ込んで寝るという日々が続いた。彼らによる追求がまだあるのではと恐ろしかったからだ。予感は的中してしまった。やっとすべての授業を受けられるくらい回復したと思って教室でご飯を食べていると、わざわざ部長が押しかけてきた。野球応援を手伝えという話をしにきたようだった。あいにくの体調であるためお断りしたところ、わたしがいないと死人でも出るのかと逆に聞きたくなるくらいの鬼のような形相をしながら部長はいなくなった。すっかり萎縮してしまったわたしは、結局その日も保健室に行くこととなった。
閑話休題。その後もなぜかコンクールでわたしの分の椅子が用意されていたり打ち上げに誘われたりしたが、ここでは省かせてもらう。小瓶どころか蛸壺くらいの長文になってしまったが、ここまで読んでくださった方がいたのなら嬉しく思う。こんなことネチネチ覚えてる必要などないことはわたしが一番よく分かっている。でも、わたしがこのことを忘れてしまえば、彼らの行いが永遠に許されてしまうような気がするのだ。道理が彼らにあるとしても、わたしが傷ついたのは紛れもない事実だ。そうであると思ってしまう以上、これを記憶に留めておくくらいのことは許されたいものだ。

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