自分の最期の場所を決める為にネットの海を漂ってました。
そうしたら、望んでいた所を見つけたので書き記させてください。
これは別に、誰かに向けたものでもなくて、吐き出したくても出せなくて溜め続けた、所謂吐き溜めみたいなものです。あなたの人生に、この小瓶は不必要で、何の価値もありません。
まともを演じ続け、その果てに僕は疲れたんだ。
楽しかったらそれで良い、そういう生き方で悠々自適に、それが自分という人間だった。だから、いくら自分が不甲斐なくても、使えない奴でも、生きる意味がなくても、僕は僕が人生を楽しいと思えるだけで幸せだったんだ。
でも、それはいつまでも続かない。もう疲れてしまった。楽しみや嬉しさがない訳じゃない。ただ、それを上回るほどの自責や苦痛があるからだ。
人は言う『今が不幸でも、明日が不幸とは限らない』と。それが正しい事も、自分が間違っている事も分かっているよ。
でも、意を返してみてくれ。それはつまり『不幸は留まるところを知らない』という事じゃないか。僕はいつになれば救われる? 悲しいけどそれだけは理解している。救われる訳が無い。この人生を生きているから、身に染みて分かるんだよ。
また幸いにも、僕は天涯孤独だ。心配する人はいない。まあ、今に始まった事じゃないけどさ。お陰様で、最期の迷惑は最小限に済みそうだ。
一つ心残りがあるとしたら、一度も会った事の無い未だ行方不明になっている両親の安否、それだけかな。いやまあ、生きてたとしても僕からしたら、見た事も会った事もない人間だから、他人と言えば他人だけど。向こうも生きてたとして、今更顔出されてもって思うよな。
どうでもいいか、そんな事。僕は楽しかった、だからもういいよ。お疲れ様、君は良く頑張ったよ。
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