寂しい幼少期を少し、幸せになりたいと思い、結婚したくて、28で結婚しました。26年過ぎましたが、結婚自体は幸せかなと思います。しかしながら、自分が大嫌いです。53歳ですが、起きているときは、常に、死ぬことを考えています。テレビとかを観ていても、この人はかみがフサフサで楽しいのだろうとかかんがえており、自分には、お金も髪もなく、昔から、生きていて楽しいと言えることがほとんど無かった。これからの人生にも夢も希望も無い。自分の能力の低さに嫌気がさしている。この歳になっても、仕事でミスをした。2〜3年に1回大きなミスをする。人と比べるのはよくないが、昔であれば、50代になれば、立派な大人になれるのかと思っていたが、情けないくらいダメな大人である。本当に生きていてもしょうがないくらいにである。一人で山奥に閉じ籠もり、衰弱して、死ねればと思う毎日である。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
同年代です。
私も年を重ねる度に、成熟した人間になっているのだと思っていました。心にも懐にも余裕があって、もっと上手に生きれていると・・。
そうなる、そうなっているハズだと思っていましたが、私も貴方と同じようなものです。もちろんミスもします。そのたびに「この年で何をしているんだろう」とため息が出ます。自分に失望して自暴自棄になったり、心の中はなんとも忙しい。
髪がある、無い。痩せてる、太ってる。若くみえる、みえない・・数えればキリがないものを、持っている人をみて落胆したり。結局、いつまで経っても変わらないなーって思ってしまうんですよね。
私も自分を全体的には好きになれません。ですが自分を細分化して見たら「ここは嫌いじゃないかな」
って思える部分はあります。有名なタレントさんが
「血反吐を吐くほど嫌いな自分をどうしようもなくかわいそうに思う時がある」って言ってました。好きとは違うかもしれませんが、それもまた一つの自分に向ける慈悲なのかもしれません。
貴方が結婚自体は幸せだと思えるのは、すごいことだと思います。残念ながら私はそうはなれなかったので。そう思える誰かと共に居られるなんて、羨ましい限りですよ。きっと人は無い物ねだりなのかもしれませんね。
よく、夢や希望が無ければ生きる気力を失うとか言われてますが、その逆で夢や希望はいらないって言う人もいます。私も実際全て失ったとき、夢や希望という言葉すら出てこないくらい打ちのめされました。そんな中で色々考えた末、夢や希望、先が見えなくても、淡々と日々を歩いていこうと思い、今に至ります。何も無くても、何も残らなくても、生きているうちは淡々と。味気はないかもしれませんが究極、生きるということは、命ある限りは日々を重ねていくことだと。私の個人的な考えです。
すみません。何の励ましにもなりませんが、私もどうしようもない中年です。そう思いながら生きている人が他にもいるんだ、くらいに思っていただければ幸いです。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項