推しの顔が良いのを見ると幸せになる。
でも顔の良し悪しという概念、人間である限り自分にも降りかかる。
誰かしらの心の底で比較対象になっていると思うとぞっとする。
それを誤魔化そうと必死こいてメイクして。ばかばかしいなってなるけどやめられない。たとえ知らない他人でも見下されるのは嫌だから。
そんな思考の自分が一番バカでうんざり。
あーあ、顔の良し悪しなんて概念、なかったらいいのに。
コアラを見て「あ!コアラだな」で終わるくらいの感覚でいいのにな。
なんで人間を見た途端可愛いとかかっこいいとか老けてるとかそんな基準が無意識に出てしまうんだろう。
人類がみんな誰を見ても「あー人間だ」としか感じなかったらきっと楽だったのに。
あーでも、あーーーー
推しの顔は今日も良い。
やっぱりそう思ってしまう。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
確かに、、
私は猫を二匹飼ってるのですが、美形な方の猫は不細工な方の猫に、いつも喧嘩で負けていじめられています。
かわいそうにと思って美形猫をえこひいきしているのですが、
これはいつもいじめられてかわいそうだからえこひいきしているのか?
それとも美形だからえこひいきしているのか?
もし反対に美形猫が不細工猫をいじめていたら、私は不細工猫をえこひいきしただろうか?
自分でも分からなくなります。
猫どうしの間では、顔が美形だとか不細工だとかいう概念はないでしょうから尚更、私は何をやっているんだろう?と思います。
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