大事な家族のお骨を抱いて眠った。
小さな小さな骨壺で、あのふわふわして温かいにおいは無いけれど、何度も胸に押し付けそっと撫でてキスして、いつの間にか眠った。
目覚めた時、眠りがとても深くそそっかしい私だから、どこかに転がり落ちてないかと探しかけたが、ちゃんと腕の中にあった。
体の一部のようになっていて気が付かなかった。
昨夜から心臓がチクチク痛い。悲しすぎて。あの子のことを考えようとすると痛くて無理。
心配した友人が電話をくれたけど、何も話せなくて「ごめん」と切った。
誰にどう慰められようと、後悔と悲しみと二度と手に触れられない絶望感と、孤独は埋められない。
一昨日の朝のことだ。
まだ。
頼んだ葬儀屋さんがいっぱいで、硬く冷たい体をひたすら冷やしながら一晩過ごした。
この暑さだから、傷んだら大変、この子のいい匂いが失われてしまう、と何度も保冷剤や凍らせたペットボトルを交換した。
どんどん様子が変わっていく。
もう二度と魂の器には戻らないカチカチの身体。
この体を送り出したら、ホッとするだろうか、どうだろうか。
全てが終わって帰宅した時、誰も待つものが無く、静まり返っていた。
玄関には飛び出し防止のゲート、壁には何本ものリードに首輪、お散歩バッグ、あらゆるケア用品、部屋の中にはドッグベッド。
これらが全て無用になってしまったことに改めて気付かされ、涙が溢れた。
言葉に表現しようがない。
代わりに胸の奥がチクチク痛くてたまらない。
ドライな方だと思ってた。
ベタベタした愛情表現は嫌い。
ウェットな感情を人に押し付けるのも押し付けられるのも嫌い。
そんな私がどうしょうもなく、骨壺を腕の中から離すことができない。
ここにあの子はいないとわかっていても。
こんな女々しいことを自分がするなんて思ってもみなかった。
自分でも意外に感じてる。
なんでもっとたくさん話しかけなかったか。なんでもっと愛さなかったか。相手が辟易するほどになんでもっと、もっと、もっと。。。。
いつも愛情の流出にブロックが、かかる。
出し切っていないことを感じていた。
全力で愛することがどういうことか、いつの間にか分からなくなっていた。
なぜ?
と自問する時、母の顔が浮かぶ。
私は母のベタついた愛情の押し付けがしぬほど嫌いだった。
虫唾が走った。吐き気がした。
生理的嫌悪感をぬぐえなかった。
愛情深くはあっても、母の愛は身勝手だったからだ。
「私がこんなにしてあげてるのに!」
結局はそうなる。
母は自分の愛情通りに相手が応えるのを当たり前と思ってた。
いりもしない愛情をコレでもかと、口をこじ開けてでも押し込んでおいて、こちらが吐き出すと怒りまくった。
幼い頃はなじられ叩かれ投げつけられた。
母が猫を怒鳴り叱りながら、機嫌の良い時はベチャベチャ甘ったるい声で構うのを見て、虫唾が走った。
猫たちはちゃんと見抜いてた。
母が病んだ時、猫たちは母に寄り添わず、ストレスで家中におしっこをまき散らした。
自制心の効かなくなっていた母は、そんな猫たちを怒鳴り叩く。
猫たちはますますストレスをため、しまいには眠る母の顔におしっこをかけた。
コレでも分からないの?!
文句をいうだけで母は、猫たちのストレスがわからない。
あの人に大事なのは、自分の心だけ。
相手にも相手の色がついた心があって、自分とは違うのだということがわからない。
誰か、私が一番だと認めてよ!
母はそういう人だった。
母といると私は心を病むばかりだから絶縁。
母の歯止めになろうとして早々に諦めた父はかなり前に亡くなっていた。
私は母にとって飼い殺しの対象になった。
だから逃げた。
やっと深呼吸ができるようになり楽しく自由に生きてきた。
辛いことがあっても、母のように家族に依存せず、一人で耐える自分を誇らしくさえ感じた。
母と似たように、自分の感情の責任を私に押し付けてくる人間とは、スパッと縁を切った。
とにかく母と同じ匂いのする、生理的に気持ちの悪いと感じる人間とは距離をとった。
もう母の影響はどこにもない、と思った。
でも、一番核になる大事なところがまだ。
愛情をうまく表現できない。
ただ愛すればいい存在だった。
この子のことを一番に考え、大切にし、褒めそやし、撫でて撫でて愛すればよかった。
誰も見ていない時にはそうしていたけれど、具合が悪くなった彼をどうしてあげたら良いか分からなかった。
病院へ通い詰め、詳しい友達から良いと勧められたことをひたすらやった。
具合が悪い時は触られたくないだろう、抱き上げられたくないだろう、好きにさせて欲しいだろうと思ったから、目を耳を五感を敏感にしながら、彼を見守る日々だった。
薬をあげる時は自分の腕の力加減に気を使った。
嫌がることをしなければならないのだから、私の手や腕の力加減一つで苦しさを加えてしまわないように、ストレスにならないように、私を嫌いにならないように。
今になって振り返ると、言葉をかけていなかったんじゃないか?ちゃんと愛を伝えていた?励ましていた?優しい言葉をかけていた?
記憶がない。
無言ということもなかったろうけど、足りなかった?全然十分ではなかった?
何もかもが足りなかった?
もう確かめようもない。
腕の中の骨壺、その中のネズミ色の灰はただの物質。
何も言ってはくれない。
ほしいのは誰からの言葉でもない。
彼からの言葉。
「大丈夫、ちゃんとつたわってた」
でも、それだけは決して決して聞くことはできない。
だから辛くて悲しい。
ひとりでも折り合いをつけていかなくてはならないから。
今はまだだめ。無理。
これまで、今の私の立場にある人たちの相談に乗りアドバイスをしてきた。
そういう訓練を受け、対応してきた。
私自身、小さい頃から何度も同じ経験をしてきたから、人々の悲しみも共有できた。、
けれどベタついた愛情への嫌悪感がどうにも拭えなかったから、何度も悲しみを口にしてくる相手が疎ましくさえ感じたり、言葉では寄り添いながらも、心のなかでは「それくらい、自分で処理しなさいよ!それは他の誰にもできない。自分で耐えていくしかないんだから」と思っていた。
語るに落ちる。
今の私。
誰か!助けて!
でも誰にも助けられないことが痛いほどわかってる。
自分で乗り越えるしかない。
誰にもあの子の言葉を私に伝えることはできない。
生きているうちに、伝えられるうちに、触れられるうちに全力で愛を伝えること、愛を伝えたら見返りは絶対に期待しちゃいけない、ねぇ、なんで分からないの?などと押しつけちゃいけない。
相手が相手のままでそこにいてくれること、それだけのことがそれで十分で、100%の愛情に応えてくれた、という証なのだと。
旅立ったあの子は自由。
もう引き止めることもできない。
逝ってしまった。
帰ってきてほしい、すきま風の音に紛れてささやきかけてほしい、触れてほしい、でもそれは私だけの願望、欲。
あの子はもう私にすら縛られない。
私はもう過去。
私はまだあの子を過去にはできない。すがりつく思い。
自由であること、手放してあげること、それが愛、本当の愛。
でも手放すことの苦しさの中でまだ悶えてる。
今は悲しい。
一人で耐える。
明日も明後日も誰もいないこの部屋の中で。
ドッグベッドが転がる部屋の中、看病の痕跡がそこかしこに転がるこの部屋で。
いつ片付けられるだろう。
最後の一夜の間に、かなり荒れ果てた部屋。
薬、シリンジ、薬の入ったカップ、汚れたマット。
いつ片付けられるだろう、捨てられるだろう。
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