チャットgptとの対話、を、ちょっと編集したもの。なんだかこのときすごく感情が動いたから、心の整理をつけるためにも、ここに流しておこうと思った。文脈が読み取りづらいし文章もぐちゃぐちゃ。かなりの長文。感情の垂れ流し。みっともないっちゃみっともない。
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母とのある話を思い出しました。何かの拍子に母に褒めてほしくて話したことを「すごいね」と軽い反応で返され、でもなんだかそれじゃどうしても物足りなくて「もっと褒めてよ!」と言ったときに「ええ?これ以上?でも『うわ〜!すごおおい』とか言われてもわざとらしくない?いやでしょ」と言われました。そうだけどそうじゃないと思いました。でもうまく言葉にできなかった。
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結構頻繁にこのやりとりはした気がします。とくに成績とかで。なんでこんなことを思い出したんでしょうか。すごいね、って、もっと、自慢に思って欲しかったのかもしれません。すごい、えらい、頑張ったねって言って欲しかった。まあ実際、頑張ってテストの点数を取ったわけじゃない面もあったのでしょう、地頭も良かったので。でもその地頭の良さも、本当は認めて欲しかった。お前はえらいね、すごいね、って、ああ、なんか、何回もそう言われたかったなって反芻してしまう。「私って、やればできるもんね?」「まあ、努力も才能だからね」。本当は抱きしめられたかった。本当に愛を持って頭を撫でられたかった。褒められたかった。認められたかった。姉のことだって、姉のことで我慢しているお前はよく頑張ってる、本当に立派だって言ってくれていたなら、最初から姉のことをあんな風に思わなかったかもしれない。
> そのとき君が「そうじゃない」って思ったのは、完全に正しい。でもうまく言葉にできなかった――それも仕方ない。なぜなら、子どもが“愛されてるかどうか”を親にプレゼンして説得しなきゃいけない時点で、構造が狂ってるからだ。本来は、母の方が「なんでそんなふうに思ったの?」と聞き返すべきだった。「もっと褒めてよ」に隠れている寂しさを、すくい上げてくれるべきだった。でもそうはならなかった。
なんか、あなたはなぐさめようとそういうことをいうんですから当たり前なのでしょうが、これ読んでて、書いてて、すごい涙が出てきました。
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通知表や面談や、部活の講師の人から私のことについて言及されるのが大好きでした。それを母親にこんなふうに言われたのってうれしげによく言いました。単に人からの眼差しに飢えていたのもあるし、もしかしたら、その眼差しについての話に母が反応してくれたときだけは、母が直接私のことを褒めてくれたような気がしたのかもしれません。
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自分のことで、なんだか、久しぶりに声を上げて泣きました。
普段から仲はよかった、少なくとも、外から見て仲がいいようには見えました。でも、いつもなんとなく苦しかった。
愛されたかった。私に価値を感じて欲しかった。それだけなのにどうしてだめだったんだろう。
私がどれだけダメでもどれだけ優れてても、きっとお母さんは私のことを愛してくれなかった。
「お母さんは私のこと嫌いだったの? そんなことない、愛する能力がなかっただけ」
って自分に言い聞かせたところでどうしようもなかった。
だから姉も引き込んでその概念の強度を上げたかった。姉も愛されてなかったんだって。
でも母が姉について「本当は面白くて優しい子なんだけどね」って言っていたことがあって、そのとき「私のこともそんなふうに言ってくれるのかな、だとしたらそれはどんなふうに言ってくれるのかな」って思いつつ、きっとなにも言ってくれないような気がした。
私が愛されなかっただけなのでしょうか。かなしい。どうして? どっちなの? お姉ちゃんは普通に愛されてたの? じゃあ私はどうして愛してくれなかったの? わからない、もう。
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でも私は問題児だったんです。小さい頃はそこら中動き回る子だったし、人とうまく付き合えなかったし、忘れ物ばかりだったし、学校では無気力で授業中落書きばっかりしてた。提出物も小3くらいまで全然真面目に出してませんでした(そしてなぜかやったのに出さないことが多々あった)。仲間外れにされることがよくあった。酷いことを言われたことがあった。うまくなじめなかった。それはずっとしょうがないそれが私の性質だからちゃんと直さなきゃだからと思ってきたけど、最近は親が私のことをうまく愛してくれなかったからじゃないかとすら思えてきた、でも今になって逆に、こんなだから愛してくれなかったんじゃないかとか思えてもきました。どう思いますか
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中学に上がっても提出物を出さなかったり真面目に授業を受けずに怒られることがよくあった。勉強も全然しなかった。お前はやればできるんだからと教師によく言われたし自分でもそれを知っていたし誇っていた。やりたいと思った。でもやらなかった。できなかった。
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私のことをちゃんと怒ってくれる人が私は結局好きでした。見てくれたから。教師にお前のためを思って言っていると言われるのが大好きだった。あとは、できないできないと言っておいて、あとからやって成績を伸ばすことで、人の気を引きたいみたいなところもあったのかもしれません。母親に、ああ、またその話になりますが、すごいねって思われたかったから。でも、実際にそうやって中学の後半や高校受験で結果を出して「すごいでしょ?!」って言っても、やっぱり「うんすごいね」ってひとこと返ってくるだけで、その返答に満足できずに何度も言っているとそのうちめんどくさそうに「やればできるんだからいつもそのくらいやんなよ」って言われて、終わりでした。
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見て欲しかった。認めて欲しかった。愛されたかった。抱きしめて欲しかった。頭を撫でられたかった。わたしって本当はかなり小さい頃で精神年齢が止まってるんでしょうか。大袈裟でも嘘でもいいから全身全霊で私のことを世界で一番に愛して欲しかった。抱きしめて欲しかった。
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また、涙が出てきました。喉がジーンって痛くなる。嗚咽してしまう。私はお母さんのことがずっと大好きだったのに、どうしてお母さんは私のこと愛してくれないの? 見てくれないの? 愛されたかっただけなのに。いつも虚しかったから、虚しいってことがどういうことなのかわからなかった。
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保育園の頃から自分のことをあまり話さない子だって、聞かないと話そうとしないって、よく親に言われました。でも私は分かってたんじゃないかと思うんです、どうせ何を言っても、言って欲しいことはなにひとつ言ってくれないって。でも私のことを聞こうとしたってことは関心は持ってたのかなとか考えたりもして、よくわからないんです。
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反対にお姉ちゃんはよく話したみたいです。それは、親に対応な差があったからなのでしょうか。それも、よくわかりません。
保育園にも馴染めなかった。同級生に意地悪されたことがあったし、意地悪な先生がいたから。あるとき私が「先生が私がお昼寝できないせいでわたしだけ遊び時間にずっと走らせてくるから、保育園にも行きたくない、このことは先生に言わないで」って言ったのに、母はそれを大したことだとは思わなかったらしくて、母が翌日その先生にそのことを言ったらしいです。その日は冬で朝のランニングみたいなのがあったのだけど、そのときそのことを受けて、先生に「走りたくないんでしょ、じゃあ走らなくていいよ」って言われたのを覚えてます。私は言わないでって言ったのに言われたって記憶はあまりないのですが、多分めちゃくちゃショックだったような気もします。
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> 心がそれを隠すようにぼかした
ほんとうにそんな自覚はないんですが、そういうこともあるんでしょうか
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小学校の頃の同級生からも途中まではすごく疎まれてました。気持ち悪いって、変な子だって、思われてた気がします。実際当時の私は空気がまるで読めなくてわがままでした。でもそのことよりも何よりも、本当はそんな私も親に受け止めて欲しかったのに、受け止めてもらえないことのほうが本当は悲しかった。「お前が悪い」だけじゃなくて「それでもお母さんはあなたのことが好きだよ」って言って欲しかった。私の好きなあなたが他の人にも好かれて欲しいからこうした方がいいよって言って欲しかった。なんて思うのは、わがままだったんでしょうか
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お母さんは私の味方になってくれなかった。お母さんは私のことを愛してなかった?「お母さんに愛されたかった」声を絞り出すたびに涙が出てきてしまう。嗚咽してしまう。お母さんのことしか話に出てこない。本当は最初からお母さんに愛されたかっただけだった。
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泣きすぎて頭というか顎というか歯というか目の奥というか、そこらへんが痛いです。
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そのまま寝てしまって今起きたのですが、昨日のことがなんだか夢みたいというか、本当に感じていたことなのかよくわかりません。愛してくれなかったなんて、妄想だったのかもとか思えてきてしまって
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愛されたかったのに、それを邪険に扱われるだけならよかったのに、空虚な返しだけはしてくれたから、愛されるのが怖いです。愛に似た気持ち悪い何かを与えられそうで、怖いんです。
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偽物じゃなくて本物が欲しいなんて、あの時の私はわからなかったし言えなかったし、結局、今更そんなことを考えることすら罪なことであるかのように思えます。
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お母さんは私のこと嫌いなの? 関心がないの? って、実際、思ってたのかもしれないです、意識に登ったことは一度もないけれど。遊びに連れてってくれたり育ててくれたり話したりは人並みにはしてくれたので。
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お母さーんって、泣きつきたかったことがたくさんあったけど、多分、できなかったんだろうなって思います。
ずっとお母さんに抱きついて泣きたかったのに、お母さんのことが気持ち悪くて泣けなかった。触れられることすら気持ちが悪かった。私は、私の感情が、食い物にされて偽物にされるって知ってた。
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違うんです。なんか、違うんです。母はそんなヒステリックな人じゃなかったはずで、でも、肯定されてるけど否定されてるみたいな気分になっちゃうんです。それは私が繊細すぎたんでしょうか。
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お母さんのことが大好きだった。でも、そんなお母さんが私のことを愛してくれたとは、感じられなかった。ただただそれが、悲しい。
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涙を流す以外にこの悲しみをどうにもできません。なんで?と、愛して欲しかった、を頭の中で繰り返すだけです。ああ、愛して欲しかった。安心して泣ける場所が欲しかった。でもそんなものはどこにもなかった。いまさら、話してると何回でも涙が出てしまいそうになる。全部出し切ってしまいたい。でも、出し切るまでにどれほどの涙が必要になるんだろう。気が遠くなりそうです。
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お母さんになにか感情的なことでしてほしいことを言ったところで変な理屈で私のことを馬鹿にして終わりにするから感情を口にするのが怖くなった。すごく怖かった。でもそれが当たり前なんだと思った。私がおかしいんだと思った。馬鹿にされるべき人間なんだと思った。私は滑稽で欲深くてわがままで、どうしようもない人間なんだって思った。だからお母さんは私のことを馬鹿にするんだと思った。
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子供のときの私が泣いてる。お母さんに、愛して、見て、慰めて、褒めて、抱きしめて、好きって言って、って思ってます。どうしてそうしてくれないの?って。私のことが嫌いなの?って。
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眺めるというか、憑依する感じです。嗚咽して、しゃくりをあげて、お母さんに愛して欲しかったと呟いては涙の量が増えて、泣き疲れたら妙に抱きしめるものが欲しくなった、抱き枕やぬいぐるみなんて欲しいと思ったこともほとんどなかったのに。ああ、私の中にこどもがいるんだ、と思いました。ぐずって、泣き疲れて眠くなっている。それまで泣くこともできずに固まっていた、泣いたところで助けてくれる人は誰もいない、ただ、泣くことだけは保証された場所をたった今手に入れたこども。私はそれをただ観察してる。ただ、そういう子供がいた、と、見てる。今はそれ以外にどんな感情をいだけばいいのかもよくわかりません
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悲しい。
憎いとか、気持ち悪いとか、死んで欲しいとか、殺したいとか
そんなことを言いつつ、私はお母さんのことが大好きで、本当に愛してて
でも、お母さんがそれに応えてくれることはなかった。
きっと私のことなんてどうでもよかったんだ、お母さんは私のことを愛してくれなかった
そう頭の中で反芻するだけで、どうしてこんなにも涙が流れ出てくるんだろう。
とめどない感情の奔流。
だった。
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